まず最初にチョット拙ミニコミ同人誌の告知をば。
tamahyousi_web昨年末に新刊『ギャンブルイーター』(amazonでもお求めいただけるようになりました!!)、初売りの際に限定でコピー誌2種との3冊セットを作らせてもらった。
イベント限定のところ、ご好意で一部書店(タコシェ模索舎)でも委託して頂いているので、そちらもヨロシクね!・・・ということで、そのコピー誌の一つ、多摩地区のB級スポット&グルメ+スパ銭めぐり『多摩に行くならこんな店』の中から、少しだけ触れている往時のマーケットについて、未掲載写真を含め詳細に述べておきたい。



JR南武線の矢野口駅のスグ近くで、鶴川街道と川崎街道という大きな道路が2つ、交差している。
52_map.jpg 調布に程近い車文化圏なので、車窓からこの辺りの風景を眺めたことのある方もいることだろう。よみうりランドも近く、住宅地の奥は山に茂る木々という風景にあって、この矢野口交差点だけスコンと抜けた印象がある。

矢野口駅は2004年までは踏切の音が鳴り響くローカルな地上駅だったが、2005年に高架化が完了。高架下にはショッピングセンター「アイポート矢野口」が出来、FCチェーンが入っている。近代的に整備されキレイな、それでいて何処にでもある駅前がここにも誕生した。
少し悲観的かつ否定的な言い回しになってしまったが、この高架化は、地上駅だった頃に踏切があることで鶴川街道が慢性的な渋滞に喘いでいたという、地元住民や仕事で車を使うものの悲願だった部分も見逃してはならない。高架化で道路は拡幅し、今ではスムーズに南北を行き来出来る。
駅周辺には鶴川街道が狭かった頃の名残が今でも幾つか散見できるが、駅の改装で人々の流れも変わり、周辺環境が激変したと思しき爪痕も同時に残っていた。
52_01.jpg それがここ、矢野口駅前ショッピングセンター。
南武線高架のスグ南、バス停前にポッカリと砂漠化でもしたかのような、半端に広く砂埃臭い駐車場があるのだが、この脇にモルタル造の棟割商店長屋がポツンと廃墟のように佇んでいる。
まるで再開発後の街をボー然と眺めているかのようだ。

近づくとショッピングセンターだった頃の看板がある。
52_02.jpg 魚屋と雀荘だけが読めるが、後は退色して何が入っていたか分からない。
アーケードの下に潜ると、魚屋の幟と酒のケースが残っていた。まだ新しく写る。
52_03.jpg 裏手に回ってみると、激しく錆びたトタンの平屋が横に長く伸びていた。
52_04.jpg 同じ作りの小屋には先の魚屋の屋号が。倉庫だったのだろうか。
52_05.jpg ショッピングセンターの裏側を見ると木造の住宅になっており、今は住居としてのみ使われているようだ。
52_06.jpg 52_08.jpg 隣接する駐車場からショッピングセンターの真横の姿を見ると、その構造がよく分かる。
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駐車場を挟んだ対面には、商店が連なる棟割の看板建築群が。
52_09.jpg こちらは完全な商店街の様相を呈しており、コインランドリー・クリーニング店・お茶屋とシャッターを卸している。
52_10.jpg その向かいのスナックは夜には今でも営業しているのだろうか。

この先はまだ真新しい家屋も散見できる、いわゆる多摩郊外の住宅街となり、ここだけ、ポツンと往時の姿を留めていた。
今後どうなるのか、ただ解体の日を待つばかりなのか知れないが、人が住まわれている限り、隣駅稲田堤のような個人商店が立ち並び自転車が行き交うゴチャゴチャとした南武線沿線らしい光景が、ここ矢野口にも展開していたことを教えてくれる。
【了】

No.162 立花製菓の"万年スタンプ台" - ガラクタ共存記

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ご紹介するのは、"立花製菓"の銘入り"万年スタンプ台"です。横幅60ミリ、縦40ミリの小さなブリキのケースで、地味なデザインではありますが、手のひらサイズの小ささが可愛いなぁと思い求めました。 万年スタンプ台‥‥。万年筆と同様で、ずっと使えるスタンプ台ということなのでしょうか。

立花製菓というと、残念ながら私には馴染みのないお菓子メーカーですが、『おかしな駄菓子屋さん』(京都書院発行 入山喜良著)で紹介された、"キントンアメ"の解説によると、創業は明治40年と大変古く、キントンアメのほかに"日の丸キャラメル"のパッケージも紹介されていました。"TS"の文字がはいったトレードマークも、スタンプ台と同じです。

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フタを開けると、赤いインクが乾いて、上の写真のようになっていました。この万年スタンプ台の持ち主は、しっかり使用していたようで、中央がへこんでいます。立花製菓のお菓子を買うとついてきた景品なのでしょうか? 

‥‥と思っていたら、立花製菓の"日の丸キャラメル・キントンアメ"のポスターをネット上で見ることができました(リンクを貼りたいと思いましたが、お店の商品でしたので、遠慮しました)。なんでも、これらのお菓子の中から、金の船賞カードが当たると、カードの点数が2倍となり、点数に応じて、さまざまな景品が当たったそうです。

商品の点数は、20点から2000点まであり、最高点数の2000点だとカメラが当たり、次に最高点数700点だと野球のグローブや万年筆、以下、300、200、150、100、50、30、20点と9段階の点数によって、お人形やハーモニカ、卓球セットなど、さまざまな景品が当たるとか。その中の50点のランクに、この万年スタンプ台のイラストが描いてありました。50点集めるのに、どれくらい日の丸キャラメルやキントンアメを買ったのかはわかりませんが、当時このポスターを見た子供たちは、なにが当たるか、ワクワクしながら、買い求めたのではないでしょうか。

 

おまけ①

文京区の白山神社に咲いていた梅の木です。この木だけ満開になっていました。 

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おまけ②

小学館発行の幼児雑誌『めばえ』 についていた、アンパンマン雛人形です。しばらくすると、娘が分解しちゃうので、その前にパチリ。小さいけど、可愛らしくまとまった雛人形です。

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それにしても、アンパンマンには本当にお世話になっています。気がつくと、私のカバンにも、キーホルダーがついていたりして‥‥。 

  

基本的に祭りが好きだ。
といってもお神輿担いでワッショイではなく(それも嫌いではないが)、テキヤの屋台がズラリと並ぶ類を指す。
中島みゆきに「まつりばやし」という歌があるが、祭りの輪に入れず(というか意図して入らず)傍観者として愉しんでいるポジションがよく描写されていると思う。

さながら、“運動は苦手でもっぱら見学だが、同級生とやんやするのが嫌いじゃないので、校庭の隅での体育座りをして眺めている”的スタンスとでも言おうか。初めて聴いた時「オマエはオレか!?」と思ったものだ。
曲の舞台は恐らく夏祭りで、テキヤの並ぶ光景は花火大会や盆踊り、七夕祭りを想像されやすいと思うが、自分にとって最も愛すべきテキヤ祭りは年末の酉の市の類なのだ。
吉原の鷲神社や新宿の花園神社で行われる11月の酉の日のものが有名だが、そうした酉の市以外にも多く熊手が売られる市がアチコチに立っている。自営をしている都合上、店に熊手を祀る目的もあるのだが、
【結構人ミルクホール:熊手、昨年もお世話になりました】
折角なら色んな場所の酉の市を見てみたいと、可能な範囲でアチコチに出向いている。
このブログでも過去、毎年12/15に催される川口のおかめ市について少し触れたが、
●川口のおかめ市ついでに 2010年12月25日
手前のB級グルメブログでも何度か紹介させてもらった。

吉原の鷲神社酉の市横浜橋の大鷲神社酉の市
浦和の十二日まち大宮の十日市(とおかまち)蕨の和楽備神社酉の市
川口のおかめ市:04年06年10年

以上はここ10年くらいに赴いた代表的なもので、これ以外にもいくつか足を運んでいるが、昨年12年末は初めて、立食いそば屋に立ち寄ったついでに、
【デウスエクスマキな食卓:牧丘@西台】
板橋区西台の熊手市に詣でてみた。

img51_01.jpg 都営三田線の西台駅から南へ徒歩5分チョット、首都高と交錯する歩道橋の裏手に善長寺がある。
51map.jpg この境内と南側を東西に伸びる細い路地200m程の区間に凡そ百軒の屋台が並ぶ。
img51_02.jpg ここは武蔵野台地の崖線に沿うような線形を辿る道。崖に沿って削った様な線形なので、ただでさえ道幅が狭い所の山側に屋台が並ぶものだから更に道幅が狭まる。そこにきて若干道がウネっているからさぁ大変。夕方ともなると浮き足立った学生やらで寿司詰め状態となる。
img51_03.jpg 年末の冷たい空気の中、身体を縮こませ、ジャンパーのナイロンとナイロンが擦れる音の中、白い息を吐きながら人並みに身を任せてこその祭り。なんともトリップ感のようなものを覚えてならない。

屋台が並ぶ道から善長寺に入ると参道に人の列ができている。
img51_04.jpg 善長寺の参拝客かと思い、脇から善長寺を眺めると、列は更に奥に伸びている。どうやら熊手市の参拝は境内の端にある神社で行うようだ。
ならばと自分も列に加わる。
列が進むと両サイドに熊手が売られている光景が目に飛び込んでくる。
img51_05.jpg 見慣れた屋号も目にするが、初めて見る屋号も多い。この地区の熊手市は初めてだが、エリアによって縄張りがあるのだろうか。
img51_06.jpg 遅々としつつも進みながら熊手を眺めつつ思ったのだが、こんな町の外れの小さな規模の市に溢れんばかりの人がどうして詰めかけるのだろうか。都心の酉の市でも、巣鴨や西新井の納めの大師などは寂しくなるほどの人手だ。しかもこの熊手市は酉の市公式サイトのリンク【東京都内の酉の市】にも掲載されていないにも関わらず、だ。
地形的に少々アクセスが悪いから、逆に地域信仰が根強く残っているのかもしれない(ちなみに近くを通る環状八号線が武蔵野台地を貫いて全線開通に至ったのが2006年とつい最近のこと)。周囲には大きな神社(天祖神社・北野神社など)も多く、初詣に赴いてみたが、その賑わいと立派さに驚かされた。
img51_07.jpg 列はさらに進み、いよいよ神社に近づいたが、本当に小さな祠というくらいのもので、またも驚かされた。
img51_08.jpg 内部は写真に収めなかったが、近所に畑も多いこともあってか、採れた野菜が奉納されている様がなんとも微笑ましかった。

更に増える学生の波に飲まれつつも、時間をかけて喧騒を脱し、家路につくのだった。
屋台としては定番のものばかりでコレという特筆すべきものはなかったが、地元に根付いた本当の意味での祭り・信仰の、下駄履きというべき等身大のあるべき姿に触れられて、なんだか嬉しくなってしまった。
大きな酉の市もいいものだが、小さくても活気に溢れるものも一興であると気付かされた。まだまだ酉の市リンクに載っていない小さな市がアチコチにあるのだろう。これからも巡って行きたい。
【了】

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