第8回
『證城寺の狸囃子』 |
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日溜まりの公園で、暮れなずむ街角で、夜のしじまの中で、ひとり「童謡」を口ずさむ時、幼き日々が鮮やかによみがえる…。この番組では、皆様にとって懐かしい童謡の歌碑を巡ってまいります。今回は、『證城寺の狸囃子(たぬきばやし)』です。
千葉県木更津市に「證誠寺」というお寺があります。昔、中秋の名月の晩にこの寺の庭に大小百匹余りの狸が現れて「證誠院のペンペコペン、おいらの友達ゃドンドコドン」と声を合わせて歌いながら腹鼓を打っていました。これを見た住職が興に任せて彼等と一緒に踊り騒ぎ、それが幾晩にも及んだそうです。しかし、ぱったり狸達が訪れなくなった翌朝、あやしんだ住職が境内の藪かげを見ると、腹を叩き割った大狸の死骸を見つけました。住職はこれを哀れみ、ねんごろに葬ってあげました。このお寺の伝説に基づき、野口雨情*が詞を作り、中山晋平**が曲を付け、童謡『證城寺の狸囃子』は生まれたのです。
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『證城寺の狸囃子』(『金の星』大正14年1月号 に発表)
作詞 野口雨情(のぐちうじょう、1882−1945)
作曲 中山晋平(なかやましんぺい、1887−1952) |
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證、證、證城寺
證城寺の庭は
ツ、ツ、月夜だ
皆出て来い来い来い
己等(おいら)の友達ァ
ぽんぽこぽんのぽん
負けるな、負けるな
和尚さんに負けるな
来い、来い、来い来い来い来い
皆出て、来い来い来い
證、證、證城寺
證城寺の萩は
ツ、ツ、月夜に 花盛り
己等の友達ァ(現在は「己等は浮かれて」)
ぽんぽこぽんのぽん |
この歌の歌詞は実は前月の『金の星』大正13年12月号に発表されていたのですが、晋平は曲を付けるに当たり、歌詞を修正しています。
(『金の星』大正13年12月号掲載の歌詞)
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修正に当たって晋平は雨情の了解を取ろうとしましたが、雨情は不在で連絡がつかず、事後承諾してもらったのです。この大正14年1月号の歌詞と現在の歌詞を比べると、更に若干の修正が施されていることがわかります。歌を、より楽しく、より歌いやすくするため、彼等は絶えず工夫をしていたのです。
『證城寺の狸囃子』の歌碑は、昭和31年にこの證誠寺の境内に建てられました。歌詞の碑と五線譜の碑を組み合わせたもので、刻まれている歌詞の字は雨情の、五線譜は晋平の遺稿から取られています。
ところで、お寺の本来の名前が「證誠寺」であるのに対し、歌の中では「證城寺」となっていることに、皆様お気づきのことでしょうか。実は、雨情が作詞の参考にした郷土誌(『君不去』明治38年)に、誤ってお寺の名前が「證城寺」と印刷されていたのです。巷間の説に、「この歌が発表された当初、寺側から『不謹慎である』という抗議がなされ、雨情がお寺の名前を『證誠寺』から『證城寺』に書き換えた」というものがありますが、どうやらこれは間違いのようです。この碑の奥には、昭和4年にこの歌の流行を記念して地元の人々が建てた「狸塚」があります。ちょうど木立に囲まれていて、今も物陰に狸が潜んでいるような雰囲気を醸し出しています。
今日、證誠寺は木更津を代表する観光スポットとなっていますが、この歌が歌い継がれていく限り、その地位は今後も揺らぐことはないでしょう。
取材協力:證誠寺
*野口雨情 明治15年、茨城県多賀郡北中郷村(現、北茨城市)生まれ。15才の時上京し、伯父宅に寄宿する。34年、東京専門学校高等予科文学科(早稲田大学の前身)に入学。坪内逍遙の薫陶を受ける。その翌年、詩壇にデビュー。大正8年、『船頭小唄』を作詞し、中山晋平を訪ねて作曲を依頼。また、この頃から童謡の発表を開始。多くの作品を残す。昭和20年に死去。享年63才。
野口雨情(『現代日本文学全集37』改造社 昭和4年より) |
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**中山晋平 明治20年、長野県下高井郡新野村(現、中野市)生まれ。教員生活1年の後、39年上京。島村抱月の書生を務めながら、東京音楽学校を卒業。大正3年、抱月主宰の芸術座公演の劇中歌『カチューシャの歌』を作曲し、好評を得る。以後数々のヒット曲を手掛け、昭和23年からは日本著作権協会会長を務める。昭和27年に死去。享年65才。
[参考文献 |
『木更津證誠寺狸塚縁起』證誠寺 |
『童心の詩人 野口雨情』いわき市立草野心平記念文学館 平成12年 |
下中邦彦編『音楽大事典第4巻』平凡社 昭和57年] |
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場所:千葉県木更津市富士見 證誠寺境内
交通:JR木更津駅西口より、徒歩10分
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(『金の星』大正13年12月号掲載の歌詞)
證城寺の庭は
月夜だ 月夜だ
友達来い
己等(おいら)の友達ァ
どんどこどん。
負けるな 負けるな
和尚さんに負けるな
友達来い。
證城寺の萩は
月夜に 月夜に
花盛り
己等の友達ァ
どんどこどん。 |
2003年9月5日更新
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