串間努
第9回「カラーヒヨコがピヨピヨ」の巻
一年生の梅雨の日、下校しようと思って、校門を出るとなんだか人だかりがして騒がしい。
「あ、なんか売ってる」
友だちは叫んだ。その頃はよく校門前に『磁石人形』売りのオジサンや『マジックノート』を売るお兄さんが現れたものだ。
今日はなにを売っているんだろう。
ボクらが近づくとそこには赤や青の『ひよこ』がピヨピヨと鳴いていた。
普通の『ヒヨコ』は黄色い。だけどこのヒヨコはカラーヒヨコなのだ。珍しいなあ。
当時の子どもたちはその場ですぐに100円を出せるほど、おこづかいを貰っていなかったから、ボクはダッシュで家に帰り「お金をくれ」とせがんだ。早くしないと間に合わない。
だが、あいにくその日は父親がいた。「そんな人工的なヒヨコ、弱っているからすぐ死ぬぞ」と言って、飼うことを許してくれない。ううう。ボクは涙をのんであきらめた。
「ウチもダメだって」
続々戻ってくる友だちの多くは親に反対された。その中のほんの一部が『ピヨピヨ』となくヒヨコを両手で大事に包みこんで帰っていく。
父親のことば通り、みんなは「すぐ死んじゃった」といってたけれど、親友の和田くんだけはこれをうまく育てて『ニワトリ』にした。快挙だった。
生まれた時から赤や青のワケはなく、着色しているのだが、これを考え出したのはなんとみなさんも知っている人というか会社なのだ。
「あ〜ら、よっちゃんの〜酢漬けイカ!」というCMソングを知らないだろうか。駄菓子屋でおなじみの「よっちゃんイカ」を作り出した人がカラーヒヨコの元祖なのだ。
よっちゃんの社長は、最初は甲府のたんぼや川にいるメダカを空きびんに入れて売った。だけど水が冷たいから獲りにいくのがイヤになったので、次にカブトムシを採ってきて東京で売った。でもよっちゃんは、カブトムシを取りに行くさえ面倒くさい。そこでふと気がついたのがオスのヒヨコだった。卵を産まないオスは捨てられてしまう。欲しいと言えばいくらでもくれる。そこで、死んでるオスは、クチバシと足をハサミで切ってスズメの形にして、「スズメ焼き」として売った。
生きているオスはきれいに拭いてやって、ほっぺたのところに口紅で丸を描いて化粧して売ったという。最初は『化粧ヒヨコ』だったのだ。しかしこれを作るのは、相手が動くから捕まえて口紅に塗るのがタイヘンだった。そこで、生産性を高めるためにど〜んとコンプレッサー(霧吹きスプレー)でヒヨコの全身をピンクでシューッと塗った。これは昭和三十年代初頭の話しだという。口紅で塗るのが面倒なのでスプレーで一吹きに塗ったというのが愉快痛快、豪快ではないか。
今ではあまり見かけない。たぶんこれからもカラーひよこに出会えることはないだろう。
一期一会であった。
●「毎日小学生新聞」を改稿
2003年7月23日更新
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