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串間努
第6回「レモン仁丹」というものがあったの巻
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小学4年の時に銚子港の灯台にバス遠足にいった。学校がある千葉市からはそんなに遠くなかったが、やっぱり気持ちが悪くなっちゃう児童がいた。そんな中にフトシ君がいた。顔は蒼白め、冷や汗が流れている。隣に座っていたヒトシ君は心の中で「やだな、やだな隣で吐かれたらやだな。オレまで貰いゲロしちゃうよ」と恐怖におののいていた。そこで一計を案じたヒトシ君、レモン仁丹を取り出して「これ、乗り物酔いのクスリだぜ」と親切に飲ませてあげた。フトシ君は友情に感謝して「うーあじがどー……」と礼をいった。しかし口に含んだとたん、それまで押さえていたものに酸っぱさが衝撃を与えたのか、ぶはーっとなってしまった。「大変だ大変だ」とバスの中はブリキのバケツが飛び回り、ヒトシ君は自分があげたレモン仁丹がスイッチを押してしまったことを深く後悔したのであった。当時はサンキストレモンチョコレートなど、レモンを題材にしたお菓子が多かった時代。レモンの酸っぱさが体にいいことは子どもでも知っていたのだ。
……という記憶を持っていたのだが、仁丹さんに聞くと「レモン仁丹の発売は昭和50年です」というから、梅仁丹と間違えていたのかもしれない。
レモン仁丹は実はいまでも香港だけで売っているという。だが、ケースを見るとカタカナで「レモン仁丹」と書いてあるので、将来、また日本でも発売する野望があるのかも知れない……。
「まず、仁丹を若い層に広めようとして、梅肉エキスを使った梅仁丹を作ったんですね。これは胃腸の調子を整えますから乗り物酔いなどにもいいんです」そうか私たちが自然の知恵として使っていたのは決して間違いじゃなかったんだ。
「梅仁丹の次には、食生活の欧風化や生薬ばなれに対応しようとしましてグリーン仁丹を出しました。その次がレモン仁丹で、これは女性をターゲットに健康にいいものをつくろうということで、じゃあ蜂密レモンにしようとしたのです」
ビタミンCでヘルシー感を訴及したワケだ。梅で赤、グリーンで緑、そしてレモンで黄色と、自動車用信号機ファミリーだったのだが、レモン仁丹がない今では歩行者用信号機になってしまった……。
●「GON」1999年月4月号を改稿
2003年3月25日更新
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