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「プラモ線の旅」タイトル

今柊二

「アクションフィギュアの勃興と秦野邦彦」


 スターウオーズの日本公開は1978年7月1日大ロードショーであった。これはもう大変な騒ぎで、テレビではしょっちゅうあのBGMが流れていた。当然、私の住んでいた地方都市にもこの映画はやってきたと思うが、私は見なかった。当時、映画はそんなに気楽に見られるものではなかった。ましてや、私の家は本を買うお金はくれるが、映画などはもってのほかという方針だったので、多少小遣いにゆとりができる高校になるまで映画館には行かなかった。もっとも、高校くらいになったときは、地元の新興勢力の新聞が、販売促進キャンペーンとして映画のチケットをいっぱいくれたので、毎月のように映画を見ることが出来た。

スターウオーズ さて、話がそれたが、実は田舎にはまったく関係のない話だが、このスターウォーズは、関連した玩具として画期的なブームとなったものがあった。それがアクションフィギュアであった。今でこそ市民権を得ているアクション・フィギュアだが、当時はその存在すら知らなかった。タイムマシンに乗って、当時の私に現在のすさまじいリアル感を持つアクション・フィギュア(特にリアルタイプのマジンガーとかがいいかも)を渡すと、間違いなく気絶するな。あっ、そこまで行かなくてもガシャポンで出てくるウルトラマンの彩色怪獣だけで充分気を失うな(笑)。

 で、そのアクション・フィギュアだが、もともとアメリカで成立したものであり、その歴史は1960年代にまでさかのぼる。当時は『G.I.ジョー』や『バービー』が既に市場を形成していたが、それらがボックスと呼ばれる化粧箱に入っていたのに対して、『アダムス・ファミリー』などの商品がブリスター・パックに入って商品化された。ブリスターパックとは透明のプラスチックケースで、カード(台紙)の上に人形が「浮いている」という状態になっており、このような形態で売られるキャラクター人形をアクション・フィギュアと呼ぶ。以来、店頭においても客の目をひく効果があることと、大きさのわりには単価が安く在庫負担が軽くて済むことから急速に普及していったが、決定的にアクション・フィギュアがブームとなりはじめるのは1978年にケナー社から発売された『スターウォーズ』からであった。

 この後はありとあらゆるキャラクターがフィギュア化されていったが、キャラクターのほとんどは映画やテレビからで、コミックからの立体化はほとんど行われていなかった。ただし1989年に『バットマン』が映画化されたときに変化が生じた。この映画版がまずフィギュア化され、続いてアニメ、そしてコミック版がフィギュア化されたのだった。これらのフィギュアの売れ行きが好調だったために、コミック系キャラクターのフィギュア化の波が生じ、90年代に入り、トイビズ社から『Xメン』、『スパイダーマン』など続々と立体化されていった。そんな動きのなか、1994年にマーヴルコミックから独立したアメコミ作家のトッド・マクファーレンが『スポーン』を自ら立体化し、トッド・トイズ(後にマクファーレン・トイズ)を設立した。そのプロポーションの良さはもちろんのこと、ディテール、塗装の緻密さは、それまでのアクション・フィギュアの常識をくつがえしたもので、日本のガレージキット(完成品)をほうふつとさせるすごさがあった。この『スポーン』は94年度と95年度の2年連続で全米トイ・オブ・ザ・イヤーを受賞し、この『スポーン』ショックによってアクション・フィギュアは一挙に爆発的なブームとなり、現在に至る。

 日本での動きも、アメリカに連動しており、70年代の『スターウォーズ』に端を発し、90年代半ばの『スポーン』上陸によってファン層が増加した。これら『アクション・フィギュア』は当初、専門の玩具店のほか、東京の渋谷や代官山など、流行に最も敏感な地域にある若者向けのファッション・ショップで売られていた。これらの店は、現地買い付けを行なう場合が多く、それと同様の方法で入手した場合が多かったのだ。店としてはオブジェも兼ねて配置していたのだが、若者たちはTシャツなどを買うついでに、それら『アクション・キット』も購入したのである。それらの行動は先端のファッションを身につけることと連動して『カッコイイ』行動の一つとなった。さらにファッション雑誌のあおりなどもあり、『アクションフィギュア』を集めることは大ブームとなっていった。これが、95年前後のことであり、ブームは各種フィギュア専門誌の創刊を呼び、さらなるブームとなっていった。

 …少し後の時代まで記してしまったが、当時はこんな玩具があることは、例の秦野邦彦ですら教えてくれなかったのだった。そして、それがかくも異様に発達を遂げるとは本当に夢にも思わなかったなあ。

(続く)


2003年5月13日更新
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