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「脇役列伝」タイトル

ヒーロー研究家立石一夫

女をなぜなぜ泣かすのよ、城卓矢


 S41年は、私が社会人としてスタートを切った年なので未だに忘れられないことが多い。その年に封切られた映画も勿論だが何と言ってもヒット曲は定年に近い今でも心に深く刻まれている。
「君といつまでも」「星影のワルツ」「恍惚のブルース」「バラが咲いた」「悲しい酒」「夢は夜ひらく」「星のフラメンコ」「絶唱」「二人の銀座」…書いて行くとキリがない。
 その中で特に思い出深いのは、そのインパクトの強さで「骨まで愛して」だろう。当時の大人はタイトルを聞いただけでまゆをひそめたものだ。「日本流行歌史・下」(社会思想社)では、作詞が川内和子となっている。

城卓矢

 この歌を歌ったのが川内康範のおいである城卓矢であった。S35年に菊地正夫の名でデビューしたもののサッパリ売れなかった。声量と歌唱力には定評があったのだが…一番悔しかったのは本人だろう。上手な人が必ず売れるとは限らないのが芸能界である。
 現在の五木ひろしなど歌唱力はあっても声量はない。以前、NHKの歌番組で布施明と加山雄三に挟まれて歌ったが、布施の美声と加山の野太い声で五木の声がまるで聞こえなかったのを覚えている。
 このまま消えて行くかと誰もが思った菊地正夫であったが、天は彼を見捨てなかった。
 S41年に不死鳥のように甦り、名前を城卓矢としていた。日本中にブームを巻き起こしたのが「骨まで愛して」だ。
 少しハスキーな声まで♪骨まで愛してほしいのよと歌えば素人女性も玄人女性も、体をもだえさせた。
 この人の魅力は、圧倒的な声量だ。古い映像をテレビで見ることがあったら注意してもらいたい。
 マイクを思い切り離しても声が響く。私の知人ではいないが、愛する人が亡くなってその骨をジャリジャリ食べる人がいるとも聞いた。まあいくら何でも骨では犬みたいだが…そんな強烈な女心を巧みに表現したのが城卓矢だ。大ヒット曲となり堂々とその年の紅白歌合戦にも出場。その人気は頂点に達した。曲に恵まれ、体を慈しんでくれたならもっと長く活躍したことであろう。53歳の若さで鬼籍に入ったことはあまりに無念だ。


生 S10・11・28
没 H1・5・9
旧樺太に生まれる。本名は菊地正規 菊地正夫の名でデビュー、41年城卓矢に改名。「骨まで愛して」の大ヒットで一流歌手の仲間入り。その後一旦引退したが53年再デビューを果たす。兄は北原じゅん(作曲家)


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2005年1月7日更新
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