霊魂の存在に興味を抱いた中学生が撮影した一枚の写真。そこに写った何かをめぐって「確かに霊だ」「イヤ、影か現像ミスさ」とクラスメートの間で始まった論争は、アッという間に学年中に広がり、果ては教職員まで巻き込んで、中学校は時ならぬ霊魂騒動。たまりかねた校長先生が二十三日、論争停止を呼びかけた。子供むけの怪奇、スリラー全集が売れ、少年週刊誌が特集を載せるなど、少年達の間で怪奇ものはちょっとしたブーム。昨年春には「霊魂の世界をみたい」と自殺した高校生もいるだけに、先生達も「どう指導したものか」と頭をひねっている。(毎日新聞/昭和49年2月24日)
◆怖いものみたさ
東京の中学校で起きた心霊写真の真贋騒ぎである。「人間には必ず霊があり、死後も霊だけは残る」「写真などで霊をとらえることが出来る」などの記事や漫画を読むうちに霊に興味を持った中学生たちが霊魂研究会を結成、多摩霊園で墓石の写真を撮ったところ、黒い人影らしきものを写っていたため「霊魂だ」「トリックだ」と学校中で大騒ぎになってしまったという。
実は私も昭和51年ころに中学校で「心霊研究会」を作ってしまったことがあった。近所に心霊写真ブームの仕掛け人、大御所である中岡俊哉氏が住んでいたので、「先生の家に行こう」などと友人と話していたが、結局は夏祭りで「肝試し」をやって女の子と楽しむという色気づいた中学坊主のいたずら倶楽部になってしまった。
新聞にこのような一中学校の論戦が取り上げられるほど、このころは心霊写真・コックリさん・超能力・UFOなど一連のオカルトブームが子ども世界を席捲していた。
もともとは昭和43年頃に妖怪・怪奇ブームが起きて、児童書で怪奇・スリラーものの全集(秋田書店「世界怪奇スリラー全集」全6巻)が出たことに端を発する。ひばり書房などは怪談まんがを発行し、ジャガーブックスやジュニアチャンピオンコースなどでも、秘境、冒険、妖怪、大地震などを扱った子どもサブカル本が多数発行された。
その後マンガ雑誌にも霊魂や怪奇を取り扱った「うしろの百太郎」「恐怖新聞」(つのだじろう)などのオカルト漫画が昭和48年から49年にかけて連載された。漫画のなかでポルターガイストやコックリさん、守護霊との交霊法などオカルトに関わることを説明してくれたため、わかりやすい一種のオカルト手引き書になった。昭和48年末からは予言・超能力ものも加わり、「ノストラダムスの大予言」(昭和48年11月発行)、ユリ・ゲラーの来日(昭和49年2月)と超能力少年の登場(昭和49年3月に週刊誌が取り上げる)があった。そして昭和49年に中岡俊哉氏の「恐怖の心霊写真集」と「狐狗狸さんの秘密」が出ることで、怪奇ブーム、妖怪ブームの延長にあったオカルトブームの勢いは加速する。映画でも悪魔祓いをテーマに「エクソシスト」(昭和49年7月日本公開)という映画が話題になった。
受験戦争のストレスからの逃避先として、生々しい人間世界を超越した非日常の世界感が子どもたちに魅力があったのだろう。また、昭和40年代中盤の怪獣や妖怪マンガブームを卒業した子どもたちが、それらによりリアルさを求め、現実と非現実の境目がグレーゾーンである超常現象がもてはやされたのではないかと思われる。
世間はこの流行を受けて怪奇物を読んだあとに意味もなく小学4年生が自殺したり、「死後の世界を証明したい」と高校生が投身自殺したりした。虚構の世界であるはずのものがリアルの世界に入ってきたとき、分別のわからない子どもは判断を誤る。大人たちが明確に否定できる根拠、科学的論拠をもたないこともあって、オカルトものは純真に信じる子どもたちに多大な影響を与えた。死後の世界やノストラダムス予言は、自死に向かわせたり、人類のカタストロフィーを子どもに懸念させるほどのパワーがあったという点では、文学性、哲学性を持ったブームでもあった。
これらオカルトものは「科学では割り切れない現象や世界がある」というキャッチフレーズでテレビでも取り上げられ、ほとぼりが覚めるころに自然収束していった。(ヘンな例えだが、科学的証拠に基づく西洋医学に対する、東洋医学や健康食品への興味と通じるところがあるのだろう)ところが、心霊写真や怪談漫画だけはいまでも本が出版されたり、雑誌で取り上げられたりと息が長い。
その主な担い手は女性たちである。ここで不思議なのは一般に女性は年齢を重ねるにつれリアリストになっていくのに、「心霊写真」や「本当に怖い話の漫画」にずっと興味を惹かれる一面があるというところだ。成熟した女性は、夫や恋人がフィギュアや昔の玩具に大金をはたいてコレクションしているのを苦々しく考える傾向があって、一見、彼女らの現実生活にはファンタジーが存在していないかのように思えるのだ。しかし、これも昭和40年代後半の子どもたちに起きた心霊ブームと同じように、現実世界の息苦しさからの離脱現象と考えれば頷ける。生活上の労苦があまりにも酷い場合は「宗教」に救いを求めるだろうが、そこまで行かない軽い閉塞感を持っている場合のガス抜きとして、超常現象や催眠セラピーなどに一部の女性は「和みと癒し」の場を求めるのだろう。それらの漫画雑誌に掲載されている過去世・前世についての企画は、現実の自分に満足できていない人々の不満やコンプレックスを補足する役割を担っている。
2003年に白い装束軍団が現れ、女性代表が「ニビル星」がどうたらこうたらと発言してレポーターたちの失笑を買っていた。80年代の超常現象研究雑誌の読者投稿欄には「シュカイ・ラウザ・ソレイユ・フロックス・ルビナス・サンシュ・アスター・ユキサザ・コルデリカ・ガーベラ・セロシアという名に聞き覚えのある方、わたしたちは、セロシア・ラウザ・ガーベル・コルデリカ・セロシアです。連絡ください」などと「戦士募集」の似たような発言がたくさんあり、新興宗教もどきとオカルト嗜好とファンタジーと妄想願望と選民思想と地球創造神話とがくんずほぐれつになった少女たちの、交歓の場になっていたことが思い出される。彼女たちももういいオバサンだ。男にとっては「チャンプロード」、女にとっては「ムー」。封じ込めておきたい記憶である。
●書きおろし
2004年5月12日更新
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