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13.『りぼん』ハイセンスなお姉さん
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『りぼん』『なかよし』の表紙が完全にイラストになり、少女“漫画”雑誌へと生まれ変わったのは昭和45年ごろのこと。その後昭和48年ごろのスターブームが通りすぎて昭和50年を迎えるころにはもう、両誌の方向性はだいぶ固まっていたように思われます。
昭和50年代前半、私が小学生だった頃は同じクラスの中でも『りぼん』好きな子と『なかよし』好きな子とがいて、『りぼん派』『なかよし派』などといわれてました。といっても、世間一般でいうところの派閥争いなどはなく、お互いに貸し借りや情報交換をしたりとごく友好的な関係です。少女雑誌においての「○○派」には他にも、中学生では『マイバースデイ派』『レモン派』、高校生では『セブンティーン派』『プチセブン派』などがありましたが、それはまた別の機会にでも。このように派閥で称されるほど少女たちの嗜好が分かれていたのだから、それぞれに独自の持ち味があったのでしょう。
それでは、『りぼん』『なかよし』が進んだ各々の道とは、どのようなものだったのでしょうか?
昭和50年代の『りぼん』に新しい風を呼びこんだのは、陸奥A子先生・田渕由美子先生・太刀掛秀子先生に代表される「おとめちっくロマン」でした。フワッとしたソフトなタッチで夢見る少女のメルヘンチックな恋物語を描くこれらの作品は、登場人物の服装や持ち物、風景など作品全体をとりまく雰囲気が少女たちの心をとらえ、主要ジャンルとなりました。「おとめちっく」は上記の先生方が活躍していた昭和56年ぐらいまでの『りぼん』を語る際には欠かせないキーワードのひとつです。加えて、ゴージャスでドラマチックな作風を得意とする一条ゆかり先生に、繊細なタッチでディテールを描き込み、カラーの美しさには定評のあった大矢ちき先生や内田善美先生など、このころの『りぼん』は漫画のストーリー展開よりも、絵柄の持つ雰囲気や描かれる世界観、いわゆる「作家ブランド」で勝負する傾向があったように思われます。
もともと集英社の少女漫画誌は、描き手の作家性に委ねることでセンスやムードをウリにしていたらしく、その流れでここに行き着いたのかもしれません。
新時代を迎えた『りぼん』のふろく。特筆すべきは「ハイセンス・ハイクラス・ハイクォリティ」なデザインでした。ふろくの名前や予告のコピーはこれらの言葉のオンパレードです。紙製品中心の“ふろく”だけれども、市販品に負けない質のいい、センスのいいものを届けているんだよ、という作り手側の思いがこめられているのでしょう。以下にほんの一例を。
・ハイセンスメモスタンド&メモ(昭和51年4月号)
・ハイクラス ブックカバー(昭和52年2月号)
・ハイクォリティ マガジンラック(昭和52年8月号)
・ハイクラス ペンシルケース(昭和52年11月号)
・「とにかくハイセンスでウツクシ〜イの!」
ハンディトランク(昭和51年9月号)
・「ハイセンスのうえに使いやすさ抜群!」
カレッジケース(昭和52年6月号)
・「いままでとひと味違うハイセンスなファイル!」
フェアリー・ファイル(昭和53年11月号)
・「ハイセンスで実用的な完成品!」
花ぶらんこトランプ(昭和54年1月号)
・「ツートーンカラーでハイセンス!」
ファンシー・トランク(昭和55年12月号) |
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例えば便箋では、金押しや凹凸がつけられた表紙あり、絹目の紙や両面ともカラー印刷された中身あり。ペンシルケース、手さげトランク、マガジンラック、ファイルなどは、厚紙でしっかりと作られており、日常の使用に充分耐えうるもの。これらの文句に恥じないほどの、高級感を前面に押し出したふろくの数々には、紙製品でよくぞここまで市販品を再現できたものだと感心させられます。
また、1週間ごとの予定が書き込めるウィークリーメモノート(昭和51年3月号ほか)、クリアホルダー式の紙ばさみ(フリーホルダー 昭和53年6月号)など、これまで小学生にはあまりなじみのなかった、ソニープラザで売られているようなデザインの“ステーショナリー”も取り入れました。これらのふろくから、年少読者は街の流行や大人の使っているものを知り、それを使うことでお姉さん気分を味わうことができたのです。
おとめチックなイラストが描かれていても、落ち着いた色使いも含めて子供っぽさをほとんと感じさせない、大人が使ってもおかしくないほどのデザイン。この「ハイセンスマジック」がかけられた結果、高校生や大学生、OLや主婦までもが少女漫画誌『りぼん』のふろくに魅了されるほどになりました。
「友達の中でも一歩先行く存在でいたい、大人っぽく見られたい」と切望し、常に背伸びをしていた少女たちにとって、お姉さんテイストの『りぼん』は、まさにおあつらえ向きだったのでしょう。当時の思い出話をしているときに「そういえば『りぼん』を読んでた子って大人っぽい感じがしたよね〜」という話題がよく出るのですが、本誌の雰囲気もさることながら、このあたりにも理由があったのかもしれません。
この「ハイセンス」路線は昭和56年ごろまで続いて行くのですが、約7年もの間「ハイセンス・ハイクオリティ」を保ち続けることができたのは、読者からの熱い要望や、手厳しい意見のおかげでもあります。編集部が絶対の自信をもって送り出したふろくであっても、読者からは情け容赦ない評価が下される。読者の年齢層が幅広いこともあってか、ふろくの説明や読者からの感想を掲載するコーナー「ふろくファンルーム」では毎号、編集部と読者との熱いバトル(?)が展開されていました。ふろくが単なる本誌の付随品ではなくなっていたことの証明でもありますね。
さて、「おとめちっく」同様当時の『りぼん』を象徴するもうひとつのキーワード、それは「アイビー」すなわち日本では1960年代に「VAN」を火付け役として大流行し、あの「みゆき族」のベースにもなった「アイビールック」のことです。ボタンダウンシャツやチノパン、ブレザー、コインローファーといった定番アイテムに身を包んだ少女とボーイフレンドたちが繰り広げる「おとめちっく」な物語のことを、「おとめちっくアイビーロマン」などと呼んでもいました。その代表格が陸奥A子先生です。
この「おとめちっくアイビーロマン」と「ハイセンス・ハイクォリティ」が融合した、この時代を代表するふろくともいえるのが、「アイビーノート」と名付けられた本格派ノートのシリーズでした。教科書サイズで平とじ、表紙にはアイビールックのヤングカップル(私はファッションに疎いので、彼女らの服装が本来のアイビールックなのかは判別しかねるのですが)、さらに中身も全ページカラーでイラスト入りと、これまでにないほど力の入った作り。昭和50年11月号で初登場すると、読者の圧倒的支持を得てシリーズ化され、4年の間に7冊のノートを送り出しました。「最高級のふろく、超デラックスな本格的ノート」「ビューティフルなイラストと上質な紙、しゃれた装丁」「ヤングなセンスにぴったりの豪華おしゃれノート」と、これでもかというほどのコピーがならぶこのノートは、ジャポニカ学習帳やコクヨの大学ノートが標準装備の少女たちにとって、豪華すぎるほどの贈り物となったにちがいありません。
「アイビーノート」シリーズのラインナップは以下の通りです。
・昭和50年11月号(陸奥A子) 写真下左
・昭和51年4月号(陸奥A子) 写真下左から2冊目
・昭和51年10月号(陸奥A子) 写真上左
・昭和52年4月号(田渕由美子) 写真上中
・昭和53年4月号(太刀掛秀子) 写真下右
・昭和53年10月号(田渕由美子) 写真下右から2冊目
・昭和54年5月号(田渕由美子) 写真上右 |
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アイビールックとは本来、アメリカ東海岸の名門8大学「アイビーリーグ」の学生たちの間で広まっていた品のあるカジュアルスタイルのことで、歴史がありレベルの高いこれらの大学に通う学生たちの多くは、上流階級で家柄もよくいわばエリート。まさに「ハイセンス・ハイクラス」を地でいく存在だったのです。
創刊は『なかよし』のほうが先にもかかわらず、誌名を列挙するときに『りぼん』をつい先にしてしまうのは、やはり『りぼん』のほうがお姉さんぽい感じがするからで、そんな私も「ハイセンス・ハイクラス」という魔法の合言葉に、当時から20年以上たった今でもとらわれ続けているのです。
参考文献:『別冊太陽子どもの昭和史 少女マンガの世界2』平凡社 1991年 |
2004年5月26日更新
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