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第十七回『欧陽菲菲 と膀胱炎でヒーヒーの僕と、
NHK受信契約騒ぎの日。』


似顔絵 多分、昭和四十六年の暮れ前。大人の色気で大人気になった欧陽菲菲
の雨の御堂筋が大ヒットしていた頃である。僕は、前日から続くナニの痛みに尿道炎を予感しながら、電気コクツの中にいた。
 緑か黒のスパンコールと言うのか、外国映画などでナイトクラブ出演の歌手が着ているボデイラインにピッタリのキラキラするアレでスラリと伸びた脚を見せ、コテコテのアイドルとは違った粋な大人の魅力と抜群の歌のうまさで人気爆発の欧陽菲菲 は大好きだったが、その日の僕はそれどころではなく遠隔地用保険証をポケットに、医者にかかるために福ちゃんの目の前でフリチンになって新品のグンゼのブリーフに履き替えた。

欧陽菲菲

 小型の電気湯沸かしポットの湯も沸き、コーヒーを作り始めた福ちゃんに留守番を頼みそっと靴を持って二階の僕の部屋を出ると、総一ちゃんの部屋の前が妙に騒がしく、見るとNHK受信料集金であった。最近は余り聞かないが、あの頃は、NHK受信料の取り立てが凄く激しく、払え・払う必要はない騒ぎが頻繁にあったのである。

 十二人住む学生アパートの中でテレビを持っていたのは、衣料店の息子・総一ちゃんくらいで、他の者は、南沙織・天地真理等が出る歌番組や野球中継のある日に、各人持ち寄ったコーヒーを飲みながら三畳一間にギュウギュウ詰め状態で十二インチか十四インチ画面のサンヨーの白黒テレビを見せてもらっていた。テレビを持つには、広告収入のない国営放送とか言う今一つ納得できない理由で月額五百八十円かの受信料支払いを迫るNHKの受信契約承諾を跳ね返すチョットした根性が必要で、その根性がいるNHK受信料契約拒否が頻繁に起きていたのである。
 当時、NHKは中高年男性を使って張り込み刑事並みの鋭い観察力で、見え過ぎちゃって困るのーで有名なマスプロアンテナのTVCMではないが、屋外に見えるテレビアンテナの有無や外にもれる音声からテレビがあることを嗅ぎつけると、そのアパート等に昼・夜関係なく訪れては受信料支払いが同時に受信契約成立となる変な仕組みで、迫っていた。
 勿論、総一ちゃんの所も窓からもれた白黒テレビの音声で気づいたのかテレビがあることを知って来たのである。
 黄色いサニーに乗り、金もあって女遊びにも忙しい草刈正男とオダギリジョーを足して金槌で軽く叩いたようなモミアゲ顔の総一ちゃんがNHKの教養番組などみるわけがなく、チャンネルの接触具合が悪くNHKは映らないのでみないとか理由をつけて受信料不払いを主張しているのであるが、集金人のオジサンは全然ヘッチャラのチャラ。直せば映るとか言い返して一歩も引かずドアの所で頑張っていてそれが騒ぎとなっていたのである。

 ナニが痛くてそれ所ではない僕はそっと下に降りてアパートを出た。その痛みは二日も続いており、僕はハッキリ尿道炎を確信していた。
 大繁盛のパチンコ屋が三軒集まる商店街を抜けた電車線路の向こうに広がる住宅街の角に医院はある。そこには風邪で何度か通っていたし、何よりも看護婦さんが五十歳過ぎくらいの人であるから余り羞恥心を覚えずに診察が受けれる気がしたし、医者も高齢に見える爺さんタイプの人で、黒縁の眼鏡をかけた優しい物言いをして安心感があったのである。

 なぜ尿道炎と思うかと言えば、実は、中学生の時に経験があったからで、痛みの感じがその時とソックリだったからである。
 学校から帰って小便をしようとトイレに立ったのであるが、どうもナニの根本の裏辺が微妙にジーンと乾燥したように痛い。とりあえず、鏡台の所にいつもあるメンソレータムをナニの先っぽと肛門内にベットリ塗ってその日は我慢した僕であるが痛みは激しくなるだけで全然治らず、仕方なく次の日の夕方に帰ってきた父に話した。
 夜の七時頃、いつも以上に渋い表情の父に連れられて既に入口のガラス戸の白いカーテンが引かれ診察時間が終わっている医院での治療であった。父の話を聞いた医者は二度程うなづくと、すぐに僕に診察台の上に俯せになって尻を出した格好を指示すると、尻から腰の辺にブスッと注射を打って抗生物質薬を何日分かくれたのである。

 中学生の時もそうだが、昭和四十六年と言っても、現在のように勃起障害のような複雑な性障害治療はポピュラーではなく、特に田舎では内科・外科・泌尿器科といった専門分野意識は全然なくて、近所の病院に行っては、風邪から血圧から盲腸・尿道炎まで診察を受けていたのである。
 尿道炎は小便時に思わずナニがヒクッとなるくらいの独特の乾いたキーッといったような痛みがナニの付け根奥付近に走るのであって、それが小便時でなくてもズーンと来る激しい痛みに変わる。性病的ではあるが、勿論性病とは全然別で思春期の流行り病に近い尿道炎であるから、腰付近の臀部に一本注射を打たれて抗生物質薬を何日分か飲めば治ったのである。
 二十歳を過ぎても女性との性経験が全くなかった僕が性病である淋病・梅毒にかかるはずがないので心配は全然しなかったが、尿道炎も薬なしには治らない病気は病気。
 医者の説明による原因は、不潔な手でのマスターベーションから入った雑菌によるものであるとほぼ百%決まっていて、思春期になってマスターベーションを覚えれば一度や二度は誰でもなると医者から言われた時には、どこか僕のセックスを覗き見された感じでコレまた凄く恥ずかしかった覚えがある。

 この時も、僕は、すぐの注射と抗生物質薬を受け取れば済むと簡単に考えて出かけた所が、中学生の時の治療どころではなく困惑の大騒動。泌尿器科と同じで医者のちょっとしたナニの触診があったのである。
 指示されるままにベッドにズボンと新品のパンツをずらして仰向けに寝転ぶと、僕の萎み切ったナニ全体から先っぽをギュッギュッと摘み扱かれた。念のために性病検査というかウミのチェックだそうで、それが終わると今度は横向きになった僕の肛門に指がブスッと入りアノ辺をグリグリ。痛くて声を出した僕に、軽い膀胱炎の診断であった。
 予想していた尿道炎が外れ、どう違うのか膀胱炎はン?という感じであったが、やはり尻から腰の辺に注射を一本されてピンクの抗生物質薬を貰って僕は帰った。

 やっと一安心の思いでアパートの階段を上がって行くと、二階のNHK受信契約騒ぎは終わっていた。
 結局、金に不自由していない総一ちゃんが面倒臭くなってNHK受信契約となったそうであるが、あの頃はテレビを持つと白黒・カラーテレビに関係なく避けては通れないNHKの受診契約騒ぎが、実に頻繁に起こっていたのである。
 一応、注射を打ち抗生物質薬も貰いホッとしながら部屋に入ると、飲みかけのコーヒーをコタツの上に置いたまま、福ちゃんは寝ていた。
 それから十日間、大フィーバーしている欧陽菲菲 ではなく膀胱炎でヒーヒー状態の僕の右手マシンは、わき上がる欲望をグッと我慢の特別臨時使用停止をしたのである。


2003年8月26日更新


第十六回『微妙にウタマロ、チン長十四センチのセックス満足度』
第十五回『コンドームと僕と、正常位』
第十四回『再会、また一つ。僕のテレビに懐かしの少年ジェットが来た。』
第十三回『ユーミンとセックスと鎌倉、僕の二十七歳の別れ。』
第十ニ回『シロクロ本番写真と五本の指』
第十一回『永遠のオナペット、渥美マリ』
第十回『ジェームズ・ボンドのセックスとナニの話』
第九回『二十一歳の冬、僕とフォークと喪失と。』
第八回『大阪スチャラカ物と言えば、てなもんや三度笠で決まり。』
第七回『嵌った嵌った、森繁の社長シリーズとアレコレ』
第六回『ジュンとネネではなく、VANとJUNの話』
第五回『夏は怪談映画、あの映画看板も僕を呼んでいた。』
第四回『青春マスターベーション』
第三回『ワッチャンの超極太チンポ事件』
第二回『中高年男性、伝説のモッコリ。スーパージャイアンツ』
第一回『トランポリンな僕のこと、少し話しましょうか。』


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