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第11回「幸福の手紙ってマルチ商法と紙一重?」の巻
日曜研究家串間努


 新聞に寄りますと!

新聞見出し

 『幸福の手紙』が現れだした、21日品川区大井滝王子町Mさん(21)の手元に大森大邸宅吉田洋子という差出人から次の如き文面の葉書が舞込んだ。
 この葉書と同一のものを24時間以内に9人の人に発送すれば幸運が来ます、私もある人から受け取ったのですが、貴女も迷信と思はず出して下さいとあった、この種の手紙は大正の末期から昭和にかけて流行したもので警視庁ではこれが広く流布されると自然国民生活にも恐怖をあたえるのでこんどは警察犯処罰令第2條第1項第10号に規定してある「妄に吉凶禍福を説き、又は祈祷符呪等を篤し若は守札類を授興して人を惑わしたる者」との解釈を下し三日未満の拘留又は二円未満の科料処罰に附すこととして捜査を進めている。
(毎日新聞/昭和21年8月24日)

幸福の手紙などチェーンレターの起源

 アニメのドラえもんでも「不幸の手紙同好会」という巻(1980年放映)があったりして有名な不幸の手紙。いまは迷惑メールにとって変わられているが、ついこのあいだまでは「棒の手紙」というのがあったという。「不幸」という字を間違えて「棒」にしたというインターネットの「2ちゃんねる」のような確信犯的誤記である。

 「幸福の手紙」「不幸の手紙」は、細部は異なるが同じ文面を多数の人に出さないといけないと強制される手紙である。出さないと不幸になるとか、出せば幸福になるとか心理的圧迫感を与え、無視することができない気の弱い人間が同じことを繰り返してしまい、だんだんと連鎖の輪が拡がっていってしまうのだ。電子メールが普及している現代では、知らないひとからの広告やウイルスや怪文書などは毎日のようにやってくるので麻痺してしまっているが、手紙と電話しか連絡手段がない時代に運ばれてくる正体不明者からのメッセージはさぞ気持ちが悪かったことだろう。一時は雑誌の文通欄に住所を掲載するとこの手の手紙が殺到することがあり、編集部が「そんな手紙は相手にせず編集部に送ってくれれば処分します」というメッセージをだすことがあった。差し出し人のわからない手紙はコワイが、本事件では「大森大邸宅吉田洋子」となっており、なんだか笑ってしまうではないか。

 幸福の手紙と不幸の手紙(以下チェーンメール)のルーツは、記事によれば「大正の末期から昭和にかけて流行した」とあるが、昭和10年3月にアメリカのコロラド州のデンバーで始まったという説もある。
 『以下に記されている5名に10セントづつ送付しなさい。その後、5名の最初の名前を消し、5番目の所に自分の名前と住所を書き入れた同じ文面を作り5名に郵送しなさい。そうしないと、あなたの身に不幸が訪れます』
 デンバーの人々は文面に従った人が多く、デンバー郵便局には1日に10万通の不幸の手紙が届いたという。

 お金をからませたチェーンメールでは、昭和23年に日本で「福運の手紙」が現れた。『これを受取ったら、7人以上に同文の手紙を出すと同時にこの手紙の指定する1人に金2円を送金せよ、シカラバ49日以降確実に1600万円余の金があなたに転げこむ』という。デンバーの手紙を「不幸」から「福」に代えた感じである。

 戦後、小、中学生徒の間で他の生徒と友情をむすぶ手紙の交換や、水害地などへの見舞状をさかんに出すような傾向となった。切手評論家の平岩道夫がペンフレンド運動のはしりである「郵便友の会」を結成したのは昭和24年で、この会は全国に3000を数える学校に支部が置かれたほどだった。

 携帯もメールもないとき小中学生は手紙で連絡を取り合っていた。そこに幸福の手紙がつけいるスキがあり、昭和29年にまた大流行となった。しかもそのときは「12時間以内に出さねば逆に不幸になる」というパターンであったから現実と迷信の世界の区別がつかない子どもたちは死の恐怖にまで脅えるパニックとなった。

 この年は大人の世界にもチェーンメールが流行し、それはデンマーク発のものだった。6名のデンマーク人の名が書いてあり冒頭の1人に3ドルか1ポンドを送金すると、9375ドルか3125ポンドというお金が入るという手紙で、72時間以内に送らねばならなかった。手紙を受けとった人には幸運が訪れ、放置すると不幸が訪れるとされ、「去年アメリカの実業家スミス氏は幸福の手紙放置後2ヵ月で死亡した」と脅している。

 昭和35年には、「インタナショナル・ボリューム・ゲーム」という名前で幸運の手紙が流行した。
 当時の国民病であった結核の子どもたちのためという大義名分を振りかざしているのが厄介であった。
 「このハガキを受けとった人は3日以内にこれと同じ文章を書いて5人の知人にハガキを出して下さい。そのときに、このハガキに書かれてある5人の人の名前のうち最初の人(Aとします)を除いて、以下順番に名前をくり上げ、最後にあなたの名前を書き加え、Aには別に絵ハガキ1枚を送って下さい。そうすれば、4週間もすると全国からあなたのところへいく枚もの絵ハガキが来る計算です。絵ハガキが着きしだい、東京都清瀬局区内、小児結核療養所絵ハガキ係へ転送して下さい。これは清瀬の子どもたちが絵ハガキを集めたくて始めたそうです。このゲームが中断されると子どもたちが悲しみます……」という友情の絵葉書リレーだったが、本当に皆が協力したら大変な数字になってしまう。

 昭和47年には北海道の子どもたちの間で口コミの怪談版チェーンメールが流行った。化神魔(かしま)サマの呪いというものだ。「この話を聞いて三日めの、夜中の十一時から午前三時の間に『化神魔サマ』のという下半身のない妖怪が、キミの前に現れ三つの質問をする。そのとき正直に答えないと、呪い殺される」というものだ。「もし呪い殺されたくなかったら、三日以内に、同じことを五人に正確に伝えなければならない」という条件つきだからたまらない。五人が二十五人。二十五人が百二十五人にと、ネズミ算式にひろがった。つまり、ひところ大流行した<幸福の手紙>の口こみ版。地元の新聞社に『化神魔』の正体を問い合わせる電話がかかりだしたというから、本土上陸も時間の問題だ」(『平凡パンチ』1972、8−14合併号)

 現代っ子の筆無精は、「幸福の手紙」にまで及び、手紙離れはこのころから始まっていたのである。

ページ制作者の小学生時代に届いたチェーンメール

チェーンメール

書きおろし


2003年8月19日更新
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