第17回「学習帳と自由帳はいつからあったか」の巻
小学生のノートには学習帳と自由帳の二つがある。学習帳は「こくご」「さんすう」などと教科書別に別れているものだ。低学年の国語はマスめが十文字に四等分されており、偏や冠がきちんと書けるように工夫されていた。漢字練習帳というものもあったなあ。同じ漢字を百も二百も書かされるのはとっても苦痛で、数多く書いていくうちに「本当にこんな字だっけ」とだんだん疑問に駆られてしまうのだ。書けば書くほどわけがわからなくなる。さんすうノートは紙面の一番上にローマ数字の見本が1〜0まで書いてあったはずだ。
学習帳は戦前からあり、ノートや雑記帳のようなものが日本で発売されたのは明治初期といわれているが確かな証拠はない。明治十七年には現在の東京大学の門前にあった松屋という文具店が外国遊学から帰朝した教授の勧めで『大学ノート』を製作発売した。学習ノートの最初
大阪の中村寅吉が明治三十七年に練習帳と銘打って発売。(「通俗文具発達史」)
明治三十年頃からドイツやイギリスより輸入されていたが明治四十年頃、小学校用ノートが大阪の中村鐘美堂(中村寅吉)篠原(政吉)、山本(嘉蔵)の紙工品業者のノート部で製造された。(「教育文化用品工業便覧」)
中村寅吉はのちに日章ノートを立ち上げるひと。
明治二十年には雑記帳または帳面とよばれ、鉛筆とともに学習用に使用されていた。中味の紙はザラ紙で、粗末な表紙がついたものであった。その後、表紙絵が華美になり、デザインを各メーカーが競った。源義経の八艘飛びや新田義貞の刀流し、楠正成親子の別れ、天の岩戸などを石版印刷したものが出た。
当初は手作りであった雑記帳だが、大正元年に江戸屋紙工が木版刷りの『手キン』で機械製造したのがノートの大量生産の始めである。また、大正時代には中味のザラ紙(和紙)が高価になり、低学年用に適さなくなったため、洋紙に代わった。明治四十年に大阪の紙製品業者が「小学生ノート」を出したとの記録もある。戦後の昭和二十三年頃は佐野ノート(現・極東ノート)がヒットしていたようで、また学用ノートの統一ブランド会社もあったという。昭和三十年代頃は学童や動物の表紙で裏に時間割り表が載っているシンプルなものだが、四十年代になると表紙には写真が使われ始め、トーカイグラフィックノートや極東の「図かん学習帳」などがあった。
「ジャポニカ学習帳」は昭和四十五年八月にショウワノートが発売したもので、当時A5判五十円。小学館の『大日本百科事典』と提携し、従来の実用一辺倒から、絵や写真とともに説明が楽しめるグラフィックなノートへ変わるきっかけとなった。
その後極東ノートは旺文社『ジュニアエポカ事典』と提携し「図かん学習帳」を「ジュニアエポカ学習帳」に変えたり、昭和四十七年には飛び出す絵本の万創が、「ブリタニカ学習帳」を発売するなど、各社、百科事典と学習帳の提携を進めた。
昭和三十五年頃の学習帳ブランド調査では「スパルタ・興亜・マル教・日章・岡本・ベル・つばめ」などが挙げられているが、これらの中には百科ブームに乗り切れなかったものもあるに違いない。サイズはA5判とB5判が混在していたが、昭和五十五年に小学校一年生の教科書がB5判に変ったことでノートもB5判が主流になったようだ。
小学校に入学した時、すぐに買わされたノートが「じゆうちょう」であった。雨の降る日の体育の時間や、休み時間にはこの罫がない真っ白なノートに絵を描いて遊んでいた。私が好んで描いたのは「チューリップ」や「オバケのQ太郎」「ウルトラマン」など。ウルトラマンの口の部分が描きにくかった。誰かが「三色すみれ」を描いたのを見てこれもレパートリーに取り入れ、四月は毎日毎日三色すみれを描き続けた。
自由帳はA5判で、カラフルなテレビキャラクターの表紙。めくるとキャラクターのぬり絵があった。また、点を番号順につなげていくとウルトラマンなどの輪郭が浮かび上がり、ぬり絵として遊ぶ「パズルノート」というものがあった。
「オリジナルはどこが発売したのかは不明ですが、戦前からありましたよ。外国が起源だと思います」(セイカノート商品室長 森正義氏)。
自由帳の裏表紙を切り取ると、筆立てができたりとか、組み立て付録のようなものもあった。
実用新案を検索してみると、トーカイブランドの東海紙製品株式会社が昭和三十四年にぬりえページを、昭和三十五年に厚紙で工作ができるページを、それぞれ低学年児童の雑記帳に付加している。また、ジグゾーパズルができるように、紙片を封筒にいれたものを同封している学童ノートも開発していた。
●書き下ろし
2006年9月8日更新
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