子どものころのある日、親に連れられて薬局に行くと、信じられない光景がひろがっていた。一人のオジサンが、薬局のカウンターでジュースを飲んでいた。茶色い瓶に入ったジュースは量が少なく、白いストローでチューッと吸って、空き瓶をカウンターに置いて帰っていった。
私の親はしつけが厳しく、お店で買ったものは家に帰るまで封を開けることを許していなかった。電車の中や道端で立ち食いすることも禁止していた。なのにこのオジサンはお金を払ってすぐ、店にあったジュースをその場で飲んでいる。カルチャーショックだった。昭和四〇年代あたりから、外の店で買ったものをその場で食べるということに、日本人全体の道徳的抵抗感は少なくなっていたのだろうか。
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グロンサン
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大人になって、あの頃のオジサンが飲んでいたのがドリンク剤だったということがわかった。アンプルをポキリと折って飲む時代だったようだ。
その草分けは中外製薬のグロンサン内服液。グロンサンの名前は主成分であるグルクロン酸から来ている。
東京大学の石舘守三教授は、多年にわたってグルクロン酸の研究に取り組み、昭和二四年にはぶどう糖からの合成に成功していた。これは、人間が体内に吸収した栄養分を肝臓で分解する際に出る有害物質を無毒化して尿にする成分で、不足すると体内に毒が残り、二日酔いや、疲労になる。もともと人間の体内に存在する物質であるが、「外から補ってやれば更にいいのでは」と考えた中外製薬創業者の上野十蔵社長が工業化に着手した。
天然物質を合成するのはその当時の技術では困難であったが、昭和二六年にグルクロン酸を安価で大量に生産する工業化に成功、「解毒促進・肝機能改善剤グロンサン末・注」を医療用として発売した。
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「グロンサンガム」
※「ザ・ガム大事典」(串間努著)より |
ところが、売れ行きのほうはいま一つ振るわなかった。そのため二八年に消費者向けに「グロンサン錠」という錠剤を発売したところ、折りからの保健薬ブームにのってこれがヒット。続いて「グロンサンガム」「C発泡錠」を出すなど剤形を模索しているうち、「液剤が良いのでは」ということに気付き、三五年に注射剤のアンプル容器を応用したドリンク剤に仕上げた。
ガラスを切って、ストローを突き刺して飲むアンプルは、注射液を思い起こさせ、即効性のイメージがある。風邪を引いても医者にいって「先生、注射をして下さい」とつい頼んでしまう日本人の注射好きにマッチし、爆発的人気となった。
発売以来、高度成長時代のもと、グロンサンは頑張るお父さんたちに愛されてきたが、転機は一九八〇年代に訪れた。
「景気が良かったこともあって、新商品が各社から出てCMも活発だったせいでしょう、それまでドリンク剤はオジサンの精力剤的イメージで見られていたのが、女性も含めた普通の人の普通の商品というイメージになって裾野が広がったんです」(中外製薬株式会社)
またアンプルは「効きそうだ」というイメージはあるが実際には使い勝手が悪いため、安全性を高めようと五三年にはネジキャップの瓶に代えた。清涼飲料水的な手軽さになったことも、より多くの人が手を出しやすくなった一因だろう。
ただ、瓶にしたことで、直に口をつけて飲めるようになり、ストローで飲むのが面倒な人がぐいっと一呑みするようになった。そうすると二〇mlではもの足りない。現在の消費者の嗜好は飲みごたえのある三〇〜五〇mlのサイズにシフトしているという。
実は私はここ一〇年来のグロンサンファン。近所の薬局のセールで箱買いしている。夜中に足がツったときにグイと飲むと、足のツリ(こむらがえり)が治ることが多いのだ(私は)。
●「毎日新聞」を改稿
2003年4月25日更新
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