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今柊二
「スターウォーズと秦野邦彦」
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あれは私が小学校5年のとき、1978年のことであった。この年は、私にとってはまさに「オタク人生元年」とでも言える年で、その後の人生の進路がほぼ決定された年であった。高学年になったためクラス替えとなり、新しい連中と一緒になった。とは言っても、私の通っていた小学校は、市内の真ん中にあって、ドーナツ化減少のため、児童数が減少している小学校で、一学年も花組と月組の2クラスしかなかったのだが。
そして新学期はじまってまもない頃、休み時間の廊下で話をしている連中がいた。そのうちの一人は何かをやたらと力説していた。なんだか気になったのでそばによってみた。
「…ともかく、その映画には、ロボットやら宇宙船がいっぱい出てくるんだ」
力説していたふっくらした顔のカリメロのような髪型の男子は、そばによってきた私をちらりと見た。
「それ何の話?」
私の問いかけに、そのカリメロは、少しとまどったようだが私の方を見た。
「ああ、スターウォーズだよ。アメリカのSF映画だ」
なぜかカリメロは標準語でしゃべっていた。
それが秦野邦彦との最初の出会いであった。この男は、私のオタク人生に強い影響を与えた人物であり、この男が1978年という重要な年に私の目の前に現れたことも実に運命的であった。
このエッセイに記してきたが、当時の私は「宇宙戦艦ヤマト」やら「マジンガーZ」やらの日本もののテレビマンガ(アニメという言い方はまだそれほど普及していなかった)にはゾッコンだったが、海外ものはまったく興味の外にあった。というより、そもそもそんな海外映画の情報などは、当時はひなびた地方都市にはなかなか伝わってこなかったのである。
私は、そのカリメロこと秦野にもう少し詳しくその「スターウォーズ」とやらの話を聞いて見た。それは、宇宙を舞台とした冒険話で、見たこともないようなリアルな宇宙船やロボットが次々と登場するそうで、それを見ると「バカバカしくて、テレビマンガなんか見ていられないよ」と言う(まだその時点では日本公開されていないのに)。さすがにそこまで言われると、非常に気になったので、今治銀座にある阿部書林に行って調べることとした。昔は(といっても1970年代だが)書店での大人コーナーと子供コーナーの世界の棲み分けは厳然たるものがあり、なかなか大人コーナーで雑誌を読むのは至難の技であった。しかし、私はそのころから重度の本マニアで、書店でもマンガ以外にも文庫本などを毎週のように買っていた。そのためか、書店でも顔を知られており、書店の人たちも、私が大人用の雑誌コーナーで立ち読みしていても、「ああ、あの子は本好きだから」と何にも言わなかったのだった。
特に、阿部書林は大人向けの雑誌が非常に充実しており、映画雑誌も豊富だった。そのなかで私が手に取ったのは、B5版の分厚い雑誌であった。それは「季刊
映画宝庫 SF少年の夢」であった。確か値段も1000円近くして高かったが、お年玉の残りか何かがあったのだろう、結局その本を買ったのだった。ところが、この本は実によい本で、SF映画の重要な作品がすべて解説されており、入門書として最適であった。「スターウオーズ」はもちろんのこと、「2001年宇宙の旅」「原子水爆戦」「禁断の惑星」「渚にて」など、映画の写真つきで紹介されていた。私はさながら怪獣図鑑を読むような感覚で、その本を読み、SF映画とSFの基礎を徹底的に頭にたたきこんだのだった。
ちなみに、この本は芳賀書店というところから出版されていた。現在も神保町にある芳賀書店はもともと映画の本を多く出していたのである。もっとも、当時は、自分がそれから7年後に上京して、その芳賀書店でエロ本を買うようになるとは夢にも思っていなかった(笑)。
(続く)
2003年4月21日更新
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