第21回 ポスト・イットの巻
「どれを買っていいかわからないくらい種類が豊富!」
1981年、私は渋谷にある大学に通っていた。当時、渋谷と原宿はおしゃれな街として若者向けのファッションタウン化している最中だった。ヤングのライフスタイル雑誌が「渋谷でデートするにはココ!」なんて特集を組むものだから、ミーハーな私は、高校時代から、手帳に各店を一生懸命メモしていた。いつか来る、千葉から上京しての「東京初デート」その日のために……。
待ちに待った日は18歳の秋にやってきた。私は手帳をもとに何軒かの雑貨屋や喫茶店をピックアップし、彼女を連れ回した。何度も来て慣れてるように気どっていたが、内心は、おしゃれな店にドキドキしながら足を踏み入れていた。 あれはたしか『フラッグス』だか『フラックス』という渋谷の雑貨店に入ったときのことだった。彼女が「これ、なーに?」と聞いてきた。黄色いメモのようなものだった。私の手帳には、それについての商品情報は書いていない。とりあえず「メモ帳だ」と答えた。 「でも、線が入ってないよ」 うるさい奴だ。東京には私の知らないものが無数にあることを思い知らされた日であった。
ポスト・イットは失敗の中から生まれた製品である。1964年、アメリカの3Mカンパニー中央研究所のスペンサー・シルバーという研究者は、強力な接着剤を開発していたが、ある日、わざと薬品の調合を間違えてみた。その結果できあがったものは、「よく接着するが、すぐにはがれる」というものであった。 できそこないの接着剤であったが、必ず何かに役立つと信じていたスペンサーは、3Mの社内に配り、意見を求めた。だがうまい利用法は生まれず、10年もの年月が経ってしまった。
「PCに貼りつけておけば立派な備忘録に」
その眠りを破ったのが、コマーシャルテープ事業部のアート・フライだった。彼は日曜日になると聖歌隊メンバーとして教会に行き、賛美歌を歌っていた。いつもその日に歌う予定の賛美歌のページに小さな紙切れをはさんでいたが、ちょっとでも動くとしおりはハラリと床に落ちてしまう……。 1974年の、ある日曜日もそうだった。歌集からちょっと目を離したすきにしおりが落ちてしまった。“またか”と思った瞬間、シルバーが作ったできそこない接着剤のことを思い出した。 「そうだ、しおりに、あの粘着物をつければいいんだ!」 こうしてポスト・イットノートは誕生したが、「メモ用紙にお金をかける人はいない」といわれ、発売当初は苦戦した。しかし、秘書たちへのサンプリングが成功して火がついた。「ポスト・イット病」と呼ばれるほどに“われも、われも”と使いだし、1980年に全米で発売された。日本には翌年に上陸したが、当初2年間はやはり売れなかったという。
「文具店でも、その粘着力をPRするナイスなポップを立てている」
「10枚パッドのものを60万冊作り、銀座や赤坂でサンプリングをしました。メモパッドは面積があるものでしたから、日本人の経済観念からいうと“もったいない”と思われたのでしょうね。そこで、日本には『ふせん』の文化がありましたから、日本独自の25ミリ幅の製品を出したところヒットしました」(住友スリーエム株式会社)。
米国の3M本社では「わざわざ、面積を少なくして売ろうなんてとんでもない発想だ」とビックリしたようだが、日本の消費者ニーズにマッチしたものを売りたいと住友スリーエムは頑張り、なんとか本社の理解を取りつけたという。
日本で発売された当初は大・中・小の3種類に過ぎなかったが、現在は色・形の違いで300種類以上と、世界一のバリエーションを誇っている。そのため「本社からはもっと絞りこめ」といわれているという。 300種類もあると販売店は陳列に苦労するだろうが、銀座の伊東屋や東急ハンズなどにはかなり豊富に商品が陳列されている。オフィス需要が多いポスト・イットの今後の目標は「家庭に浸透させること」だという。そうなるとターゲットは、チラシやミスコピーの裏側をメモ用紙に使っている節約主婦になるかもしれない。
文具の撮影協力: 神田神保町「文房具と事務機のスーパーストア」(株)信誠堂さん
2010年1月13日更新
第21回「ポスト・イット」の巻
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