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第7回
『かもめの水兵さん』 |
日溜まりの公園で、暮れなずむ街角で、夜のしじまの中で、ひとり「童謡」を口ずさむ時、幼き日々が鮮やかによみがえる…。この番組では、皆様にとって懐かしい童謡の歌碑を巡ってまいります。今回は、『かもめの水兵さん』です。
昭和8年の秋、横浜港のメリケン波止場に叔父を見送りに来ていた童謡詩人で童話作家の武内俊子*は、桟橋に飛び群れていたカモメを見て強い印象を受けました。彼女は後にこの印象を元に童謡『かもめの水兵さん』の詞を書き、河村光陽**がこれに曲を付けました。昭和12年にこの歌のレコードがキングレコードから発売されましたが、歌っていたのは光陽の娘で童謡歌手の河村順子(当時11才)でした。
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『かもめの水兵さん』
作詞 武内俊子(たけうちとしこ、1905−1945)
作曲 河村光陽(かわむらこうよう、1897−1946) |
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1.かもめの水兵さん
ならんだ水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波にチャップチャップ うかんでる
2.かもめの水兵さん
かけあし水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波をチャップチャップ こえていく
3.かもめの水兵さん
ずぶぬれ水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波でチャップチャップ おせんたく
4.かもめの水兵さん
仲よし水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服
波にチャップチャップ ゆれている |
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『かもめの水兵さん』の歌碑は、山下公園の氷川丸のそばに立っています。ここから港を眺めると、カモメが気持ちよさそうに波間にチャプチャプと揺れているのが見られます。この光景は当時も今も変わりません。
大正時代の童謡運動は『赤い鳥』などの児童雑誌を中心に展開されましたが、昭和に入るとラジオやレコードが急速に普及し、そこから新たな童謡が生まれていきました。『かもめの水兵さん』はそのうちの一つなのです。作曲者の河村光陽は、昭和4年NHKラジオ(東京)でタクトを振り、後にポリドールを経てキングレコード専属作曲家となっていますが、これは童謡の作曲だけで生活ができる時代が到来したことを示しています。明治末期の作曲家は教職の傍ら作曲にいそしみましたが、それとは隔世の感があります。
*武内俊子 明治38年、広島県三原市生まれ。県立広島高等女学校卒業後、大正14年上京して結婚。4児を育てるかたわら、数多くの童謡、童話を書き残すが、昭和20年に死去。享年40才。
**河村光陽 明治30年、福岡県赤池町生まれ。小倉師範卒業後、上京。昭和11年から童謡の作曲に専念。武内俊子の作詞の『船頭さん』、『リンゴのヒトリゴト』にも曲を付ける。昭和21年に死去。享年49才。
[参考文献 |
日外アソシエーツ『昭和物故人名録(昭和元年〜54年)』紀伊国屋書店 昭和58年 |
『河村光陽作曲 中根庸子・梅沢雅子 愛唱童謡曲集』キング音楽出版社 昭和23年] |
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場所:神奈川県横浜市中区山下公園内(氷川丸のそば)
交通:JR石川町駅下車、徒歩約20分
2003年8月14日更新
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