「まぼろしチャンネル」の扉へ
「番組表」へ 「復刻ch」へ 「教育的ch」へ 「東京カリスマch」へ 「日曜研究家ch」へ 「あった、あったch」へ 「再放送」へ 「ネット局」へ
子どもの頃の大ギモン掲示板
懐かし雑貨店「アナクロ」
ノスタルジー商店「まぼろし食料品店」
思い出玩具店「昭和ニコニコ堂」
チビッコ三面記事
「秘密基地」の時代
まぼろし第二小学校
珍商売あれやこれや
秘宝館
掲示板
マガジン登録
メール
まぼろし商店街
まぼろし洋品店

「薬局」タイトル

大学目薬 串間努
 第8回「参天製薬」の巻

 小学生のころ、プールに入るときには儀式があった。海水パンツに着替えた私たちは、まずシャワーを頭から浴びる。「冷てえー」などとキャッキャ騒ぎながら、体を洗うと、次はなんといえばいいのか、腰洗い槽? 腰まで浸る浴槽みたいなものに沈まなくてはいけなかった。たぶん下半身の消毒だったのだろう。「1、2、3……」と浸かっている秒数を数えさせられたものだ。そして、楽しいプールの時間から上がると、またシャワーを浴び、洗眼シャワーで目を洗った。
 その後である。ビンボーな子とそうでない子との明暗が分かれるのは。6月のプール開きになると決まって、学校から子ども専用の目薬を買わされた。ところがビンボーで買って貰えない子も多い。私はプール後に目薬を差している子に「一滴だけでいいから」とねだって、貴重な目薬を押し頂くのであった。ありがたや、ありがたや。
 「それは昭和45年ころ発売した『大学プール目薬』ですね。パッケージにはヨットの絵だったんじゃないかな。詳しいことはわかりませんが学校薬剤師を通して学校で売ったのでしょう。直接的な名前で判りやすいんですが、プールのシーズンしか売れず、終わったらたくさん返品されましたよ」と参天製薬K氏は笑う。冷夏だとプールに入る機会が少ないので売れないし、結局、数年で発売を止めたまぼろしの目薬らしい。
ヘブリン丸 もともとは明治23年に風邪薬「ヘブリン丸」の発売から出発した参天製薬の目薬の歴史は古い。
 明治時代の家庭の燃料はマキ。火が爆ぜたり、煙りが目に染みたりと目に対する衛生環境も悪かった。一般の人はそんなとき、ホウサンで目を洗うくらうしかできなかった。そんな中の明治32年に参天製薬の前身である田口参天堂から「大学目薬」が商品としての目薬としてはじめて発売されたのだ。帝国大学附属病院眼科の処方に基づいたもので、当時の毎日新聞購読料が33銭の時代に10銭と、高価な割に大評判を生んだ。
大学目薬 「商標の博士マークは、ドイツのベルツ博士と言われてますが、実際にはどなたなのか定説がありません。『末は博士か大臣か』ということで博士とか大学という言葉に権威を持たせた時代だったのでしょうね」

 現在の目薬は、容器を逆さに持ち、点眼するが、当時は違う。ガラス棒が目薬に附属していて、ガラス棒に薬を浸してから、目の上で振っていたのである。
 昭和31年頃まではトラコーマ(トラホーム)や赤目など伝染病治療を主な用途だったが、公衆衛生が向上したことと、ペニシリン目薬の普及などでトラホームは激減。その後は、流行性結膜炎など新しい眼病に対応した。昭和40年以降はテレビの普及やオフィスのOA化による疲れ目(眼精疲労)や充血などに効く、健康人向けの用途にシフトしてきた。容器もガラス瓶入りだったのが、高度成長時代を反映して、昭和37年にはなじみの深い台形のプラスチック製となった。
 昭和50年代からはセグメント化が進む。中高年には細胞賦活作用を狙ったビタミンE配合のものを、若者にはスキッとした爽快感を狙ったものを、子ども用には差し心地が柔らかいものを、それぞれ販売。疲れ目にビタミンを配合したOA用や、美しい目を保つ女性用も開発している。
サンテALクール 昭和末期からは花粉症にも対応、「サンテALクール」という抗アレルギーの目薬を発売した。
 大学目薬そのものは、硫酸亜鉛が主流の製法を代えることなく今も健在で、安心感からか親子三代にわたるファンも根強く多いという。
 21世紀を目前にし、ますますOA化が進み、目の疲れを訴える人も多い。そんな人の目を今日も癒し続ける。

●毎日新聞を改稿


2003年5月15日更新
ご意見・ご感想は webmaster@maboroshi-ch.com まで


第7回「グロンサン」の巻
第6回「レモン仁丹」というものがあったの巻
第5回「かぜ薬」の巻
第4回「メンソレータム」の巻
第3回「マキロン30周年」の巻
第2回「虫下しチョコレート」の巻
第1回「エビオスをポリポリと生食いしたことがありますか」の巻


「日曜研究家チャンネル」の扉へ