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アカデミア青木
第5回 『赤い鳥小鳥』 |
日溜まりの公園で、暮れなずむ街角で、夜のしじまの中で、ひとり「童謡」を口ずさむ時、幼き日々が鮮やかによみがえる…。この番組では、皆様にとって懐かしい童謡の歌碑を巡ってまいります。今回は、『赤い鳥小鳥』です。
大正7年、作家の鈴木三重吉は長女の誕生をきっかけに活躍の場を小説から童話文学へと移し、「小さな人たちのために、芸術として真価ある純麗な童話と童謡を創作する運動」を提唱して、児童雑誌『赤い鳥』を創刊しました。彼の呼びかけに応じて、芥川龍之介、有島武郎、島崎藤村、泉鏡花、谷崎潤一郎、徳田秋声ら多数の作家が子供のための作品をに寄せ、北原白秋*が中心となって新鮮で芸術性の高い童謡を発表しました。『赤い鳥小鳥』は、この『赤い鳥』が産んだ童謡のうちの一つで、作詞は北原白秋、作曲は成田為三**が行いました。
『赤い鳥小鳥』(『赤い鳥』大正7年10月号 に発表)
作詞 北原白秋(きたはらはくしゅう、1885−1942)
作曲 成田為三(なりたためぞう、1893−1945) |
赤い鳥、小鳥、
なぜなぜ赤い。
赤い実をたべた。
白い鳥、小鳥、
なぜなぜ白い。
白い実をたべた。
青い鳥、小鳥、
なぜなぜ青い。
青い実をたべた。 |
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歌詞を並べて見ると極めてシンプルですが、「赤い実を食べたから赤い鳥になった」という発想は、大の大人にはなかなかできません。白秋は、庭に来る雀の姿を観察していてこの詩をひらめいたそうです。『赤い鳥小鳥』の歌碑は、神奈川県小田原市の伝肇寺(でんじょうじ)というお寺の境内にあります。白秋は大正7年の秋にこの寺の庫裏の一間に越してきて、翌年境内の一角に草葺の小屋(その姿から白秋はこれを「木菟の家」と呼んだ)や方丈風の書斎を造りました。関東大震災に被災するまで、ここで白秋は多忙な著述生活と幸福な家庭生活を送っています。
現在、歌碑が建つ「木菟の家」の跡には、お寺が経営する「みみづく幼稚園」があります。歌碑を見学する際には、幼稚園の授業の邪魔にならないように、事前に伝肇寺さんに問い合わせて先方の都合の良い日を選んで行くようにして下さい。また、『赤い鳥小鳥』の歌碑は小田原市南町の「白秋童謡館」にもありますので、不都合な場合にはこちらを御覧になるとよいでしょう。
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*北原白秋 明治18年、福岡県山門郡沖端村(現、柳川市)生まれ。詩人・歌人。早稲田大学中退。在学中より詩才を顕わしたが42年に実家が破産、各地を転々として小田原移住まで貧窮生活を送った。昭和16年、芸術院会員。翌17年に死去。享年57才。
北原白秋(『現代日本文学全集37』改造社 昭和4年より) |
**成田為三 明治26年、秋田県北秋田郡森吉町生まれ。作曲家。大正6年、東京音楽学校卒業。佐賀県立師範学校教諭を経て、『赤い鳥』に参加。童謡作曲を担当する。ベルリン留学後は、作曲と著述に従事。昭和20年に死去。享年51才。 |
[参考文献 |
『世界大百科事典』(平凡社 昭和47年)の「赤い鳥」の項 |
『日本文学アルバム2北原白秋』筑摩書房 昭和29年 |
下中邦彦編『音楽大事典第4巻』平凡社 昭和57年] |
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・伝肇寺
場所:神奈川県小田原市城山4−19−8
交通:箱根登山鉄道箱根板橋駅から徒歩15分
問い合わせ先:0465−22−2098 |
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・白秋童謡館(小田原文学館 隣)
場所:神奈川県小田原市南町2−3−4
交通:JR小田原駅から徒歩20分 |
開館時間:9:00〜17:00(入館は16:30まで)
休館日:12月28日〜1月4日
入館料:大人 250円、小・中学生 100円(団体割引あり)
問い合わせ先:0465−22−9881
2003年6月6日更新
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