5-1.日の出.jpg

子供の頃、卯年生まれになりたかったです。理由は、十二支の中で一番可愛かったから。申年生まれの私にとって、申はぜんぜん可愛くないし、父には「エテコー」と冗談交じりにいわれるし、母は卯年生まれなもんだから、自分のことをウサギに例えたりして、それも嫌でした。思い起してみると、日常的に干支の話は多かったです。祖母にいたっては、干支によって性格を決めつけていましたし‥‥。干支は、祖母と両親と子供を繋ぐものとして存在したように思います。そのせいでしょうか。私は年齢を聞くより先に、干支を聞くようになりました。聞くたびに「干支聞く人は、最近珍しいよ」っていわれます。

5-2.カレンダー.jpg

今回ご紹介するのは、卯年のカレンダーです。嬉しいことに素性がはっきりしていて、京都の四条高倉にある大丸百貨店の名前と電話番号、休業日がカレンダーに印刷されています。大丸で販売したのか、お得意様に配られたのでしょうか? それにしても、なんて素晴らしいデザインなのでしょう。陶器でできた波の上を跳ねるウサギ2羽に、差し込み式になったカレンダー部分が神々しく、手をあわせたくなるような、見事な日の出、御来光が表現されています。"賀正"の文字もおめでたい感じでインパクトがあり、年号は"2599"と書いてあることから、神武天皇即位の年を元年として起算した、皇紀2599年(西暦1939年)だとわかります。かれこれ72年前の昭和14年のモノで、私の母と義理の父が生まれた年用につくられたカレンダーなのでした。底面には大丸の刻印があり、その年が終わっても使えるように、時間表がついているのはさすがで、子供の机に置くには、少々もったいないような、凝ったつくりだと思うのですが、横幅13センチのカレンダーは、机の上を華やかにしてくれるだけでなく、1年間を力強くサポートしてくれたのではないでしょうか。ちなみに、大丸百貨店が四条高倉に開店したのは明治45年で、当時は大丸呉服店でした。商号が大丸に変わったのは昭和3年のこと。いまさらながら、歴史ある百貨店なのですね。

5-3.時間割.jpg

私にとってもカレンダーは、なくてはならない物のひとつです。たくさん飾った時期もありましたが、現在は毎年いただく日めくりと、シンプルで書き込みのできる特大サイズの物と、月の満ち欠けと潮の満ち引きがわかる『月と波のカレンダー』3点を飾っています。こだわっているのは、どれも六曜、九星、干支が最低限書かれていること。今日が私にとってどんな日か目安にしているのです。
妹から携帯にメールが届きました。私の赤ちゃんの話題になり、最後に「寅年だから強そうだね」と一言。
‥‥‥。

5-4.小皿.jpg

ウサギといえば、日常使っている器の1枚が、ウサギが描かれた印判の小皿(全長10.5センチ)です。ウサギ5羽と植物が描かれた上品なデザインですが、昔のお皿って、このサイズは結構多いので、離乳食で大活躍中なのです。電子レンジにも使えますし、とても重宝しています。

冬コミ参加サークル - まぼろしチャンネルニュース

まぼろしチャンネルのカリスマが、コミケット79に参加するスペースを告知。

■今柊二
12/31 3日目 東Q-49a サークル名:畸人研究学会

■串間努
12/31 3日目 東T-11b サークル名:日曜研究社
コメント...「旅と趣味」と「昭和レトロ学研究」の2冊を予定。
もしかしたら旅と趣味しかできないかも知れません。

■刈部山本
12/31 3日目 東T-06b サークル名:ガキ帝国
コメント...「デウスエクスマキな食堂」新刊10年冬号:立ちそば・立ち飲み特集!上野~御徒町~浅草橋とアメ横を経由しつつ南下。震災後の民家ひしめく路地を迷いながら、大衆食堂やラーメン・喫茶も経由しつつ、ガード下や立ち飲み店の戦後闇市の残照を追い求め、道端で飯を食っていた頃の町の記憶を彷徨う。
お馴染みイベント限定セット:viva!量多郎『街道を食う』-旧岩槻街道王子篇-:絶版「軍跡拉麺-帝都軒-」の北区篇の新取材部をまとめた1冊。『おれぐいランキング~B食オブぢイヤ~ン2010』:オレが2010に食ったB食から独断と偏見でランキング。年末年始営業しているラーメン店MAPつき。
既刊は10年夏号「向島迷宮地帯」、廃線写真集「廃景・西武安比奈線」

1.福助.jpg

「火の用心!」カチカチ‥‥。「火の用心!」カチカチ‥‥。
毎年恒例夜回りの季節がやってきました。町内の大人に子供たちが混じって、元気な声と拍子木を打つ音が鳴り響いています。冬の寒い中、本当にごくろうさまです。
自分の暮らしている場所が、本郷台という台地の崖下だと、旦那サンに聞いてから、よくよく町を眺めてみると、確かに低い土地に民家が密集しています。近年では、建て替えがだいぶ進みましたが、まだまだ連綿と続いてきた町の歴史を垣間見ることができる、古い町並みが残った味わい深い所なので、万が一火事が起きれば、被害が大きいであろうことは、容易に想像ができます。けれど、そこは土地柄といいましょうか、数年前に火事が起きた時に、町内の方々の機敏かつ一致団結した行動力には、目を見張るものがありました。どこからともなく出てくる、出てくる、人と消火器! 使用済みの消火器は、どんどん路上に積まれて、消防自動車よりも素早い対応に、役立たずの私はオロオロと眺めるだけ。ちなみに旦那サンは消火器持って走っていましたけど‥‥。幸いボヤ程度で済み、隣接した家屋には燃え広がらずに済みました。

2.消火器全体.jpg

でも、「消火器ってパッと使える?」と聞かれると、ちょっと不安です。私の場合「えっと、このレバーは‥‥」とかいってる間に、被害が拡大してしまいそうです。そんな私でも簡単に使用できるのが、今回ご紹介する"消火弾119"です。使用方法は、火に向かって投げるだけ。達磨を連想する赤い色と卵のような形、そして、なんともいえない無表情の福助に惹かれ、つれて帰ったのは、もう何年も前のこと。消火に福助? おもしろいですよね。部屋のインテリアに合うようにデザインされたのでしょうか? 台所に置いても邪魔にならない大きさ(高さ15センチ)ですし、存在感があるので失くすこともなく、形が卵型ですから、上に物を積むことも出来ません。単体として置くしかない消火弾119は、よく考えられた構造だと思ったりして。その上「特許出願済、実用新案出願済、意匠登録出願済、商標登録出願済」とも書いてあり、ものすごい気合いを感じます。有効期限は25年前の昭和60年とありますから、そんなに古いモノではありません。ちなみに昭和30年に設立された日本ドライケミカル社製です。ちゃんとした製品だったのですね。私はこれ以外に見たことはありませんが、懐かしいと思われる方もおられるのでしょうか。
次にご紹介するのが、"理化學應用 粉末消火器"です。こちらは古く、間違いなく戦前の消火器です。金属の筒に粉末の消火剤が入っており、全長50センチ。大きくて重たいです。でも頑丈ですから、その辺に転がしておいても壊れません(へこんでいますが‥‥)。

3.消火器アップ.jpg

「ウラ梅印粉末消火器ハ 人身ニ無害、永久効力ヲ失ハズ、萬物ヲ汚損セズ、氷結爆發腐蝕等ノ虞ナシ」など、いかに素晴らしい消火器であるかが、全体にプリントされています。"ウラ梅印"というわけで、梅の花の裏面が商標というのもおもしろい! 永久に効力を失わないって、本当かなぁ? 思わず笑ってしまいますが、消火グッズもこうして2種類見ただけで、現在とはまったく違うデザインに、楽しくなるのでした。
さて、平成22年も残すところわずかとなりました。この時期は空気が乾燥しますから、火の元には、くれぐれも用心して過ごしたいですね。

おまけ 気になる街角 

4.猫.jpg

ドキッ、視線を感じました。

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