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第13回「ガチャガチャ」は素敵なインチキ兄貴だの巻
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◆ガチャガチャの復権
先日、どこにでもありそうな商店街にある本屋の店先で、「トランシーバー」のガチャガチャをみつけた。一回400円で、交信には2個必要だ。だがぜったいにトランシーバーが出るので、いっけん高く見えるが、1000円だしても当たらないラジオやライターのガチャガチャ(どうかするとあたり景品が入っているか疑わしいのもあった)をやっていた私には魅力的だった。その本屋のガチャは他にも「タバコを吸う人形」だとか、怪しいグッズのガチャガチャが並んでいた(榎並産業と書いてあった)。
キン肉マン消しゴム、カードダスの出現以降、ガチャガチャといったら、その手の、アニメとタイアップしてきちんと版権をとった正統派モノが幅を利かせており、ガチャがもっていたインチキくささ、猥雑さが失われていたと思っていたので嬉しい。
おそらく街角で小学生が電池モノの小型玩具を買えることの喜びをわかっている人が企画開発の決定権を持つような年代(40歳くらい)になっているのだろう。ガチャガチャウォッチャーではないから不確かかもしれないが、昭和40年代に感じたわくわく感を投影したようなグッズが明らかに増えている気がする。
◆ガチャガチャの魅力は不変
ガチャガチャそのものの元祖はもちろん、アメリカから上陸したカプセル玩具自販機だが、明治時代の駄菓子屋には、「運徳せんべい」という食品玩具があり、これは瓦せんべい状のものを餃子状に作り、中の空洞に小さな玩具を入れたものだった。子どもたちは「カラカラ」と振ってみては、あれがいい、これがいいと選んで買っていたのである。封印されたなかに玩具が入っていて何がでるかお楽しみという意味では、これもガチャガチャ文化の流れにのせられるだろう。
昭和30〜40年代と違って今では駄菓子屋の数は減ってきている。駅ビルに入っているようなファッション駄菓子屋チェーンは、坪単価優先、人手不足のため、手間がかかる「くじ」「あてモノ」を敬遠しがちだ。そうなると、子どもがチープな玩具を射幸心をもとに購入するシステムとしては街角のガチャガチャくらいしかないのである。
◆小さな玩具はすばらしい
私が小学生だったころ(昭和40年代)にはガチャガチャはオーソドックスなものは10円で、ちょっと景品が高そうな特殊なものが20円・100円であった。カプセルの中味は、聖書の豆本、砂時計、人造パール入り宝石箱、アゴを動かすと目玉等が飛び出るガイコツなどである。これらは安い、香港製の玩具だった。100円ものは、ロケット型ラジオやジッポーなど大人の持ち物が当たるもので(駄菓子屋店頭にあったが、もともとはドライブインに設置するアダルト向けガチャガチャだったのかもしれない)、カプセルに入りきれない大きな賞品は、カプセルのなかに賞品名を書いた短冊が入っており、それを店にひとに見せて引き換えるシステムだ。
もともと、ガチャガチャが登場したときはマージャンパイだとか、小さな動物にストラップがついたもの(根付状のもの。いまだったら携帯ストラップか)が出てくるだけで楽しかった。当たりの玩具というのはなかった。そのうち、テーマ性を持ったガチャガチャが登場して、それは子どもたちが好きそうな小物玩具で、コストがかさむため、当たりとして少ししか入っていない。他のはずれでコストを吸収していた。あまりにも早く当たりカプセルが出ると、その機械には誰も見向きもしなくなるので、店のひとが当たりの玉を入れるのを調整していたのだろう。私たちは、みんなで機械を持ち上げて、当たりの玉を低い投資で出すことに「命」をかけていた。あと、2回か3回回せば、絶対に当たりカプセルが出るのに、小遣いがなくなったときが一番悲惨だった。現在のパチンコでいう、「ハイエナ」をされてしまうわけだ。まったく知らないヤツにハイエナされるよりはマシだろうと、駄菓子屋店頭にいない友人を自転車を走らせて探し出し、「おい、あと1回で当たる情報を教えてやる」と情報ブローカーになった。どうせ自分が出せないなら仕方がないのだ。
ガチャガチャの歴史上、「コスモス」(1977年創業〜1988年解散)というメーカーが果たした役割は大きい。私はコスモスのガチャガチャには間に合わなかった世代であるが、昭和50年代、20円玉時代のガチャガチャではコスモスの赤い筐体がみんなの原体験になっているだろう。
10円玉時代のガチャガチャは、特別メッセージ性がない小物玩具だったが、コスモスの登場で、ガチャガチャはテレビや子ども世界の流行を発信した。
そしてその取り入れかたは何度も新聞沙汰ほどの物まね玩具で当局から叱られている。モーラーでも、スライムでもなんでもブーム玩具はすべてコスモスはカプセルのなかに閉じ込めた。「カードダス」のときは「カードです」、「ビックリマンシール」のときには「ロッテ」ならぬ「ロッチ」で切り抜けていた。SDガンダム、チョロQもコスモスの手にかかったらカプセル化されてしまうのだ。といって、まったくオリジナル性がなかったわけではない。「男の武器」シリーズなど、コスモスが考え出した小物玩具はたくさんある。製作にどのような思想・見識をもっていたのかは社長さんに聞かなければわからない。だがバンダイやトミーやタカラなどのメジャー玩具メーカーでは絶対になし得ない、子どもの持つ本能、本質に深く食い込んだ玩具をつぎつぎと考え出し、大人になっても思い出すだけの力を持ったメーカーであった。児童心理学者が100人束になって開発してもコスモスの持つ企画力にはかなわないだろう。何が子どもに受けるのか、その点をぎりぎりまで追求し、イリーガルな部分に踏み込んでも、その矜持を失わなかったことは、『子ども文化大賞』を差し上げてもよいのではないか。
中途半端な「ワル」は、一度新聞沙汰や正規メーカーに訴えられたりすれば、そこで手をあげる。だがコスモスは、何度も何度もやる。「ロッテ」ではないですよ、「ロッチ」ですよと宣言してからやる。そのすがすがしい潔さ。もちろん著作権法違反はいけないことではある。だが昭和30年から40年代に駄菓子屋で売っている小物玩具は無版権ものが多い。真似して真似しかえされてというのが玩具業界でもある。ならば出版業界のほうはどうなんだといいたくなる「バターはどこに溶けた」「買ってはいけないは買ってはいけない」がよくて、「カードです」は清濁合わせ飲めないですか。
キン肉マンとは、昭和54年5月に赤塚賞に準入選して集英社の「週刊少年ジャンプ」に連載されていたマンガである。吉野家の牛丼が大好物であるというキン肉星の王子、キン肉マン(キン肉スグル)にさまざまな超人たちが闘いを挑み、格闘技宇宙一を争うというストーリーだ。
ドジで間抜けな三枚目だが、ピンチのときには火事場のクソ力で勝つ。他にラーメンマンやミートくんなどのわき役がからみ、プロレスブームと相まって人気になった。単行本16巻も合計2500万部を越え、テレビアニメ化されると高視聴率をかせいだ。
キン肉マンキャラクターを使った消しゴムが「キン消し」である。昭和58年にバンダイがガチャガチャの中身として発売した。1年間で100円のカプセルが約7000万個売れるほどのブームとなった。150種と種類も豊富で、宣伝もあまりしないのに、全国一斉に大人気。4個100円は『チビ』で2個100円は『中』、それ以上を『デカ』、ほかに『ノビノビ』という区別があったとのこと。
キン消しが欲しいばかりに万引き事件も起こった。集団でキン消しのある倉庫に侵入、約2000個のキン消しを盗んだ事件まで発生した。150種あるキン消しのうち、どうしても2種類が集まらない。先輩の高校生に相談したところ、『玩具卸会社の倉庫にある』ということを聞き7回にわたって押し入ったという。
ニセモノを販売する業者も出た。業者は約350万個を売り、約1億6千万円の収入を得ていた。A社は、26種類を本物と区別できないほど巧みに作り、ガチャガチャで販売していたと「朝日新聞」(1985.1.12)が報じている。
子どもの世界ではニセモノ3個で本モノ1個が交換する相場があったという。ちゃんと子どもたちはわかっているのである。
今後もブーム玩具のパロディ商品がでてくることがあるのだろうか。
●書き下ろし
2004年2月13日更新
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