第15回「バックル文化なぜ消えた」の巻
子どものころは必ずバンドをしていたが、あれは貧乏だったから大きめの服を着せられていたから、絶対にバンドをしないとズボンが落っこちてしまったからなのだろうか……。ベルト通しだけのままズボンを履いているのは大変恥ずかしいことで、なんだか足元がスースーするような感覚があった。ベルトは遊びでも大活躍していて、ベルトを2つに折り曲げて、たわめたり力を入れたりしながら「パーン!」という轟音を出したり、すごい勢いでベルトを引き抜いて「シンドバッドごっこ」をしたり(当時「冒険シンドバッド」というアニメ番組があったのです)。
もともとバックルはベルトを留める機能を持つ金具であった。それがデザイン性を主張しはじめたのには理由がある。西部開拓時代に、カーボーイたちがバックルをアクセサリー化していったのだ。カーボーイの仕事は家畜を泥棒などから守ることだ。しかし西部の広大な平野で、近づいてくる人間が敵なのか隣の牧場のカーボーイなのか判断するのは難しい。そこでバックルに牧場のマークを大きくいれて身分証明書のように利用したのだ。のちにロデオ競技ではトロフィー代わりに派手なバックルが与えられることもあったという。プロレスのチャンピオンベルトもその流れにあるのだろう。
ここで紹介した「講道館バックル」や「裕次郎バックル」は昭和三二年から三五年の通販広告商品。そう考えると、西部劇ブームやプロレスブームだったことから子どもの間でアートやアクセサリーとしてバックルがもてはやされていたことも頷けるではないか。
●「小さな蕾」を改稿
2006年10月5日更新
第14回「懐かしき「講義録」の世界」の巻
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第12回「子どものラジオ」の巻
第11回「高額品は月賦で」の巻
第10回「実用性のある銃からモデルガンへ」の巻
第9回「子ども万年筆」の巻
第8回「鼻薬といえば『ミナト式』 ちくのう症から花粉症へ」の巻
第7回「睡眠学習器」の巻
第6回「エックス線メガネ」の巻
第5回「ハーモニカ」の巻
第4回「エヂソンバンド」の巻
第3回「スパイカメラ」の巻
第2回「コンプレックス科 体重・体格類」の巻
第1回「コンプレックス類 身長科」の巻
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