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「三面記事」タイトル

『切り出しナイフ』

第12回「子どもに刃物は持たせるな」の巻

日曜研究家串間努



新聞の見出し

 来月下旬から全国的にはじまる「刃物をもたない運動」にさきがけて20日午前10時半から東京日本橋白木屋デパート7階ホールに約500人のお母さんたちが集まり「家庭から不必要な刃物を一掃しよう」と誓い合った。
 東京母の会連合会(吉川政枝会長)主催で、片淵警視庁少年課長、長谷川都青少年対策課長らを助言者にして熱心に話合いを行い
(1) こどもたちの身の回り品をよく気をつけ、刃物を持たせないようにする。
(2) 刃物の所持をあこがれさせるような映画、テレビ、出版物の自粛を呼びかける。
 などを申し合わせた。
 とくに浅沼事件の犯人が17才の少年であったことはお母さんたちに大きなショックを与え、ほとんどの発言はこの問題に集中、どのようにしたら子供たちから刃物を遠ざけることができるか「ピストルや短刀が毎日のように出てくるテレビの俗悪番組を追放してほしい」と いう目白地区代表の発言が拍手をあびていた。
(毎日新聞/昭和35年10月20日)

◆刃物事件の抑止運動で、鉛筆が削れない子ども増加

ボンナイフ

 小学校時代は、安全剃刀にブリキの柄がついたボンナイフで消しゴムを彫って、自分の名前をスタンプにしたりしたものだ。そう、すでに昭和44年ころにはいわゆる『肥後守』という折り畳み式鋼ナイフよりも、折り畳みの安全剃刀タイプのものが主流だった。
 『肥後守』や『切り出しナイフ』が衰退したのは、本事件のように『刃物をもたない運動』が昭和35年からひろがったからである。『刃物等を持たない運動』は、家庭、学校、職場その他広く社会一般に呼びかけて青少年に人命尊重の精神を高め、「青少年は刃物等を持たない、青少年に刃物等を持たせないよう」にしようとするものだ。同時にこのころから自然が減り、雑木林に落ちている木の枝や竹を削って玩具を創ること自体を、子どもたちはしなくなった。

ボンナイフ

 中央青少年問題協議会事務局が執筆した「刃物を持たせない運動」(全日本社会教育連合会編『社会教育』全日本社会教育連合会、1961年)によれば、青少年がナイフを本来の目的から逸脱して使用するのは、劣等感からだと指摘する。
 青少年の肉体的成長に伴う冒険心の強まりや、友だちが持っていないモノを持ちたいという自己顕示の心理は、青少年に刃物への魅力を感じさせる。街にはピストルやナイフで無雑作に人を殺す主人公が英雄として映画、漫画の中に描かれていた。未成熟な青少年はともすれば現実と幻想の区別を失うようになる。男の子では年齢が低ければ低い程、友達に対して優位に立つには腕力や体力がものをいう。成績や家の経済力ではない。そこで体力に自信のないときに、自分の非力を刃物で補なおうする。ケンカで負けそうになったとき、形勢逆転のため、畏怖の象徴としてナイフをちらつかせる。そして苦し紛れに相手を刺してしまう。頭脳が弱く非力な子どもほど刃物を持ちたがる。このころの子どもたちは工夫と努力で玩具から手製ピストルを作り出し、スプリングやヤスリをたんねんにグラインドして切れ味のよい短刀を作り出しているほどだった。

ボンナイフ

 そのような状況があると同時に、ある決定的な事件が「刃物を持たない運動」を起爆させた。それが浅沼稲次郎社会党委員長事件だ。山口二矢(おとや、小説家村上浪六の孫)という17歳の少年が、日本刀で白昼堂々、日比谷公会堂の演説会壇上で刺殺したのであった。非武装中立であった社会党が浅沼委員長訪中の際に「アメリカは日中共同の敵」と発言してから中国寄りになったのをみて、日本の赤化(共産主義社会化)を図っている国賊として天誅を下したのだ。浅沼に対し個人的に恨みはないが社会的存在としてテロルを敢行した山口は、収容された東京少年鑑別所で自裁を遂げた。
 このほか、昭和35年には社会党の河上丈太郎、 首相岸信介などに対する刺傷事件があいついでいた。

 不良がケンカに使う刃物と、イデオロギーに基づいて白色テロルを行う攻撃道具としてのやいばを一緒くたにし、これらの事態を重く見た警察庁より「飛出しナイフおよび携帯禁止の刃物」に関する通達が出、刃渡り7センチ以上のナイフは製造禁止になった。肥後守を生産していたメーカーには各地の卸商から返品があいつぎ、三木市内にあった肥後守製造業者46軒が、倒産したという。

 法規制の面からみると、かなり銃刀法(昭和33年制定 旧令「銃砲刀剣類所持取締令」は昭和25年制定)は内容を厳しくしながら変遷している。昭和25年には、刃渡り15センチ未満の匕首またはこれらに類似する刃物の携帯は禁止され、昭和30年には刃渡り5.5センチを越える飛び出しナイフの所持が空気銃の取り締まりとともに禁止されていた。そして、昭和37年には刃渡り5.5センチ以下の飛び出しナイフも規制の対象とされ、「あいくちに類似する刃物の携帯禁止」を、刃体の長さが6センチを越える刃物の携帯禁止に改められた。

 警視庁が始めた「刃物を持たない運動」は各方面の反響を呼んだ。鉛筆製造業者は運動に協力して鉛筆けずり器を1000台(約100万円)寄贈することになった。鉛筆けずり器は一台1000円の備えつけ用のもので、東京に500台、大阪に300台、愛知県に200台ずつに分け、各地の小学校に設置された。そして昭和40年代に電動・手動の鉛筆削り器が各家庭に普及するまで、安全剃刀ナイフで鉛筆は削られるようになっていくのである。

ボンナイフ

 学童が鉛筆を削るナイフは、昭和24年より中村商店から発売されているが、安全剃刀にブリキの短いとってをつけたものは、昭和27年に東京都文京区の石川九一氏が発明、白不二商会の「学生ナイフ」として発売したものが元祖である。昭和29年にはセルロイドのカバーがつき、昭和35年には透明プラスチックと銅板との二重カバーとなった。むき出しの安全剃刀の刃をいかに防護するか、刃が抜けないようにするか、業界の課題だったようで、折り畳み式にするなどの工夫を試みた。なにしろ昭和36年には、ロケット刃物本舗から「あぶなくないふ」という洒落たものまで発売されているほどだ。
 昭和41年からはこの手のナイフの新製品はほとんどなくなり、昭和49年までに2件の発売を数えるのみである。ボンナイフやミッキーナイフなど定番の売れ筋が確定してきたことと、切れなくなったら折ればすぐに新しい刃が現れる、カッターナイフの値段がこなれてきて学童にも買えるようになったからだろう。

ミッキーナイフ

ミッキーナイフ

 「最近の子は鉛筆も削れない」という声も最近は聞かれなくなってきたようだ。なぜなら学齢期の子どもを持つ親の世代がもう削れなくなっている。しかし問題なのは、鉛筆が削れるか、手を怪我しないかということよりも、小型ナイフを使って、木製机に孔をうがったり、消しゴムを細かく刻んだりして遊びを作り出す、創造的能力なのではないか。ナイフはその工夫の手助けをする道具にしか過ぎない。

 そもそも親や祖父母の世代が子孫の世代を批判することが間違っている。
 「自然の中での遊びをしない」と大人はいう。マイホームを建てるために雑木林や田畑を切り崩し、遊びの場所を狭めたのは誰なのか。一流企業に就職するために進学塾に行かせ、遊びの時間を圧迫してきたのは親の世代である。
 「不器用で困る」と大人は嘆く。冒頭の新聞記事のように昭和30年代に、危ないからといって火や花火を取り上げ、ナイフも奪ったことを忘れられたら困る。
 「懐かしい駄菓子屋が減って残念だ」と大人はノスタルジーに浸る。不衛生だから駄菓子屋や露店にいくなと指導したのは誰であったのか。「少子化で子ども向け商品が売れない」といっている本人が、子どもを持たないライフスタイルを選択している。

ボンナイフ

 これらの身勝手さは自分もその原因であることを忘れ、ゴールデンウィーク中にごったがえす新幹線のなかで「なんで混んでいるんだ」と他人に腹を立てているのと変わらない。客が寄り付かずシャッターが降りた駅前商店街の商店主が、便利なスーパーで買い物をしているのと変わらない。
 すべて、子どもたちに向けられた批判は、その批判をしている世代が、彼らの常識、基準でこれがいいのだと選択し価値判断して作りあげた世界による副作用であり、子どもたちの責任に帰するものではない。「近ごろの子どもたちは〜」論は耳に心地よいだろうが、その発言の前に自家撞着していないかどうかに目をむけるべきであろう。若年者への世代批判はときに天につばするものである。
『肥後守』 刃物を持たせない運動はいったい何をもたらしたのか。このとき小学生だった世代が、10年後に鉄パイプを持った事実をどう考えたらいいのだろう。

書きおろし


※印画像のボンナイフは、「ネコカメ」のはまさんよりお借りしました。
ネコカメ http://homepage1.nifty.com/nekocame/


肥後守についてもっと詳しく知りたい方は…。
肥後守博物館 http://members.jcom.home.ne.jp/nryk/


2003年12月10日更新
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