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「秘密基地」タイトル

第13回「食べものを奪い合う子どもたち
──カラーそうめんの希少価値はどこへ」の巻

日曜研究家串間努


 フスマ1枚隔てて隣の所帯。
 という、自由律俳句が詠めそうな家に、子どものころ住んでいた。大きな平屋建ての屋根の下に、4世帯10人ばかりがそれぞれ独立した玄関を持ち、便所と台所は共用である。左隣の貸間にいたヨチクンという、私より2歳上の男の子とよく遊んでいたが、あるとき森永か新高製菓のドロップをくれようとした。そのドロップは佐久間の缶入りドロップとは違って、パイン飴のように穴の開いたドーナツ型で、20粒くらいをまとめて筒状に巻いたものだった。いまだったらメントスや明治カルミンを想像してくれればよい。ところがヨチクン、一度出した手を引っ込めた。何気なく紙を破いて私にくれようとしたドロップは、1本に一個しか入っていないチョコレート味のものだったのだ。しまった!
  「それちょうだい」
 「やだ」
 「ちょうだいちょうだいちょうだい」
 「やだやだやだやだやだ」(以下繰り返し)
 という押し問答となり、小突きあいのケンカ。コンクリートの塀に顔を押し付けられて鼻血を出したのは私のほうである。

 子どもは同じ味の食べ物なのに、少量しかはいっていないほうを「ラッキー」と感じて、「それは価値があり、他のものよりうまいのだ」と感じる習性がある。
 例ならいっぱい挙げられるぞ。

味覚糖「純露」の紅茶味のほう
不二家「ミルキー」の黄色い包装紙のほう
森永「フィンガーチョコ」の金の包み紙のほう
カンロ「カンロ飴」の黒い包み紙のほう
ロッテ「小梅」にたまに入っている大玉のほう
カクダイ「クッピーラムネ」の白い粒より赤い粒のほう
蜜豆に入っている寒天で、色がついているもののほう
給食に出たバナナで
「ドール」「チキータ」などのシールが貼ってあるほう
カルビー「サッポロポテト」のなかに入っている太めのほう
(えびせんだと信じていた)
カルビー「仮面ライダースナック」の「新カード」のほう

(以上、いま流行中の日本語の乱れ、〜のほうで統一してみました)

 意見がわかれるのが佐久間ドロップスのハッカ味だろう。これは「ハッカがよかった」人、「ハッカは苦手だった」子の賛否両論である。
 そして、差別化したもので一番みなさんの記憶に残っているのは、「カラーそうめん」。つまり「そうめん」に数本だけ入っている赤・青のめんだろう。

「カラーそうめん」

 一説としては、麺の本数を数えるための目安で入れられたといい、また一説では「流しそうめん」の「この玉でさいごだよ」の目印に赤いそうめんを流した。などといわれている。
 テレビで放映していた業界団体の話では、「そうめんと冷麦を区別するために冷麦に入れたら評判がよかったので、そうめんにも入れることになった」という。
 冷麦とそうめんの違いは、麺の太さである。1968年、JIS規格で、太さの直径が1.3ミリ未満のものが「そうめん」、直径1.3ミリ以上〜1.7ミリ未満は「冷麦」。それ以上の太さの麺は「うどん」ということになっている。
 いまさらだが、太さだけで名前が違うというのには恐れ入った。だいたいこの、単純に両者を区別するために数本のカラーを入れたという考え方はおかしい。
 もともと、そうめんと冷麦の違いが頭の中でごちゃごちゃになっているヒトにとって、カラーのありなしは明確な識別のための指標にはならない。カラーが入っているほう、どっちがそうめんであったかを忘れる可能性があるではないか。
 それに最終的には両方に入れたというのであれば、そうめんと冷麦を区別する意味がない。当初の趣旨を没却するようなことを、わざわざするという発想が不思議である。これらの矛盾を解決するには、両者を区別するためにカラーそうめんを入れたという理由ではないと考えるのが自然だろう。
 だが、まてよ。「そうめんと冷麦を区別するために冷麦に色を入れた」という解釈は、別の事情からはうなずける部分もある。つまり冷麦生産者側の意見としては、色ものが入っているこっちが冷麦だよと主張しなければならない事情があったのだ。

冷や飯食いの「冷麦」

 太さではそうめんとうどんの中間に位置し、宙ぶらりんの位置にある冷麦。いまや、関東の町の日本蕎麦屋でも夏場に「冷麦」をやっているところをみつけるのは難しくなった。そうめんと冷麦は製法のちがいもある。「手延べそうめん」ということばがあるように、そうめんの6割は手延べ、冷麦の9割は機械式なのだ。しかも奈良の「三輪そうめん」、兵庫の「揖保の糸」というような有名ブランドものも冷麦の世界にはない。冷麦の大きさは機械で簡単に作れるからどの業者も大量生産でき、ご当地ブランドがそだたなかったのだ。1970年代のなかばまで、滋賀県より西側がそうめん、岐阜県以東はそばと同じくらいの太さの冷麦が好まれていたという。それが消費者の生産地志向と、お中元による流通で日本中にご当地ブランドそうめんが広まっていったのである。冷麦危うし! である。
 ところが、またまた逆説的見解を出して恐縮だが歴史的事実としては、先にそうめんのほうにカラーバージョンができている。次の話をみれば、冷麦に入れたのをそうめんに拡大応用した説は崩れるだろう。
 四国の松山で、寛永年間に創業した長門屋が「カラーそうめん」の元祖である。
 八代目店主の娘が椿神社参詣の帰り、美しい五色の糸が下駄に絡みついたのを見て、父親に、
 「おとうさん、そうめんに色をつけてみてはどう?」と進言したのがきっかけだったという。家業のことを常に気にかけるよい気立ての娘ですな。そうめんに色をつけるのは初めての試みで、苦心の末に編み出された「5色そうめん」は評判となり、藩主が参勤交代の折に将軍家に献上、さらには朝廷にも納められ『唐糸のように美しい』との御褒詞を戴いたという。
 江戸時代から色つきのそうめんがあったのは事実である。
 しかし、業界団体のいう「冷麦と区別するために先に冷麦に色つきをいれた」というのがまったく違うともいえない。関東の業者がたまたま「5色そうめん」を知り、これを冷麦に応用すれば、そのころ白一色だった、そうめんと冷麦の世界に一線を画すことができるだろうと考えたのかもしれない。冷麦業者にとっては、どこまでも真っ白な大地で、冷麦の赤や青入りだけが目立てば、「冷麦を買ってもらう」目的は達せられるのである。「そうめんと冷麦を区別するため」というのは、商人の心としてみてみれば、決して消費者の便宜のためではなく、自分たちの売り上げのためを計ったと考えるほうが自然な流れだろう。
 そして、その効果は意外なところに現れた。子どもが喜んだのである。その喜びは金銀入りの折り紙、金色銀色の絵の具が価値があるという感覚から発するものと同じとおもってよい。単純に子どもが喜び、「赤いそうめんを買ってくれ(本当は冷麦だけど)」と親にねだることで売り上げがあがるのであれば、そうめん業界も「われ、負けじ」と追随しただろう。
 事実としてカラーそうめんの元祖は愛媛の長門屋であるが、それは一把全部が赤や青である。コストパフォーマンス的にも、一把に1本2本だけ色つきをいれることを考えた人物こそ偉大である。それは誰だが姓名はわからないが、おそらく八宝菜に入っているウズラの卵を最後まで残してとっておくタイプのひとであったことは想像に難くない。

 兄弟姉妹がたくさんいたころは、カラーがついたそうめんや寒天を争奪するため、食卓では歓声や嬌声が上がっていた。クリスマスケーキをわけるときには、サンタのチョコレート人形や、メリークリスマスの砂糖プレートの配分でケンカが起こった。弟を押しのけてメリークリスマスを食べたはいいけど、実はそう旨いものではなく、二重の意味で後味が悪かった……。
 ──だいたいのひとが中流世帯だと感じ、少子化の流れのいま、そんなくだらない笑いや取り合いが家庭で起こることはなくなった。
 自分のそうめんに赤や青が入っているかどうか、必死に血眼になっていた私たちは、実は幸せだったのかもしれない。こういう日常生活の些細なディテールこそ、「昭和」の生活を美しく懐かしく思い出すよすがとなる、記憶のかけらなのである。

書きおろし


2004年1月21日更新
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