褐色の弾丸・房錦と潜航艇・岩風
今2005年春、国技(という規定はないが、いつの間にかほとんどの人がそう思っている)の大相撲は人気の低迷に悩んでいる。その理由は星の数ほどある。少し挙げてみれば日本人力士が弱い。モンゴル出身者や、東欧出身者の勢いが凄い。まるで七百年以上も前の蒙古襲来を連想してしまうのは私のみか。実力のある個性派が少なくなった。ロボコップと言っても、三役に定着出来ないようではダメだ。
昔は良かった(とう言うようじゃ初老だが)こんな力士がウジャウジャいた。
今回はその中から昭和30年代に活躍した若松部屋の両関脇、房錦と岩風を書いてみたい。房錦は”褐色の弾丸”といわれ人気があった。義父が行司の式守錦太夫である。激しい押し相撲だったが素顔は、御曹司的な近代青年といった趣の人だ。新入幕の場所(32年5月)で、父親の軍配で、相撲を取った。これが世間で大評判となり、「土俵物語」(大映)という映画にもなった。
私も60年近く生かされているが、後にも先にも関脇以下の力士が映画になったのは見たことがない。
大関の名寄岩や、若乃花は映画になったが。顔もそれほどハンサムではないが、勝っても負けても華のある力士であった。それが人気に結びついたようだ。
房錦を陽とすれば、岩風は陰であろうか。単純な印象から思っただけだが。仇名が潜航艇だから、その取り口も想像出来る。角界にもぐる力士はいたが、これだけもぐる男は少なかった。私はテレビで見ただけだが、相手のへそどころか、その下の微妙な所までくっ付きそうなことがあったようだ。
全盛期の若乃花を二度も倒したのは特筆される。250K以上もある鉄道レールを、軽々と持ったことから怪力振りに”鉄筋”と呼ばれた。かなり変わっていたようで当時の相撲実況アナウンサーが、一度も口を聞いたことがないとの噂も。しかし「新・昭和の名力士」(日本スポーツ出版社)には、けい古の合い間に野球に興ずる彼の写真が載っている。筋肉隆々の体で、実家が鉄筋業とは話が出来すぎているが本当だ。この頃の岩風は髪も豊富であったが引退して数年後すっかりハゲてしまったと、「新・昭和の名力士」に書いてある。私もそうだが髪の悩みは残酷なものがある。今ならリーブ21もあるが、当時はあんなものがなかった。
岩風角太郎
東京都江戸川区出身
174C
117K
S9.1.22生
<本名>大藤義和
初土俵S27.5月 右四つ寄り
率 .479
S40.9引退
房錦勝比古
千葉県市川市出身
176C
118K
S11.1.3生
<本名>松崎正勝
初土俵S27.1 押出し
率 .472
S42.1引退 |
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2005年4月29日更新
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