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今年は終戦から70年の節目の年。それに関連しての特集や報道を、テレビをはじめ雑誌や展覧会など、さまざまな場所で目にすることが多いですね。

上にチラシを掲げた「衣類が語る戦争」展も、そのひとつといえるでしょう。何より、私の尊敬する蒐集家であるH氏が、ご自身のコレクションを提供されたと聞いては、見に行かずにはおられません。今月末までということもあって、旦那さんと娘を連れ、家族3人で行ってきました。

場所は、新宿駅から甲州街道を西へ向かったところにある、文化学園服飾博物館です。私も旦那さんも、新宿には縁薄い方で、娘はもちろん初めて。高いビルが立ち並ぶ繁華街に興味しんしんで、親ともどもお上りさんのようにキョロキョロするしまつ。館内に入ると、平日の午後という時間でありながら、年配の女性でにぎわっており、みなさん熱心に展示を見ておられました。

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会場に展示されている品の点数は、思ったより多くない印象でしたが、よく知られている戦時中の国民服にはじまり、戦車や飛行機が描かれた子供着、不要な着物を改造することで生まれた更生服、代用材料のドレスなど、当時の世相を垣間見れるものばかり。
感心したのは、先の戦争だけでなく、日清・日露から、第一次大戦当時のモノまで展示されていたこと。戦争が衣服や布製品に及ぼした、デザインや素材への影響には、ここ数十年だけでない長い歴史があることがわかりました。勉強になるなぁ。

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気になるH氏所蔵の展示品は、紙縒糸(紙の帯を細い糸状に縒ったもの)で織った服や、スフ(ステープル・ファイバー、合成繊維の一種)製の服など、傷みやすく保存が難しい素材の品が少なくないにもかかわらず、いずれもとてもよい状態だったのが印象的でした。骨董市でお会いすると、常に厳しい目で品定めをしていたHさんの様子が思い出されて、「さすがだなぁ!」と、尊敬の思いが増したものです。

当時のモノたちは、時間がたって色あせているせいもあってか、どうしても暗い色合いのモノが多くなってしまうのですが、そんな中で子供服だけは、色遣いが華やかなだけでなく絵柄も斬新ときていて、物資の乏しい中でもわが子の成長を願う親の姿が垣間見え、一児の母としてはついつい見入ってしまうのでした。

そうそう、一緒に行った旦那さんは、紙縒糸で織った女性服や、ミノムシの蓑袋を平たく伸ばして継ぎ合わせた鞄に、特に関心を示しており、人が編み出す工夫というもののすごさに驚いていました。
セミのぬけがらを生のまま(!)持ち歩くのが好きな娘に、「ミノムシのおうちで鞄がつくれるよ」なんて話したら、「自分もつくる!」って、ミノムシ探しの旅に出そうだな‥‥、なんて思ったりして。

展示は衣服にとどまらず、洋裁研究雑誌「装苑」の戦時中の号や、木や貝でできた代用品のボタンなど、関連するさまざまなモノまで押さえているあたり、さすが服飾博物館。
娘とこういう博物館へ来たのは、はじめてのことでもあり、落ち着いてじっくり見るというわけにはいきませんでしたが、以前にくらべるとだいぶききわけがよくなって、静かについてきてくれるようになりました。今後もなるべく、こういう機会をつくっていきたいですね。


【 お ま け 】
早いもので、8月も終わりますね。最後の週に入ったとたん、急に気温が下がって朝は18度です。びっくり! そんな秋の知らせとともに、義理の父の一周忌があります。昨年の今ごろは大忙しでしたケド、この一年、本当に早かったなぁ。

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8月のはじめには、故郷にも帰ってきましたが、暑かったです。連日晴天で、雨の心配ゼロ。そんな山陰も珍しく、いい時に帰ることができたと感謝しています。そうそう、地元では素敵な古道具屋さんを発見しました! 次回ご紹介しますね。

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朝早くからテンション高めの娘、水平線から出てきたばかりの朝日を前に、さっそくシャボン玉遊びです。

No.252  メンソレータムの木製ぞうさん - ガラクタ共存記

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長さ9.5センチ、高さ5.5センチという、手のひらに乗るくらいの、小さな木でできたぞうさんのおもちゃ。絵の具でつけられた色はかすれ気味で、上塗りされたニスもむらがあり、決して丁寧とは言えないつくりですが、駄玩具そのものの素朴さに魅力を感じて、骨董屋さんの古い棚の中から手に取ってみました。

転がしてみると、カラカラと音を立てて軽やかに走ります。錆びて茶色くなった車輪は、ブリキのプレスを二枚あわせたもので、釘で板に打ち付けてあるだけというこれまた素朴な感じ。娘も「かわいい~」と気に入ったようだったので、我が家の仲間としてお迎えすることにしました。

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最初に見たときは、ぞうさんが右を向いた状態だったので、台座に書かれた「薬庭家の界世」の文字が目に入りました。ははあ、薬屋さんで配ったようなノベルティか、とすぐ見当がついたところでひっくり返してみると、「ムターレソンメ」! なるほどメンソレータムなら、「世界の家庭薬」のフレーズも納得です。つくりからして、まず戦前製と思って間違いないでしょうから、近江兄弟社時代のノベルティではないでしょうか。

本当に子供の手に渡ったのなら、この素朴なつくりからして、すぐに壊れてしまったでしょうから、大人の手でどこかにひっそりとしまわれて、大切に保管されていたに違いありません。きっと私のような小物好きのお母さんがいて、「子供に壊されたら、ぞうさんがかわいそうだわ‥‥」なんて、引出しの中にこっそりしまい込んだのかも‥‥と、あれこれ想像してしまいました。


【 お ま け 】

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我が家には、お友達の絵本作家、たごもりのりこさんの絵本がたくさんあります。最近、字が読めるようになった娘は、たごもりさんの絵本はどれを開いても、見返しに「〇〇〇ちゃん(娘の名前です)へ たごもりのりこ」と、自分あてのサインが入っていることに気づき、嬉しくて仕方がないようです。
以前、娘を連れて個展にうかがったときは、まだ赤ちゃんで何もわかりませんでしたから、今度たごもりさんとお会いしたら、「絵本を描いた人だ!」と、きっと大喜びすると思います。

そうそう、絵本といえば、携帯用の絵本なんてあるんですね! 単に小さい絵本、という意味ではなく、既刊のよく知られた絵本が、絵柄も装丁もそのまま、ぎゅっと縮小されているのですから、ステキじゃないですか! 
写真の「はらぺこあおむし」は、縦10センチ、横13センチという可愛らしいサイズで、「愛蔵ミニ版」というのが正式名称みたい。娘との旅行のときに持っていこうと、三冊買っちゃいました。

ボロサウナを巡る旅、第二弾。前回はこちら


サウナ太洋(横浜市中区長者町)

青江三奈の「伊勢佐木町ブルース」は言わずと知れた昭和歌謡の大ヒット曲。伊勢佐木町は横浜きっての繁華街だが、直交する長者町はクレイジーケンバンドの「長者町ブルース」で、ダークサイドヨコハマと歌われている。この界隈はビジネス街の関内、ソープ街の福富町、ドヤ街の寿町にも近く、混沌とした横浜の夜を象徴している。

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サウナは至近距離にニュージャパンハイランドニューシティーと激戦区。しかし、目指すはサウナ太洋。横浜といえば大洋ホエールズだが、配慮すべき大人の事情でもあったのか、大洋ではなく太洋。残念ながら今年3月末に閉店したが、相当な年季の入り具合と薄暗さはドン引きレベル。

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バイブラ湯、水風呂、サウナの最低限で勝負とは潔い。がらーんとして落ち着かないが、独りをよいことにサウナ室では横になってみたり。剥離したサウナ室の天井を見上げていると、気分はいっそう沈む。

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サウナ屋の休憩室といえばリクライニングシートが定番だが、ここは2段ベッドがずらりと並ぶ。かっこよく言えば大部屋のドミトリー。しかし、その雰囲気は簡易宿泊所。昼間から寝ている人たちは、何を目的にやって来たのだろうか。

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サウナ国際(東京都江東区亀戸)

サウナ=おじさん=インターネットやらない、という構図なのか、公式サイトを開設していないサウナ屋は多い。情報を求めてグーグルマップを彷徨うが、そこで見つけたボロサウナがこちら。建物こそ立派だが、岩風呂を売りとしているあたり興味深い。

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国鉄のストライキの時は、足の踏み場がないほど客が詰め掛けたという。閑散とした現状からは想像もつかないし、ひたすら雑誌を読みあさるオジサンはいつになったら風呂場に行くのか。館内着に身を包んだ時点で、もはや「ととのって」しまったのか。サウナに集う客に謎は多い。

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サウナでは汗をかくだけでなく、惰眠を貪り、そして腹が減ったらメシを食う。メニューを見れば本気度がよくわかる。カップラーメンが堂々と名を連ねている時点で意味不明だが、カレーライスを注文すれば「レトルトだげどいいですか?」と。

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休憩室には布団が敷き詰められていた。「国際」の名の由来など、もはやどうでもよい。ここでは誰の目を気にするでもなく、自由に過ごせばよい。それがサウナの魅力。そしてダメなオジサンになっていくのだ。

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