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「昔、電車カバンって、あったよね~」

「あった、あった。懐かしいなぁ。切符切りとか入ってたよなぁ」

「今の切符は切らなくてもいいし‥‥、切符自体、もうほとんど見なくなったよね~」

なんて、旦那サンとの会話からふと思い出し、こんなのもあります!とばかりに、引き出しの中から探し出したのが、この"オモチャカバン"です。

よく見られた電車カバンよりはるかに小さく、60×90ミリという、「カバン」と呼ぶのは難しそうなサイズですが、可愛らしく、しかも未使用だったので、2つ買いました。大きさや中身からして、駄菓子屋さんで売られていたのでしょうか。色合いもカラフルで温かみがあって、ステキですね!

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カバンの中には、4点のオモチャが入っていました。紙製のトンボと、2枚の紙があわさった、扇風機のようにくるくるまわすモノ(名前がわかりません)、きれいな色紙をくるっと広げて、花のようにするモノ(これも名前がわかりません)、そしてガラスでできたインコの根付です。カバンに描かれた、電車やボール、ラッパに剣玉、輪投げなどのオモチャには、程遠い品揃えですが、横幅90ミリの小さな紙のカバンから、これらの4点がでてきた時は、なんだか夢があるなぁと、微笑ましく眺めました。

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ガラスのインコは、よく見ると色が微妙に違いますね。ひとつひとつ手づくりなんでしょう、手間を考えると、ますます愛おしく思えます。

オモチャといえば、娘がオモチャ売り場を意識するようになりまして‥‥。デパートに入ると、「オモチャ行くか!」と叫んで、売り場目がけてまっしぐら。貼りついてしまったオモチャ売り場から、娘をどうやってうまく「はがす」かが大変なのです。

私の子供の頃は、田舎ですから、近くにエスカレーターがある建物がなくて、エスカレーターにうまく乗ることは、結構大きくなるまで、勇気がいったといいますか、ドキドキしていたものでした。ところがウチの娘ときたら、2歳半にしてものおじせずに、バンバン乗り降りしてしまうのです。今の子はなんでも経験が早いよなぁと、しみじみ思うのでした。

 

おまけ

まだ雪の残る不忍池です。

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毎日10℃以下という寒さもあって、日影にある雪はなかなか溶けませんね。

 

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前回につづいて、時計関係のグッズをご紹介します。真鍮製のクリップなのですが、マルの中に描かれた建物の下に、小さく右横書きで「精工舎」(現・セイコーホールディングス株式会社)と書かれています。この建物は、昭和初期頃に竣工された工場のようで、竣工記念としてつくられたのでしょうか?

TIMEKEEPER古時計どっとコムさんでは、当時の絵葉書をご紹介しておられますが、その絵葉書にもこの建物が写っていました。歴史についても詳しく書いておられ、本当に参考になるブログです。

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大きくしてみると、デザインの細かさといい、建物もお見事。さすが、時計メーカーの老舗、精工舎のクリップですね! このクリップとは、骨董屋さんで出会ったのですが、状態もよく、ひと目で気に入りました。

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クリップに似た物といえば、わが家で活躍しているのは、恥ずかしながら洗濯バサミだったりします。乾物などの食品を開けた時に、パパッとしめるには、便利といいますか、気がつくと洗濯機と台所を行き来している洗濯バサミなのでした。でも、不思議と紙などは洗濯バサミではとめません。 私にとって書斎の机上は神聖な場所(?)なのか、いつか古い文房具を並べて、ごそごそと作業としたいという、あこがれの場所だったりします。

‥‥今は、娘の落書きやシール貼りと格闘しているので、そんな余裕はありませんが、このクリップを見ると、子供の頃からあこがれた、書斎の様子が浮かんでくるのです。 

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そういえば、以前ご紹介した「山田輪盛館」の企業クリップも、見事なデザインです。 

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2つ並べると、こんな感じ。ちなみに精工舎クリップの大きさは、最大横幅60ミリ、縦65ミリ。

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地味といえば、地味なんですが、渋くて、歴史が感じられるクリップ2点なのです。 

 

おまけ

14日月曜日、東京の雪はすごかったです。

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娘と2人で1時間ほど近所を探検しました。手袋嫌いな娘は、素手で雪をつかんで大喜び。びしょ濡れになりましたが、童心に戻って、雪だるまをつくったり、雪を投げ合ったりして、楽しかったです。 

 

前回・前々回
vol.48 赤山城址・前編~ミニコミ新刊延長線は水路の先にあり!?
vol.49 赤山城址・中編~城趾巡りは植木の香り!?
の続きを。

遊歩道に沿って北上していくと、高速の外環道が見えてくる。外環道直下の道がこの敷地の北端のようだ。
49_14.jpg やはりここが最高位地点のようで、ここから東西に堀が下がっている。
49_15.jpg 堀と高速の間には小さな公園があり、現代的な子供向けの遊具、パステルカラーの恐竜の頭が生垣越しにニョッキと現れるのはなんとも異様な光景だ。
49_16.jpg ここからは堀の中を進むしか道はないのだが、木々が生い茂り急に薄暗くなる。
49_17.jpg なにやら山道というか廃道散策の様相を呈してくるが、辻には祠のような小さな御稲荷さんが。
49_18.jpg 夜だったら十分肝試しに使える程、背筋が寒くなるシチュエーションとなる。
49_19.jpg さらに道は険しくなり、遂には行き止まり。
49_20.jpg 高速下へと戻って逆方向の探索も試みようとしたが、特に北東部は藪状態が酷く、これ以上の未開地探索は無理と判断した。
49_21.jpg 仕方なく来た道を戻り、城址の石碑があったメインストリートから南へ抜ける堀沿いに歩を進める。

ここのはやや細長い堀で、スリットのように伸びる植木が綺麗。
49_22.jpg すると堀は途中で途切れ、ただの生活排水路の暗渠のような、民家の裏路地となる。
49_23.jpg トタン張りの民家の塀をすり抜けると、元いた日枝神社の参道に出ていた。
狐に抓まれた様な錯覚を感じつつ、花卉園と住宅街の間をトボトボと歩き、家路につくのだった。

初めての城址散策を振り返ると、規模も小さく、人々の生活する空間に紛れるように存在していたこともあって、非常に身近なところで緑が残された神秘の空間のようで、意外性と特別感と生活感が混在する摩訶不思議な魅力にすっかり虜となってしまった。
ただ、植木の町という特殊性がそうさせた部分が多いだろうから、城址全てに該当する感慨ではないかもしれない。しかしどうも戦国時代を筆頭に、歴史ロマンというものがどうも胡散臭く、またそれを好きな人々の言動が鼻について全く好きになれなかった私の様な人間にとって、今回の体験が歴史にコミットする大きな第一歩となったことは間違いない。
奇妙な形で残される城址というものが、現在の中でどのような風景を見せてくれるのか、もっと見てみたくなった。これからも機会があったら巡っていきたい。
【了】

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