まず最初にチョット拙ミニコミ同人誌の告知をば。
昨年末に新刊『ギャンブルイーター』(amazonでもお求めいただけるようになりました!!)、初売りの際に限定でコピー誌2種との3冊セットを作らせてもらった。
イベント限定のところ、ご好意で一部書店(タコシェ&模索舎)でも委託して頂いているので、そちらもヨロシクね!・・・ということで、そのコピー誌の一つ、多摩地区のB級スポット&グルメ+スパ銭めぐり『多摩に行くならこんな店』の中から、少しだけ触れている往時のマーケットについて、未掲載写真を含め詳細に述べておきたい。
JR南武線の矢野口駅のスグ近くで、鶴川街道と川崎街道という大きな道路が2つ、交差している。
調布に程近い車文化圏なので、車窓からこの辺りの風景を眺めたことのある方もいることだろう。よみうりランドも近く、住宅地の奥は山に茂る木々という風景にあって、この矢野口交差点だけスコンと抜けた印象がある。
矢野口駅は2004年までは踏切の音が鳴り響くローカルな地上駅だったが、2005年に高架化が完了。高架下にはショッピングセンター「アイポート矢野口」が出来、FCチェーンが入っている。近代的に整備されキレイな、それでいて何処にでもある駅前がここにも誕生した。
少し悲観的かつ否定的な言い回しになってしまったが、この高架化は、地上駅だった頃に踏切があることで鶴川街道が慢性的な渋滞に喘いでいたという、地元住民や仕事で車を使うものの悲願だった部分も見逃してはならない。高架化で道路は拡幅し、今ではスムーズに南北を行き来出来る。
駅周辺には鶴川街道が狭かった頃の名残が今でも幾つか散見できるが、駅の改装で人々の流れも変わり、周辺環境が激変したと思しき爪痕も同時に残っていた。
それがここ、矢野口駅前ショッピングセンター。
南武線高架のスグ南、バス停前にポッカリと砂漠化でもしたかのような、半端に広く砂埃臭い駐車場があるのだが、この脇にモルタル造の棟割商店長屋がポツンと廃墟のように佇んでいる。
まるで再開発後の街をボー然と眺めているかのようだ。
近づくとショッピングセンターだった頃の看板がある。
魚屋と雀荘だけが読めるが、後は退色して何が入っていたか分からない。
アーケードの下に潜ると、魚屋の幟と酒のケースが残っていた。まだ新しく写る。
裏手に回ってみると、激しく錆びたトタンの平屋が横に長く伸びていた。
同じ作りの小屋には先の魚屋の屋号が。倉庫だったのだろうか。
ショッピングセンターの裏側を見ると木造の住宅になっており、今は住居としてのみ使われているようだ。
隣接する駐車場からショッピングセンターの真横の姿を見ると、その構造がよく分かる。

駐車場を挟んだ対面には、商店が連なる棟割の看板建築群が。
こちらは完全な商店街の様相を呈しており、コインランドリー・クリーニング店・お茶屋とシャッターを卸している。
その向かいのスナックは夜には今でも営業しているのだろうか。
この先はまだ真新しい家屋も散見できる、いわゆる多摩郊外の住宅街となり、ここだけ、ポツンと往時の姿を留めていた。
今後どうなるのか、ただ解体の日を待つばかりなのか知れないが、人が住まわれている限り、隣駅稲田堤のような個人商店が立ち並び自転車が行き交うゴチャゴチャとした南武線沿線らしい光景が、ここ矢野口にも展開していたことを教えてくれる。
【了】

都営三田線の西台駅から南へ徒歩5分チョット、首都高と交錯する歩道橋の裏手に善長寺がある。
ここは武蔵野台地の崖線に沿うような線形を辿る道。崖に沿って削った様な線形なので、ただでさえ道幅が狭い所の山側に屋台が並ぶものだから更に道幅が狭まる。そこにきて若干道がウネっているからさぁ大変。夕方ともなると浮き足立った学生やらで寿司詰め状態となる。
年末の冷たい空気の中、身体を縮こませ、ジャンパーのナイロンとナイロンが擦れる音の中、白い息を吐きながら人並みに身を任せてこその祭り。なんともトリップ感のようなものを覚えてならない。
善長寺の参拝客かと思い、脇から善長寺を眺めると、列は更に奥に伸びている。どうやら熊手市の参拝は境内の端にある神社で行うようだ。
見慣れた屋号も目にするが、初めて見る屋号も多い。この地区の熊手市は初めてだが、エリアによって縄張りがあるのだろうか。
遅々としつつも進みながら熊手を眺めつつ思ったのだが、こんな町の外れの小さな規模の市に溢れんばかりの人がどうして詰めかけるのだろうか。都心の酉の市でも、巣鴨や西新井の納めの大師などは寂しくなるほどの人手だ。しかもこの熊手市は酉の市公式サイトのリンク
列はさらに進み、いよいよ神社に近づいたが、本当に小さな祠というくらいのもので、またも驚かされた。
内部は写真に収めなかったが、近所に畑も多いこともあってか、採れた野菜が奉納されている様がなんとも微笑ましかった。
