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今回ご紹介するのは、福助足袋のお金受け皿2枚です。お金受け皿というと、意識して見ないとピンとこないかも知れませんが、スーパーのレジでも、書店でも、だいたいのお店には当たり前のように存在しますよね。でも、たまに昔からある喫茶店などで、年季の入った革製の受け皿を見ると、ちょっと嬉しくなるというか、いいなぁと思うのです。

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未使用で、状態のよいこの受け皿は、厚手の紙製で、中央に描かれた、福助足袋のトレードマークである福助が、なんともステキです。

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小さいほうは、直径130ミリ、高さ20ミリ。大きい方は、直径155ミリ、高さ27ミリです。 ひと昔前のお金の受け皿って、いろんな企業のモノがありますが(いずれご紹介します)、もう少し大きいモノばかりなので、この受け皿に出会った時は、嬉しかったです。

そうそう、福助足袋といえば、昭和17年に発行された社史『福助足袋の六十年(近世足袋文化史)』が手元にあります。

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福助足袋は、明治15(1882)年に 足袋装束店"丸福"として、大阪府堺市大町に創業し、明治33(1900)年に"福助"と商標を変え、昭和39(1964)年に、"福助株式会社"に社名を変更し、現在に至ります。足袋はもちろんのこと、ストッキングやソックスの老舗メーカーとして頑張っておられることは、私が書くまでもありませんが、今年、平成24(2012)年には、創業130年を迎えられました。すごいですね(詳しくは福助株式会社のHPをご覧ください)。

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社史の中には、白黒写真で、当時の街並みや看板、商品などがたくさん紹介されています。浅草の十二階にも、"福助足袋"の大きな文字がかかっています。 

 

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ある日の夕方、JR水道橋駅と、平行に流れる神田川に架かった水道橋を渡っていたら、空中をヒラヒラと舞う、小さなコウモリを無数見つけました。「いったいどこに住んでいるんだろう?」と思いながら、大都会の東京でも、コウモリってたくさんいるのだと感心しました。

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今回ご紹介するのは、そんなコウモリのクリップです。斬新なデザインのクリップだと思うのですが、いかがでしょうか。 

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コウモリというと、なんとなく不気味に思われるかも知れませんが、古いモノにはチョコチョコでてくる縁起物です(No.37参照)。お皿や着物では何度となく見てきましたが、文房具、それもクリップは、はじめて見ました。コウモリの下に描かれている唐草模様のようなものは、雲をイメージしているのではないかと思うのですが、シンプルなデザインの中にも、品があるといいましょうか、真面目につくったクリップだと思います。 

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雲(?)には、まるい穴が開いているので、壁につけて使うこともできます。縁起物として壁に飾ってもステキですね。ちなみに、横幅60ミリ、縦60ミリで、金属製です。 

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青と水色の色紙をはさんでみました。写真だとわかりづらいのですが、コウモリの体の毛並みも、実に細かく描かれているのです。作者のこだわりを感じます。 

 

おまけ 

少し前になりますが、埼玉県は大宮の先にある、蓮田のコスモス畑を見てきました。

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たくさん咲いていると見事です。感激しました。 

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拙ミニコミ誌の初売りとなる冬のコミックマーケット、今回も無事当選しました。
12/31(月)3日目 東 フ-32a ガキ帝国
新刊は趣向を変え、初のフルカラーガイドブックという様相で作って行く予定です。その他、いつもの調子の限定本も持ち込みます【詳しくは手前のB食ブログの詳細記事を参照】
で、前回告知した夏新刊の再販ですが、委託先書店への納品も順次行なっています【詳しくはコチラ】
というわけで、その夏新刊で取り上げた川口のローカル風土&フード、中でも未掲載の城趾巡りを前回に引き続き綴って行きたい。

 

前回の続き:vol.48 赤山城址・前編~ミニコミ新刊延長線は水路の先にあり!?

高速を潜ると、やはり植木の町らしく花卉園の手入れされた木々の風景が続くわけだが、花卉園の中を緩くスロープ状に勾配がついている部分がある。
全体に先の調節池(野球グラウンド)から北へは土地が盛り上がっているのだが、先の案内板と紹介すると、外堀の外壁から城の敷地内へと土地が上がっているところのようだ。
49_01.jpg 頭上を鉄塔のシルエットが覆いかぶさるナカナカのビューポイントだが、写真右端の坂になっているスロープみたいなところが城の南端、鳩ヶ谷口の箇所らしい。

私有地なので突っ切っていくわけにも行かず、脇の公道を北上。
暫く行くと、脇道に何やらボンボリが下がっているのが見て取れる。
49_02.jpg 地元のお祭でもあるのかと近づいてみると、日枝神社と記された社が小じんまりと佇んでいた。
49_03.jpg トタンのような外壁で、山間に管理するものもなく打ち捨てられたような風情さえ漂っているが、案内板があったので読んでみると、城の南東部に3つの神社を祀っていた、天神社・天武社・山王社からなる山王三社であるらしい。
49_04.jpg で、ここはその山王社に当たるようだが、さっきは日枝神社って書いてあった。そういえば、赤坂の日枝神社も溜池山王にあって、山王祭が行われる。明治元年から日枝神社の称号を用いるようになったそうだが、そもそもは日吉山王社や山王社と呼ばれ親しまれていたらしい【日枝神社公式サイト】。どちらも徳川家に由来するからどっちでもいいのか(笑)。

神社の前は駐車場になっていて、察するに歴史散歩スポットとして観光用に整備したものだろう。
49_05.jpg お盆真っ只中というに1台も駐車しておらず、道行くは自分一人と、観光客誘致には敗色が濃そうだ。

駐車場からちょっと歩くと、いよいよ城の内側に至る。一面緑の回廊がお出迎え。
49_06.jpg これが想像以上に綺麗な空間でもう圧倒された。内堀の周りを綺麗に刈り込まれた植木が取り囲む。これは隣接する花卉業者の支援によって手入れされたもので、流石はプロといった端正な仕事っぷり。
49_06-2.jpg ぱっと見は茶畑のように見えなくもないが、実際は草迷宮とでも形容したくなるような整然とした空間になっている。
49_07.jpg ここを行き交うのは花卉業者や隣地の畑の持ち主、犬の散歩をする近所の方々のみ。時折すれ違う程度で、あとは自分一人、静寂の中を歩く。
49_08.jpg 堀の中は水が張っておらず、入れるようになっている。

敷地の丁度中央辺りに城趾を示す石碑が立っている。
49_09.jpg こうしたポイントポイントに案内板が設置されており、城址のどの辺にいるのかも随時わかるようになっている。
49_10.jpg MAPの他、伊那市の治水事業についてもキチンと記されていた。
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城は思いのほか狭く、暫く行くとスグ遊歩道は途切れ、雑木林に行く手を阻まれる。
49_13.jpg 城というと石垣の高い立派なものを想像しがちだが、地方の陣屋とはこの程度かもしれない。しかしこの雑木林の部分も本来は城の敷地であり、江戸末期にはこの陣屋も相当荒廃していたと案内板にあったから、そもそもの状態を残している部分はこの程度でもあって御の字だったのかもしれない。まぁ辛うじて残っていた堀の形状を花卉業者が上手いことやってくれた賜物ともとれるが。

とりあえず遊歩道として整備された部分を行けるところまで行こう。
(続く...)

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