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「第二小学校」タイトル

日曜研究家串間努
第24回「学級文庫」の巻

 机の上の学級文庫。
 両手で唇をひっぱりながら発音すると「机の上の学級ウンコ」と聞こえる、という子ども遊びが流行ったことがある。
 学級文庫は教室の後ろの低いロッカー棚の上にちんまりと並んでいた。二〇冊くらいだろうか。ホントはクラス全員がなにかしらの本を持ってこなくてはいけなかったのだが、ブックオフという新刊古書店もない時代には、本はあまり買ってもらえなかったし、誕生日などのプレゼントでいただいた本を寄付できないしで、なかなか充実した学級文庫にはならなかった。不要として持ってこられた本は他の子にとっても興味を引く本ではなく、あまり利用されずに、文字通り棚ざらしになったままであった。私がいた小学校には日本ではじめてできた移動図書館車が毎週来ていたし、学校の図書室にも本が並んでいたので、本好きの子はもっぱらそっちを利用して、ことが足りていたという理由もある。だが、昭和四〇年代になって学校の図書室が十分な予算で機能しはじめるまでは、志の高い教師によって、学級内に文庫が設置され、子どもたちに好評だったようだ。

学校の図書室

 学級文庫の歴史は古い。全国に普及していたかはさて置き、明治四十二年にはその制度があったようだ(島根県の尋常高等小学校)。学級文庫は児童たちの生活空間で適当な読書ができること、図書の管理をクラスの児童の自治管理下に置いて、紛失や整頓の教育になることがメリットとされていた。問題は図書購入費だが、大正年間には各地の進歩的教師により導入が試みられていた。大正七、八年頃の沖縄の小学校では芋皮を一学級分集めて、豚を養っている人に売った代金で担任が学級文庫を揃えたという。また、山形県の河北町立谷地西部小学校では昭和三年 二十周年記念事業として各戸の寄付により学級文庫を創設した。本が好きだけれど家が裕福でない子どもにとっては、まさにオアシスのような存在だったろう。
 クラスのなかでの相互扶助や、借りたものを返すという教育的効果を見いだせる学級文庫。いつまでも続いて欲しい小学校文化である。

「はるか」を改稿


2005年7月29日更新
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