第15回 小川秘境のウズマキナルト〜軍跡に北海道ラーメン |
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旧日本軍に関連する遺構を取り上げるが、プロパガンダ等の政治目的はなく、単に戦争・軍事に関する遺跡・遺構の存在そのものに興味があるにとどまり、筆者自身何れの団体にも属していないことを最初に表明しておく。 |
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昨年末に製作したミニコミ誌07年冬号『千住迷宮物件』が5ヶ月を過ぎてなお好評いただいており、著者としてはこれほど嬉しいことはない。バックナンバーは殆ど在庫切れながら、前回07年夏号『多摩湖B食ライン』はまだ少し残っているので、こちらも宜しくということで、第8回以来の多摩エリア企画、東大和市駅より野火止用水を下る。
羽村取水堰より始まる玉川上水は前回第14回でも取り上げた代田橋を経て新宿(旧淀橋浄水場)へと流れていた。先日タモリ倶楽部でも取り上げられていたので記憶されている方も多いと思うが(オレを呼んでくれよ!)、西武拝島線玉川上水駅付近には断層が走り、江戸時代玉川上水建設時の最大の難所とされた。玉川上水は駅東側から枝分かれして野火止用水となっている。恐らく暗渠になっていてハッキリとした流れは確認は出来なかったが、拝島線に沿って東大和市駅まで、ちょうど東大和と小平の市境を流れている。
東大和市駅を過ぎて真っ直ぐ進む道路があり、これと拝島線が分かれる辺りから緑茂る中、小川のような野火止用水が顔を出す。
この辺は道路が細い割りに車の抜け道となっていて、歩行者や自転車は難儀するわけだが、野火止用水脇だけは緑道なので近隣の方々の往来が多い。地面もぬかるみ、ウッとするほど湿度が高い。用水自体も藻や水草が繁殖する鬱蒼とした光景はここだけ武蔵野が取り残されたみたいだ。
用水に架かる橋は歩行者用の粗末なものながら、古いコンクリート造から石積みのものまであり、これがいい具合に枯れており、否応にも足を止めてしまう。
用水からはずれ進路を南にとると拝島線にぶつかる。線路脇には田畑が広がっていて、裏道を抜けようとしたら舗装されてない私道に出てしまい、靴がドロだらけになってしまった。ここは東京か!? そんな中に温泉スーパー銭湯テルメ小川がデンと登場する。なんだかパックスロマーナな宮殿チックな建物で、高さが高さだったらラブホテルである。
入場の際、一つ賭けていることがあった。この手の施設でよくある、日替わりで男湯と女湯が入れ替わるというヤツで、一つは岩風呂の露天。もうひとつはローマ風呂。さぁどっちだ?と受付を済ませ男湯の暖簾をくぐると眼前に広がるのは・・・やっぱローマ風呂かい!?(※ローマ風呂は奇数日が女性・偶数日が男性だそうだ)
露天風呂の温泉は茶褐色で透明度が高い。しかし見た目の割りにヌメリが強く、肌に纏わりつく感じが強い。これは思いの外温まる湯で、つくづく岩風呂でないのが悔やまれる。
露天風呂の脇に区切られたスペースがあって、ここの売りでもあるテルマリウムが楽しめるようになっている。古代ローマ時代から受け継がれてきた蒸気浴だという。まぁサウナである。狭い上になんだか暗い。ただでさえ蒸気がモウモウとしているのに、極彩色のタイルパターンが恐怖心を増大させる。本来の目的とは別の面白さがあった。
ちょっとモンドチックな見方をしたら楽しい施設かもしれない。
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テルメ小川
10:00〜23:00
定休;第2水曜
小平市小川町1丁目2494
公式サイト
※時間等変更の場合があります
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再度野火止用水へ戻ると、周囲の家々はここ数十年で建てられた建売的なものばかりの中、草木生い茂る密林住宅が異彩を放っていた。一心荘という名の木造平屋アパートであるが、元々は昭和17年にこの一帯に建てられた陸軍少年通信学校の一部。
初めて目撃したのは10年以上前。その頃は周囲は藪で囲まれ、木漏れ日に浮かび上がるシルエットは荘厳ですらあったが周囲は宅地開発され、一心荘背面の土地は駐車場に変わっていた。
キングポストトラスという小屋組の施された造りだという。正面に回るととにかく木々が生い茂って中がよく確認できない。
それでも目を凝らすと、外壁の木部はだいぶ朽ち、耐久年数は当に過ぎているようだ。玄関前を通ると人が出てきて慌てたが、まだ人が住んでいるようだ。悪いので外からザックリ見て引き返したが(本当は突き進む勇気がなかった)・・・
地上に露出したハッチはどこに繋がっているのだろうか。
さらに野火止用水を下ると西武国分寺線の小川駅に出る。駅東側は広大なブリヂストン小川工場が広がっている。
施設内、及びその周辺には学校やらスーパー・団地・病院など、生活するに困らない全てのものが揃い、一つの町と化している。
団地が立ち並ぶ間に錆びた配管が巡っていたりとここだけで見所満載なのだが、これだけの土地が確保できた歴史的背景というのが興味深い。ここは以前、陸軍兵器補給廠小平分廠といい、隣接する武蔵野病院は傷痍軍人武蔵療養所だった。地図上で確認するとブリヂストン用地の北側を横切る形で萩山〜小川間を拝島線が引かれているが、昭和19年頃は小川駅から兵器補給廠へ引込線が引かれており、繋がっていなかった。それとは別に小川駅から第8回の日立航空機に引き込むために引かれた路線があり、これが拝島線の基盤となった。戦後昭和39年頃に萩山と小川が繋がることで、現在の新宿へと結ぶ路線が出来上がる。
かつてブリヂストンの敷地であった拝島線の北側は現在ダイエーと松見病院になっている。電車内からチラリと草葉の陰から覗かせる松見病院の病棟は、窓に鉄格子のようなもので固定された重々しいものだが、武蔵野病院は国立精神神経センターとして機能しているし、松見病院北部の緑風荘病院も総合病院ながら、敷地内の殆どを宿舎のような生活できる別棟で埋められている。
また今回のエリアから外れるが小平霊園の東側にはハンセン病資料館があり、周囲には隔離病棟が現在はその利用目的は違えど、当時のままの佇まいを残している。
今回は旧日本軍関連施設の痕跡ばかりを追う結果となったが、軍都を巡るということは同時にそれに伴う負の遺産とも向き合うことに繋がるのだと痛感した。
ちょっとブルーになる話で申し訳なかったが、と同時にどんなに物思いにふけようとも腹が減るのも人間である。
ブリヂストンや松見病院に沿って南北に伸びる幹線道路、府中街道を北上する。万年渋滞の道路で拡張工事もなかなか進んでないようだが、沿道には郊外型のチェーン店が進出してきているなか、夜になると府中街道沿いに暖簾だけが架かる、古くからの怪しいラーメン屋があるという情報をキャッチした。なんでも、ハマればハマるのだが、半分以上残す者が後を絶たないという。
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北海道ラーメン
18:30〜23:00
定休;第2水曜
東村山市栄町3-32
※時間等変更の場合があります
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カウンター席が4ほどとテーブル2卓の小さな空間。蛍光灯が心なしかチナチカ眩しい錯覚に陥る。そこには昨日今日作られたハリボテではないリアルな昭和が広がっていた。
頂いたのは塩ラーメン麺硬め¥600!
実は店内に入った瞬間から結構な豚骨の臭いがしていたのだが、丼を前にするとそれが益々臭い立ってくる。豚骨専門店以外でこれほどとは。透明感はありながらややグレーに濁ったスープで、かなり生姜がきいている。こんな塩ラーメン食べたことない。
麺はなかなかの太麺。持ち上げただけで相当硬めなのがわかる。噛むとポクッとした食感の後に、粉の味わいがガツーンとくる。チャーシューも肉らしさが堪能できて好み。
わき目も降らず無心に完食。帰りしな、お話を伺うと創業39年だという。このテイストを30年以上前に開発していたことに驚きを隠せない。38年間続けてこられて、今やっと、この独特の食感が受け入れられるように時代がついてきたんじゃないだろうか。いやはや、衝撃テイストにノックアウトであった。
■参考資料■
・ふるいたてものずかん「旧東村山陸軍少年通信学校(一心荘)」
http://www.geocities.jp/tatemonoxxx/issinnsou.html
・Rail&Bikes:Rail Page廃線レポート 関東西部編
「そして路線はつながった」西武拝島線 http://hkuma.com/rail/haiji01.html
2008年 6月 4日更新
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