骨董ジャンボリーの翌日、7月23日、日曜日は、案の定、身体のあちこちが痛みました。10キロ近い娘を抱っこしながら長時間歩くには、もう若くないよなぁと、しみじみ思いつつ、このくらいの痛みなら、かえって動いたほうがいいかも‥‥なんて思ったりして。逆治療法ってありますよね。ひさしぶりに大きな骨董市へ行ったせいか、身体はさておき、気持ちは晴れ晴れといった感じの私は、少し前から門前仲町までの行き方を、頭に入れていました。この日も気温は28度とちょうどいいし、わが家からの距離としては、浅草より遠いのですが、坂道がないぶん楽チンなはず。のんびり自転車をこいでいけば、たどり着けると思いました。
毎度のごとく、早朝、といっても7時ですが、出発しました。日曜日の東京は、車も人も少ないのがいいんです。もちろん、自転車好き(?)の娘も一緒に。浅草方面の下町風景と違って、オフィス街の大きな四角いビルを、不思議そうに見上げる娘と永代通りを走りながら、左手に日本橋水門を見つつ、東京は知れば知るほど、奥の深い土地だと感心していたら、見えてきました。永代橋が! う~ん。大きい! 実にカッコイイ橋です。隅田川って、もっと遠い印象があったのですが、こうやって、自転車で渡ることができると、身近に思えるから不思議です。隅田川といえば、架かかっている橋たちは、どれも形が違い、立派です。公共の橋なのだから、同じ形でいいように思いますが、ひとつひとつデザインして、特徴をつけたあたり、見事というか、さすがだなぁと思うのです。そして、どの橋も関東大震災跡の復興橋です。大きく立派な橋が架かるたびに、前進していくような力強さと、たのもしさを、誰もが思いながら眺めたのではないでしょうか。ちなみに、永代橋は隅田川の河口に位置していることから、門のイメージでデザインされたそうです。また、永代橋は男性をイメージし、となりの清州橋は女性をイメージしてデザインされたとか。
ついでといってはなんですが、戦前の永代橋と清州橋の絵葉書がありますので、ご紹介します。橋って、丈夫ですね。色は違いますが、形は昔も今も変わりません。
そんな永代橋を渡り、到着したのは富岡八幡宮骨董市。今年の1月に来て以来です。あの頃は、出かけるだけで、ものすごく勇気が入りました。娘は小さくて、いつ泣きだすかわかりませんでしたから。それが今では、つたい歩きと高速ハイハイが上手になり、「ナイナイ、バ~」と話します。本当に成長の早さに驚かされています。
‥‥と、話が横にそれましたが、今日は骨董ジャンボリー最終日なので、そちらに出店しておられる方も多いのか、お店の数は少ない気がしました。くるりとまわったのですが、ピンとくるモノに出会えず、残念(昨日散財しているから、内心ホッとしたりして)。そうそう、意識したモノがありました。以前ご紹介した、"こけし郵便"です。お値段的に手がでなかったのですが、種類がたくさんあり、こんなにあるんだって感心しました。でも、過去に何度も来ている富岡八幡宮なのに、よく見ると、本殿は個性的な形をした建物なのですね。あまり見ないつくりだと思うのですが‥‥。なにはともあれ、目的達成。来れたことに満足して、のんびり帰ったのでした。
さて、今回ご紹介するのは、ガラスでできた戸滑器です(白い陶製のモノもひとつ混じっていますが)。ひっくり返して並べてみると、形が橋に似ていると思いませんか? ずらりと縦に並べたのは、隅田川に架かった橋をイメージしたのですが‥‥。ちょっと強引でしょうか。これらは、いわゆる"代用品"と呼ばれるモノで、戦時中、物資が不足したために、それまで金属でつくられてきた戸滑器や戸車が、ガラスや陶器、木などで代わりにつくられたのです。ガラスでできた戸滑器は、色合いがとてもきれいで、形もさまざま。意識しているうちに、ポツポツと手元に集まってきました。
戸滑器の中には、「新案特許」、「特許」、「2」などの文字も入っており(文字が小さすぎて、私には撮影できませんでした)、貼られた紙には「特許 伊丹式戸滑器」と書いてありました。当時の引き戸の開け閉めを、この小さなガラスの戸滑器たちが、手伝っていた様子を想像すると、なんだか愛おしく思えますが、強度は大丈夫だったのでしょうか。あまり頻繁に開け閉めすると、マズイように思うのですが。ちなみに濃いブルーの戸滑器で、横の長さが58ミリです。小さいので、集めても場所をとらないのはいいですネ! 陶器でつくられたモノは、"時のかけら~統制陶器~"でも、『戸滑り』と題して、2006年9月に紹介しておられます。不安に思った強度に関しても確認しておられ、案外丈夫で、使用できたそうです。また、『戸車』も紹介しておられますが、これは形が可愛くていいです。それにしても、代用品の戸滑器といえど、いろんな種類があるのにビックリです。それだけ需要があったということなのでしょうか。