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第10回 『靴が鳴る』 |
日溜まりの公園で、暮れなずむ街角で、夜のしじまの中で、ひとり「童謡」を口ずさむ時、幼き日々が鮮やかによみがえる…。この番組では、皆様にとって懐かしい童謡の歌碑を巡ってまいります。今回は、『靴が鳴る』です。
『靴が鳴る』といえば、幼稚園のお遊戯の時間にみんなで手をつなぎながらオルガンの伴奏に合わせて歌った記憶がありますが、昭和32年の小学校の音楽の教科書(東京書籍)を調べてみたら、1年の教科書に載っていました。この歌が発表されたのは、大正8年。作詞は清水かつら*、作曲は弘田龍太郎**です。
『靴が鳴る』(『少女号』大正8年9月号 に発表)
作詞 清水かつら(しみずかつら、1898−1951)
作曲 弘田龍太郎(ひろたりゅうたろう、1892−1952) |
1.お手々つないで野道を行けば
みんなかわいい小鳥になって
歌をうたえば靴が鳴る
晴れたみ空に靴がなる
2.花をつんではお頭(つむ)にさせば
みんなかわいい兎になって
はねて踊れば靴が鳴る
晴れたみ空に靴が鳴る |
この歌が発表された当時の小学生の姿は、都内でも着物に袴、下駄履きが一般的で、洋装する子供は少数派でした。小学校の遠足の時には子供用のわらじをはいて出掛けたそうですから、靴をはいて野道を歩ける子供の家は、よほどのお金持ちだったのでしょう。今、この歌を聞くと、子供のほほえましい光景が目に浮かんできますが、当時この歌を聞いた子供達は、靴が買える豊かな生活にあこがれを持ったのではないでしょうか。
さて、この歌の歌碑は、埼玉県和光市の白子川に掛かる白子橋にあります。歌詞を書いたプレートが橋の欄干にはめ込まれているだけなので、厳密に言うと「歌碑」と言えないかもしれませんが、近年、橋などに歌碑のプレートをはめ込むことがあちこちで行われているので、ここでは広義の「歌碑」として紹介します。作詞者の清水かつらは、東京で生まれ育ち、都内の出版社に就職し、少女雑誌『少女号』の編集を担当しましたが、25才の時に関東大震災に被災し、継母の実家のあったこの地へと移り住みました。
ところで、皆さんは清水を顕彰する施設が、板橋区の東武東上線成増駅と埼玉県の和光市駅の前にそれぞれあることをご存知でしょうか。実は清水の住んでいた家が都県境に近く、両駅の中間地点にあることから、それぞれの駅前に時計塔や碑が建てられているのです。もし、白子橋に行くことがあれば、両駅前に足を伸ばしてそれぞれの施設を見るのも一興でしょう。
*大和田建樹 おおわだたけき。国文学者。詩人。能楽研究者。安政4年、愛媛県宇和島市生まれ。明治15年、東京大学書記、翌年古典講習科講師。後、東京高師・東京女高師教授を歴任。24年教職を辞し、著述生活に入る。著書は97種、151冊。その詩歌は広く愛唱され、『鉄道唱歌』や『故郷の空』は特に名高い。明治43年死去。享年53。
**弘田龍太郎 ひろたりゅうたろう。作曲家。明治25年、高知県生まれ。大正3年、東京音楽学校を卒業。昭和3年、文部省留学生としてベルリンで学ぶ。帰国後、母校の教授を務めたあと、晩年は幼児教育に携わる。歌曲や童謡を多く残し、昭和27年死去。享年60。
[参考文献 |
『古老がつづる下谷・浅草の明治、大正、昭和U』下町風俗資料館 昭和57年 |
倉田喜弘・藤波隆之編『日本芸能人名事典』三省堂 平成7年 |
下中邦彦編『音楽大事典第4巻』平凡社 昭和57年] |
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場所:埼玉県和光市白子橋
交通:営団地下鉄有楽町線「営団成増」駅2番出口より徒歩9分
2003年12月8日更新
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