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「プラモ線の旅」タイトル

今柊二

「スーパーカーブームがやってきた・その3」


 スーパーカーが空想派模型ファンをもひきつけた理由の一つは、その「仕組み」にもあった。ランボルギーニカウンタックなどは、上へと開くドアの開き方一つとってみても独特で、「へえ、スーパーカーのドアって面白い開き方するんだなあ」と感心したものである。さらに、これはカウンタックだけに限らないが、ライトがスーパーカーは素晴らしかった。スーパーカーは速さを追求しているせいか、ライト部分が使用時のみ、「パカッ」と開く種類のものがあった。リトラクタブルライト「リトラクタブルライト」という名称だったと思う(格納式という意味だ)。なぜ私がこの名称を覚えているかと言えば、当時私の乗っていた自転車もこの「リトラクタブルライト」が搭載されていたからである。今は少年用自転車といえば、悪路でもスイスイ走れる「マウンテンバイク」が主流となりえているが、1960年代後半くらいから70年代くらいまではまったく違う自転車が少年達の心をとらえていた。それこそは過剰に点滅ランプが装備されたもので、前輪には通常のランプのつく位置の左右両方、後輪には荷台のあたりにもついたものであった。図版が用意できなくて申し訳ないが、今のデコトラに近いと言えば近いかも知れない。1970年前後の少年マンガ誌を見ていただければ、頻繁に裏表紙のところとかに広告が掲載されている。

 さて、そのランプとは赤、緑、黄色と種類も多彩で、それがピコピコ点滅したりした。実は私の実家は自転車屋なのだが、おやじは実用とはほど遠い、この過剰装飾の自転車をあまり積極的には売っていなかった。子供用のチャラチャラした装飾が気に入らなかったのだろうか。しかし、この種の過剰装飾自転車は、ただチャラチャラしているだけでなく、多段変速機もついており、坂道もスイスイ登れるという実用的な大きな特徴も持っていた。そのため、全国の少年たちにとっては、この種の自転車は非常に憧れだった。当時は仮面ライダーにしても、キカイダーにしてもイカしたバイクに乗っていたからである。たとえ意味がないランプでも、それに乗ることによって、あたかもスゴイ機械を操縦しているような「気分」になれることは間違いなかった。おまけに変速機もガチャガチャ操作できる!しかしながらこのピコピコ自転車は価格も高く、クラスのなかでも裕福な家の子供しか乗れなかったのだった。

 スーパーカーブームの到来とともに、このピコピコ自転車は進化を遂げ、前輪の両サイドに、ライトが装備されたのである。そして、このライトはふだんは黒い小箱のようなものに入っており、ハンドルのところでレバーをクイッと上げると、「パカッ」とライトが持ち上がるのだった(笑)。なんとも意味のない動きなのだが、これはもう素晴らしい代物でしたね。そして、なんとこの自転車をおやじがどうゆう風の吹きまわしか、私のために用意してくれたのである。もともとおやじは自分が自転車に乗りたくて自転車屋になった人だったから、私の自転車に乗りたい気持ちを理解してくれていたのかも知れない。いずれにしても、私はこの自転車を手に入れて有頂天になり、本当に何の意味もなく、「パカッ」「パカッ」「パカッ」とライトをつけまくっていたのである。さらには、坂道を猛烈なスピードでくだりつつ「波動砲、発射!」とか叫びつつ、「パカッ」をやっていたのだった(笑)。

(続く)


2003年2月27日更新
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