第9回 『紅葉』 |
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日溜まりの公園で、暮れなずむ街角で、夜のしじまの中で、ひとり「童謡」を口ずさむ時、幼き日々が鮮やかによみがえる…。この番組では、皆様にとって懐かしい童謡の歌碑を巡ってまいります。今回は、『紅葉』です。
『紅葉』といえば、小学校の秋の遠足の際にバスの中でよく歌ったものですが、元々は『尋常小学唱歌』の一つで、第2回の『春の小川』と同じく、「作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一」のコンビによって、明治44年に作られました。
『紅葉』(『尋常小学唱歌 第二学年用』文部省 明治44年 に発表)
作詞 高野辰之(たかのたつゆき、1876−1947)
作曲 岡野貞一(おかのていいち、1878−1941) |
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1.秋の夕日に照る山紅葉、
濃いも薄いも数ある中に、
松をいろどる楓や蔦は、
山のふもとの裾模様。
2.渓の流に散り浮く紅葉、
波にゆられて離れて寄って、
赤や黄色の色様々に、
水の上にも織る錦。 |
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一幅の山水画を思わせる描写ですが、この詞の舞台になったのは、碓氷峠の信越本線熊ノ平駅近辺と言われています。碓氷峠は、利根川の支流碓氷川の渓谷から千曲川の支流湯川に出るまでの峠で、海抜は956m、群馬県と長野県の境にあります。現在、横川〜軽井沢間はバス路線となっていますが、高野が東京と郷里の信州を往復していた頃には、信越本線のアプト式軌道*が引かれていました。ここは、日光、塩原、箱根と並ぶ紅葉の名所で、高野は車窓から目にした光景を元にこの詞を作ったそうです。
『紅葉』の歌碑は現地にはなく、高野の郷里、長野県下水内郡豊田村に建てられています。ここに、高野の業績を記念して「高野辰之記念館」がありますが、建物の脇を通る小径にその歌碑は置かれています。豊田村は山里で、碓氷峠同様紅葉が美しい所です。村の木は、この歌に因んで「もみじ」とされていますが、それも十分うなづけます。
ところで『紅葉』といえば、小学4年生頃、輪唱形式の二部合唱バージョンを習いました。先行組が「秋の夕日に…」と歌ったところで、後発組が歌い出すものですが、今、改めて聴くと、あたかも歌い声が山や渓谷に反響しているかのように聞こえます。編曲したのは中野義見**ですが、もし彼がこの歌の来歴を知っていて輪唱にしたのなら、狙い通りの効果が上がっているといえるでしょう。
*アプト式軌道 明治26年、信越本線横川〜軽井沢間に設置。平行したレールの中間に歯状の軌道があり、歯車付きの車両と噛み合って進行する。単線だったため、熊ノ平駅で列車の交換をしていた。昭和38年、ルート変更に伴い、アプト式軌道も熊ノ平駅も廃止された。
**中野義見 なかのよしみ。音楽教育家。明治30年、広島県生まれ。大正11年、東京音楽学校を卒業。横浜市視学、東京・江古田小学校校長などを経て、昭和31年国立音楽大学教授となる。昭和44年死去。享年71才。
[参考文献 下中邦彦編『日本人名大事典 現代』平凡社 昭和54年]
場所:長野県下水内郡豊田村大字永江 高野辰之記念館脇
交通:JR飯山線「替佐」駅より長電バス「親川」又は「永田」行きで「永田」バス停下車、徒歩1分。(バスは本数が少ないので注意。徒歩だと駅から1時間)
・高野辰之記念館
場所:長野県下水内郡豊田村大字永江1809
交通:同上
開館時間:9:00〜17:00
休館日:毎週月曜日(祝祭日は翌火曜日)、12月29日〜1月3日
入館料:大人 300円、小・中学生 150円(団体割引あり)
問い合わせ先:0269−38−3070
2003年10月3日更新
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