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42-2.JPG前回にひきつづき、骨董ジャンボリーのお話です。ジャンボリーには、No.10でご紹介しました"古道具・月天"のTさんも出店しています。とにかく、まずはTさんの所へたどり着かなくては‥‥。そう思い、必死にお店に向かいました。オーバーと思われるかもしれませんが、狭い通路におられるお客さんを避けながら、娘を抱っこしての移動は、思った以上にシンドイ。だいたいモノを見ることができません。これはウカツでした。抱っこしているわけですから、お腹がびよんと大きくでている状態なわけで、下にあるモノは見えづらく、取ることもできず、近寄ろうものなら、私より先に娘が手を出す始末。つまり、比較的高い所に並んでいるモノだけ、見ることができたのでした。‥‥‥なんだかなぁ。その上、娘は高い天井が珍しいのか、抱っこ紐の中で、イナバウアー状態。「すみません。すみません」といいながら、月天のTさんの顔を見た時には、ホッとしました。Tさんは、娘と逢ったのは3回目で、「大きくなったなぁ」と笑顔で迎えてくれまして、娘の相手もしてくれるので、大助かり。
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思うに、ジャンボリーは会場が広いので、真ん中に喫茶店を兼ねた休憩所があると、すごく助かると、自由に動けない私は、しみじみ思ったのでした。骨董を見にこられる方は年配の方も多いのですから、休憩場所は端ではなく、会場の中央がいいと思うのです。でないと一番奥までたどりつけませ~ん(私だけ?)。まるく喫茶スペースを置いて、業者さんを眺めながら休憩できたらいいな。商談とかモノ自慢をしながら。そしたら、長居できるのに‥‥って、すみません。ひとり言です。

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さて、月天でガラクタ好きの同士(?)をご紹介していただきました。徳島からいらしたOさんです。以前から、お噂は耳にしていましたが、とても優しそうな男性で、「はじめまして。さえきさんがお持ちの達磨に出会えたんですよ」と、ブリキの達磨貯金箱を見せてくださいました。手にとって眺めていると、Tさんに、「さえきちゃんのブリキの達磨貯金箱、両面型押しされてたよな~?」と聞かれ、達磨をひっくり返すと、後ろ姿もきちんとつくってあります。「う~ん。たぶん、そうだったと思うけど、え~、たぶん同じモノです」と答えたのですが、家に帰って見てみたら、うちの達磨は、後ろ姿は平べったいだけで、壁に取り付けられるように、小さな穴が開いていました。すみませんでした。

実は、この達磨は、ちょっと遠回りをして、3年かかって私の手元にやってきたモノでした。その話を骨董の情報誌『小さな蕾 No.409』に書いていて、それをOさんは読んでくださったのです。今までならご紹介していただいた方には、ていねいにご挨拶をしていたのに、今回は動きたい娘と格闘しながら汗だく状態で、Oさんもどうしていいかわからなかったと思います。まともに話すことすらできず、本当に失礼しました。なので、この場を借りて、Oさんとお揃いかと思われたブリキの達磨貯金箱を、ご紹介します。私のほうは、高さが85ミリで、Oさんのより小さいような気がしたのですが。あと色が残っているくらいでしょうか。顔の表情や構造は同じだと思いました。

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もうひとつ、おまけに達磨のカギをご紹介します。なんと、カギを差し込む穴部分が、達磨の口なのです。残念ながらカギ本体は、なかったのですが、なんともシブイ、ステキなデザインだと思いませんか? いったいどこにつけたのでしょう。開けるたびに笑ってしまいそうなカギ(穴)なのでした。

次回は、骨董ジャンボリーで買ったモノをご紹介します。

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気になる街角 

<本郷館 その1>

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この写真は、昨年10月に撮った写真です。木造3階建ての"本郷館"。明治38(1905)年に、文京区本郷に建てられました。部屋室が70もあるという、あまりにも大きくて、有名な歴史あるこの建物が、8月に解体されることになったと、友人F氏から、お知らせいただき、ビックリ! 以下3枚は、慌てて7月30日の早朝に撮った写真です。梅雨に戻ったような雨の後、水分をたくさん吸い込んだ木造家屋は、近寄ると、ものすごい迫力があります。この地に建ってから1世紀。約100年という時間の流れを見てきた本郷館。そういえば、8月1日で都電・荒川線が100年だそうです。お祝いの100年。お別れの100年。少し寂しく見上げます。

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台風6号の通過にともない、東京は7月21日から23日までの3日間、秋かと思うほど、気温の低い日が続きました。それまでの連日33度という暑さから解放され、ここぞとばかりに自転車での遠出も再開。娘も嬉しそうです。ふと、東京の骨董市カレンダーを見てみました。22日から"骨董ジャンボリー"が開催されているではありませんか! 天気予報では、22日の最高気温は28度。行きたいなぁと思ったら、旦那サンがビックサイト方面に用事があるとのこと、行きに送ってもらえれば、帰りだけなら抱っこで大丈夫かも‥‥。思い立ったら吉日です。急きょ身支度をはじめました。
両手が開くように、鞄はリュックサックを選び、オムツにおしりふき、ミルクに哺乳瓶、お湯入りポットに娘のお菓子。タオル数枚、ビニール袋数枚、濡れティッシュ、娘の靴下に靴、モノを買った時の手提げ袋、財布にパスモ、カメラに携帯を入れました。こうやって、鞄に入れた物を羅列して書いてみると、行く前から、すでにモノを買った後のような荷物の量です。その上、抱っこ紐の中には10キロ近い娘がいるのですから、まるで修業のようですね。でも、いいんです。思ったより早くに、骨董ジャンボリーデビューできるのですから。

*涼しい日は3日間だけかと思っていたら、その後、ずーっとパッとしない天気が続いています。気温も30度止まり。節電中なので、ありがたいことだと思いつつも、いつゲリラ豪雨に遭遇するかわからない状況なのでした。
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実は、今まではスタッフ側でお手伝いをすることが多かったので、チケットを買うことはなかったのですが、今回は入場料1000円を握りしめて会場に入りました。そして、娘がぐずったらすぐに帰ること。往復の移動時間をいれて、長くとも4時間でやめること。手提げ袋に入るモノだけしか買わないこと。などなど、自分なりのルールを決めてのスタートです。
‥‥結論から申しますと、娘は何度かぐずりましたが、泣くことはなく、途中外に出ると、親しい業者のMさんがいて、カエルの人形で遊んでくださり、気分転換ができたせいか、なんとか1時間半会場にいることができたのでした。見ることができたお店は、ほんの数店でしたが、お客さんが想像以上に多く、通路ですれ違うのも神経を使うほど混んでいて、なんか、嬉しかったです。そんな状況でしたが、何個かつれて帰りました。今回から数回にわたってご紹介していきます。

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では最初に、巴布薬『シントール(エー)』という商品名の、戦前につくられた塗り薬の容器です。惹かれたポイントは、陶器製であること。生成り色に緑色で書かれた文字と、地球に「シントール」と書かれた、タスキをかけたデザインもステキです。よく見ていただくと、当時の日本の領土が濃い色で描いてあります。ラベルでなく、陶器に直接住所や社名、製薬者名まで書かれており、名古屋市東区鶴重町の、シントール薬品株式會社製で、製薬者は松元文作さんだとわかります。ひっくり返すと、底には「岐751」の文字があり、この番号は"統制番号"といって、物資が不足した戦時中につけられました。番号から製作者までわかるとか。ちなみに「岐」は、岐阜県を現しています。詳しくは、『時のかけら~統制陶器』、『統制陶器図譜』をオススメします。こちらでは、長年にわたり、収集してこられた統制陶器を、番号はもちろん、産地や形状など、詳しく紹介しておられます。このシントールも、『時のかけら~統制陶器』の2007年1月と、2005年6月に紹介してありました。ちなみに大きさは、直径75ミリ、高さ50ミリで、比較的大きめのサイズなので、小物入れにヨイです。

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次は、滋養強壮薬『SOZYUEN蘇壽圓(ソジュエン)』の同じく陶製容器です。同じお店に、ちょこんと並んでいました。陶器でできた容器って、洗練されていない、ボテッとした感じが、可愛くて好きなのです。大きさは、直径57ミリ、高さ24ミリです。白地に茶色い文字が、いい感じなのでした。はじめてのお店で、パッと発見して買う、という行為は、壮快感があります。ご縁があったのですね。

そういえば、"かんぢや"のお2人にひさしぶりにお会いしました。数年ぶりなのに、ぜんぜんお変わりなく、お元気そうで嬉しかったです。かんぢやといえば、倉敷懐かしマーケットを主催しておられる方です(No.34参照)。7月31日日曜日は、倉敷懐かしマーケットが開催されますよ。近ければ、私も行ったのになぁ~と思ったのでした。

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右サイドメニューでも告知を更新させてもらったのだが、拙著、B級グルメ町歩きミニコミ誌の新刊が今年も出来ますってことで、予告がてら泣く泣く未掲載となった写真をチト公開。

今回は商店街の特集ということで、昨今、出没エリアとなっている上野御徒町界隈から、日本で2番目に古い佐竹商店街を真っ先にピックアップしてみた。
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既に取り上げているはずだったのだが、あまりに魅力的でボリューム的に収まらず、今回別項を設けるに至った。
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御多分に漏れずシャッターが多く、距離も短いし、地域密着の洋品店とか寝具、煎餅屋が並ぶ光景は、それほど特徴的と思われないだろうが、入ると何気に人の多い喫茶店がオーソドックスながら渋い仕事をしていたり、インベーダーゲームが現役で稼働していたりする。商店街自体も古いとあって、裏へ回ると、激狭路地がウネウネと続き、戦前の商店の顔を覗かせる。
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周囲は関東大震災後に建てられ、空襲を免れた看板建築が多く残っているが、それだけでなく、商店街の商店一つ一つが、歴史の生き証人となっている。

先の東日本大震災以後、取り壊される戦前~戦後にかけての民家を、最近あちこちで目にするが、その動向はここでも見受けられた。
商店街の裏側にあった建築が取り壊されたことで、商店の真裏が露呈してしまった。
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おどろおどろしくサビトタンが迫ってくる様子に戦慄を覚えた。
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こちらは引きの画だが、この右はじの奥に見覚えがあった。上の商店街の写真だ。
だが、肝心の空き地となった場所にあった建物が思い出せない。撮った写真をひっくり返してみても、どうにも思い当たらない。
見落としていたのだろうが、こうして建物も時代とともに移ろいでいくもの。それでいいのだろう。
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