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古いタイプのカナリア
(用賀浴場) |
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※このページの
写真はすべて、
「銭湯温泉
サウナ王国」 の、
つかささんから
お借りしました。 |
串間努
第7回
「銭湯の下足札」の巻 |
先日、上野の花見に行ってきた。もちろんビニールシートで陣地を確保した訳ではないから、「歩き花見」だ。なんとなく桜を見上げながら、人波にもまれながらそぞろ歩いていると、寛永寺の境内に続く参道に出た。そこには露店がけっこうな数で軒をならべている。最近の露店でムーブメントなのは、牛を串に刺して焼いたものや、帆立て貝を焼いた串もの関係だ。ある店は鉄板を敷いていろいろな串ものを焼いており、露店の横に積まれた発泡スチロール(ボクはずっと発泡スチールと発音していたがそれでは泡を吹く鉄ですね)の箱が積んである。「イカ下足」と書いてあるラベルを見て、「いかげそく」と心の中でちょっと発音してみたが何だか腑に落ちない。そうそう「げそく」ではなく「げそ」ですよ。ああ、いつも「いかげそ」といっていたイカの足って、下足札のげそなんだ! とそこで電気がジリリと通じたのであった。
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おしどり旧式(第二千歳湯 芦花公演) |
番頭さんがいて、座敷に追い込み席があるようなレトロな食事処で食べる機会もめっきり減ったので、下足といえば銭湯のゲタ箱の札を思い出す。
子どもの頃、友達と行った時はいつもゲタ箱の木製札の番号を争っていたものだ。人気プロ野球選手の背番号と同じ番号を取りたいのである。長嶋の「3」、王の「1」はいつも先に取られていた。相撲人気よりも野球人気のほうが長続きしたり、勢力があるような印象がボクにはあるが、それは背番号制度のあるなしが影響しているのではないかと思う。もちろん野球帽やサインボールなどグッズの存在も野球人気の要素に入るとは思うけれど。しかし、数字の魔力的なイメージというのはあるもので、ホームラン王の王が「1」で、三塁を守る長嶋が「3」というのは、ちょっと「出来ている」感じである。もっとスゴイのは、ジャイアンツが1973年に9連覇を達成したときであった。ペナントレース最後の130試合目、阪神と巨人、どちらかが勝ったほうがリーグ優勝という劇的な背景がそろっているとき、巨人は「9対0」で阪神を破り、0・5ゲーム差をつけての逆転優勝を遂げた。「9:0」って確か没収試合のときに課されるスコアでは? 野球は9人。9対0という野球ルール上、意味のあるスコアでしかも「9連覇」。小学生だった私を「なんか偶然にしては……」と心配させるほどのミラクルな数字であった。そして10連覇、11連覇はしないで9連覇で終わったことも長い目でみた台本のような気がしないでもない。きっちりとした「10」に行かないところに「9」という数字の不全がもたらす「永遠」さがある。
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松竹錠(世田谷天狗湯) |
さて、銭湯の下足札。子どもたちはお気に入りの選手の背番号を運良く手にした時は天下を取ったような気分だった。
この下足札を作っているメーカーは「松竹錠」というそうだ。確かにゲタ箱の鍵の部分をよく見ると松と竹の模様がエンボスで描かれており、「松竹錠」とある。鍵の大メーカーなんだろうか……。
探し当てて松竹錠工業を訪ねると、品川の町工場だった。先々代社長の弟さんが大阪で下足の錠前屋がやっていた関係で昭和23年に鍵屋を始め、途中で先々代社長が弟さんと合流、昭和27年に株式会社とした。この年にバネを使わない下足札の特許もとっている。
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旧型の松竹錠
(たから湯 秩父) |
「最初、お風呂屋に下足の鍵はなかったんですよ。棚に下駄を置いたんです。昔は人件費が安かったから気の利いたところでは下足番という人がいて、その人に靴を渡すんです。だから、下足の鍵は戦後のものです。新潟では劇場なんかも、履物ぬいでいましたね。」(松竹錠工業I社長談)
鍵が戦後生まれというのは、終戦直後、物資が極度に不足した時に他人の履物を盗んでいく人もいたせいもあるだろう。人々は銭湯で盗まれてもいいように、家中で一番ひどい履き物を履いていって盗難から自衛した。そこで下足鍵の登場となるわけだ。
盗難という点では着物もそうだ。昔は籠を使っていたが、そのうち昭和35年ころに関西から化粧板を使ったロッカーが普及しはじめた。そのころのロッカーは脱衣籠ごと入れる大きな物であったが、直接衣服を入れれば良いということで、今のようなロッカーになったという。なんで、籠ごと入れることにこだわったのかはわからない。東京では昭和37年ころからはっきりと下駄箱以外のロッカーが銭湯に設置されはじめたとい
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真新しい松竹錠
(堀の内浴場) |
「ゲタ箱の番号が何番まであるか知ってますか? 男用72、女用72の計144なんです。8段の9列です。昔は必ず下足箱の番号が144あったんです。120なければ保健所に許可が通らなかったんです」(同社)
鍵の木の材質は、最初は「タモ」を使っていたが、軟らかくするために「セン」にしたという。ちなみにお風呂屋さんに下駄箱を納入するときには、同社は鍵を2枚ずつ納めて紛失にそなえる。
「なくなると、うちに電話がかかってきて、補充します。うちは、どの風呂屋のどの下駄箱の何番が、どんな鍵だか全部知っていますからね。ただ補充は1枚づつではなく、何枚かなくなってから、まとまってきます。王や長嶋の背番号と同じ番号札がなくならかったかって? まあ、あったかもしれませんけど、ちょっと分かりませんね。ただねぇ、人間が靴を入れるちょうどいい高さのところにある番号札はよく使われるので、なくなることも多かったんではないですか。一番上なんかにはあんまり入れませんからね」
木札が入る鍵穴は最初は砂型にアルミを流していたが、手間がかかるため平成9年からはアルミダイキャストに変わった。下足札のメーカーも平成初めあたりまでは4軒あった。しかし一軒は平成2年でやめ、もう一軒は平成5年くらいでやめた。今、東京では「さくら」と「松竹錠」の2軒しかない。関西には「おしどり」「キング」というメーカーがある。木製の札は松竹錠だけだ。
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新しいタイプの松竹錠(光明泉) |
さくら(富寿の湯) |
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おしどり(早稲田大黒湯) |
KING(福乃湯) |
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新しい下足光景(テルメ末広) |
昭和46、7年ころは銭湯はとても混んでいて、洗い場の席を探すのが当たり前だった。今は5、6人くらいしかいない。銭湯文化を保持しようというひと、残り少なくなった銭湯が廃業するのを惜しむひとはいるが、そんなひとも毎日の生活では内風呂に入っている。町の個人商店がシャッターを下ろしてしまうように、地域の住民が日常的に利用しなくては経営が苦しくなるばかりだ。昔のモノがいい、建築物が素敵というのは簡単だが、それで生活している人にとっては死活問題。のんきに古くていいねえ、あらやめないでよといわれても当事者は困るだろう。生活の保証をしてくれるワケではなし。ボクも含めレトロ好きな趣味人は自分たちが便利で近代的な生活を営んでいることを棚にあげることなく、伝統的な生活様式を残している人々の心を忖度することも忘れてはいけないと思う。つまり、家賃が安くても「風呂なしアパート」はいやだという人が、「銭湯って好き」というのは身勝手な感想ではないの? ということだ。
ボクがいつも行く銭湯の木札は手垢にまみれ角が丸くなっている。実は何十年と持つほど頑丈なのが、松竹錠さんの誇りであり、悩みでもあるのだ。
●「GON」不明号を改稿
2003年4月18日更新
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