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串間努
第6回「日曜日のおでかけで作った綿菓子の甘い想い出」の巻
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ウチの母親は駄菓子屋が好きで、ボクをダシにしては、当てクジをしていたものだが、デパートの屋上にある綿菓子の自動販売機も好きだった。まず、機械の横にある箸箱からワリバシを一本をとる。30円を入れると、ザラメが金属のタライの中心にジャーッと注がれ、中心部が回転しながら、綿状の白い糸を吹き出す。これを割り箸でたぐって巻き付けていき、綿菓子をセルフサービスで作るのだ。菓子屋の店頭とか地
方デパートの階段の踊り場で良く見掛けたものだ。屋根は丸く、赤青黄色と、色とりどりのビニールだった。綿あめがそこらじゅうに吹き飛ばないように、周囲も厚いビニールシートで覆ってあり、それは黄色か赤色だった気がするが、飴でそうとうニチャニチャに汚れていた。機械の全体的なフォルムは宇宙ロケットを模していた様な感じであった。
ボクが「自分で巻きたい」といっても「無理無理」といってやらせてくれなかった母。ふんわりと出来上がるのを待っていた四歳の日曜日。心の中には遠い記憶が生きているが、そういえば最近は目にすることがない。この綿菓子機に「高度成長」を感じたボクは、開発した社長さんにあいたかった。自販機工業会など、いろいろなところへ問い合わせ、ようやく「R」というメーカーがこれに携わっていることが判明した。しかし、開発者の社長さんはつい先頃、不帰の人となったとのこと。現社長の奥様がインタビューに応じてくれた。
株式会社Rは昭和40年代初頭にH氏が創業した。復員後、「これからは食べ物商売だ」と感じるところがあったH氏は、名古屋で食糧関係の仕事に携わり、一時は「パチンコ台」も作ってたことがある。その後、東京に出てきて、まず始めたのが「ピーナッツベンダー」というバターピーナッツの卓上自販機だ。そして、紙コップ式のジュースやコーヒーの自販機も製作していた。ところがこれらジュース自販機は大メーカーの攻勢もあり、今後どうしようかと考えてていたところ、知り合いの人が綿あめの機械の前身をつくり、これを手掛けてみないかと誘われたので、綿菓子機のメーカーにシフトすることになる。縁日以外でも手軽に綿菓子が食べられる。そういった夢を子どもたちに与えたかった。
名前の由来は、「カタカナの名前だと将来、会社が大きくなりそうだからつけたのですよ」と奥さんはお茶目なことをいう。
実用新案も取っている綿菓子機械の開発には10年くらいの試行錯誤があった。中心部の回転ヒーターにある、ニクロム線を巻きつける数と、回転数の関係によって、糸状の砂糖の出具合が異なるのだ。遅いと煙が出てしまうし、早すぎても焦げてしまう。
「タコ足配線も駄目ですね。電圧が下がると良くないのです」
最初の頃は故障もあった。機器上部にある砂糖入れが目詰まりを起こし、「30円入れたけど砂糖が出てこないよ」ということになる。そういえばボクも一度、何も出てこないまま、機械が回りだして、しばらく経ってから砂糖が落ちてきて、ほんのわずかしか巻きとれなかった経験を思い出した。
「そのため、砂糖入れをじょうごの形に変えて、落ちやすくしました」
デザインは宇宙時代を反映してロケットのようなイメージになっている。
ところであの機械はデパートや公園の売店にRが貸しているのだろうか。
「まあリースもありますけど、買い取りも多いですよ」
買い取りの人はワリバシやザラメをRに発注する。値段は確か昭和44年頃で1回が30円。
「そうですね。30円から50円と変わって、今では100円です。場所によっては200円でやっているところもあるようですけど」
母は綿菓子をできるだけたくさん取るため、回っているタライの円周に合わせて、腕を大きく回転させながら、巻き付けていたが、あのやりかたは実は正しくないと奥さんはコツを教えてくれる。
「それだと小さくしかとれないんですよ。割箸をですね、こう1ケ所にじっと置い
て、グルグルと箸だけを自転させるのです」
なんだ、結局、果報は寝て待てということか。このことを早速、母親に自慢すると、「そういえばそんな風に取れと注意書きがあった気がしてきた」だって。そんなら最初からやれよ、まったく。それにしても、将来自分の息子がわたがし機の取材に行くとは思わなかっただろうなあ。
●「教員養成セミナー」を改稿
2003年3月20日更新
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