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「第二小学校」タイトル

日曜研究家串間努
第25回「通知表とは
なんだったのか」の巻

 冬休み前の期末テストというのは子どもたちにとって楽しみだ。、給食も「クリスマス給食」というお楽しみ給食が出て、生クリームではなく、安物のバタークリームが乗っかった、三角ケーキが出たものだ。

 私たちの学校では、欠席者の分の給食は、家までわざわざ持っていって上げる制度がなく、それらは希望者たちがじゃんけんをした。だからクリスマス給食の頃は、風邪のシーズンでもあったので、「できるだけ欠席者が出るように」と、不純にも思ったものである。

 短縮授業はあるし、図画工作の時間は、年賀状のイモ版画づくりだったりと、普段とは違った空気が冬の冷たさとあいまって、特別な季節感を醸し出していたような気がしてならない。だが、この浮かれた気分の中に唯一つ水を差すのが、「通信簿」である。
 
 教育勅語が発布された明治二十四年に「小学校教則大綱」が制定され、「小学校の試験は教授上の参考のためと卒業の認定のためのもの」とされていたが、特に、通知表のためにテストを行っていたのではないようだ。
 試験の評価法は、明治二十四年の「学事表簿様式制定の事」(文部省達第11号)によれば、点数か「上中下等比較的ノ意味ヲ有スル」ことばを用いることが示めされ、ここから明治三〇年代に「甲乙丙丁」の評価法が全国にひろまったと考えられる(江戸時代にも評価として甲乙があった)。

 明治三十三年には「学籍簿」に学業成績を記入することが義務づけられるようになった。埼玉県では大正九年には「教育手帳」という名前で通信簿を発行していた。
 昭和十三年、文部省は成績の表記を統一し、相対法での、学籍簿成績の10点法による記入を指示。操行科目だけは優良可と表記した。
 戦争が始まった昭和十六年には文部省が学籍簿・通知簿の成績は「優良可ノ区別ニ依リ記入スルコト」と、「甲乙丙丁」を全廃し「優良可」(昭和十八年からは秀優良可不可)で記入するよう定めた。これは絶対評価法であったから出来る子どもはみな「優」であった。ただし、筆者の聞き取り調査では、戦前は教師の差別意識がひどく、経済的に困窮している世帯の子どもや不潔な子どもには「優」をつけることがあまりなく、勉強ができなくても裕福だったり地元の実力者の子弟には「優」がついていたという談話も得ている。絶対評価の場合は教師の主観で左右される度合が「相対評価」よりは大きいからその可能性は十分あったといえる。

 戦後、昭和二十四年に「学籍簿」を「指導要録」と改めた、占領軍CIEの政策で通信簿が作られた。これは国語が「5」とか「良」とか記すものではなく、行動と学習の記録を「ひとと親しむ」「書く」などと目標別に0を中心として両端を+2と−2とする評価する。趣旨としては、学習児童の発達の過程を記録した原簿で、「新しい教育」の精神からみて重要なものを記録する、客観的に記録されるように作ったということである。、しかし記入する教師側も迷うことが多く、親もどう判断してよいかすぐにわからない、就職や進学先からも序列がはっきりとわかるようにして欲しいなどの要望が出、昭和三〇年に、この評価法をやめ、小・中・高等学校とも5、4、3、2、1に統一した。これは正規分布を描くように7%・24%・38%・24%・7%の割合で5・4・3・2・1に成績をふり分けるものである。

 昭和三十六年には「一般に3程度のものが最も多数を占め、5または1はきわめて少数にとどまるであろう」と指導要領に示されていたが、四十六年の改正では5段階評定を行うに当たって 「この場合、あらかじめ各段階ごとに一定の比率を定めて、児童をそれに機械的に割り振ることのないように留意すること」とした。つまり「1」をつけなくてもよいことになったのである。昭和五十五年には小学校低学年は3段階評価になった(平成3年には全学年が321の3段階評価になった。二〇〇二年度の新学習指導要領では相対から絶対評価に変わった。二〇〇四年では教科の総合評価である評定を通知表に入れた学校は三割でしかなく、おおくは321方式)

 だが、一般に通知表と言われるものは法の定めがあるわけではない。文科省では「子どもの学習状況を家庭に伝える連絡簿」という位置づけであり、作っても作らなくてもいいが、昔からの慣習で続いているとのこと。だったらそんなに一喜一憂することもなかったのである。

書き下ろし


2005年9月1日更新
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