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住吉神社からいよいよこどもの国へ向かう。
先述の通り、廃線跡は神社東側からこどもの国の駐車場へ向かうそうだが、西側もなにか痕跡はないかと疑ってみるも、風雲たけし城でお馴染みとなった緑山スタジオへ続く整備された道路が続くばかりだった。
それでもやや荒漠とした田園風景は廃景探索に相応しく、水路の架橋に惹かれ、東急こどもの国線脇へと導かれた。
ここで、今回の連載の冒頭で紹介した
【該当記事】、小規模生コン工場に出くわす。
工場のすぐ脇を電車が通り、目の前のこどもの国駅へ入線する様が間近に伺える。さて、自分もやっとこ、1年ぶりの入場と行こう。
●一年前の記事:
前連載第33回「弾薬庫ばかりの"子供のくに"」
昨年同様、巨大鏡餅がお出迎え。
相変わらず正月早々家族連れで賑わっているが、今回は前回見落としてしまった一部の戦跡と、イサム・ノグチのオブジェを目撃するのが目的だ。
プールを冬期だけリンクに変えたスケート場の脇を進む。こどもの国自体はすり鉢状になっており、入口から放射状に広がるように坂が伸びている。つまり、奥へ行けば行くほど、すり鉢のヘリに向かって坂が急勾配となる。
スケート場脇から坂がはじまる。まず第一のキツい坂を登り終えると、石積みのトンネルが突如として現れる。
斜面に埋没するように作られた遊具で、打ちっぱなしのコンクリート煤けた風合いといい、知らなければ旧日本軍時代の遺構と見紛う存在感。
この先、石垣の切通しに、格納庫のような青緑の鉄扉がこれまた遺構のようだが、こちらも後付の単なる設備らしい。
しかしこの先のトンネルといい、軍施設内の引込線跡の気がしてならないのだが、勘ぐり過ぎだろうか。
切通の上には、格納庫の換気口のような、半端に切られた阿部定的なコンクリの物体が整列していた。
よくみると昨年みた旧日本軍のそれとは趣が異なり、ややガンダムチックというか、機能美を超えたものを感じる。
これがイサム・ノグチの作品で、言われてみれば先程の切通のトンネルも、形状的にはデザインされた風が感じられなくもない。1965年の開園の翌年、イサム・ノグチ61歳の時の作だそうだが【参照サイト:
稲城と田奈の弾薬庫跡】、園内にそれを示す案内板のたぐいが存在しないのは残念でならない。
切通しを抜けると少しの間、閑散とした冬の枯れた山林風景が続く。一部崖か崩れたような山肌を覗かせる箇所があったが、下の方に穴を埋めたような、明らかに土の質の異なる半円状の痕跡を発見した。
やはりこの通り道自体が米軍接収以前より存在していたのではないだろうか。
この先、熱帯植物園手前にイサム・ノグチによる遊具があり、こちらは明らかに後付けされた恣意的なデザインとすぐに見て取れる。
高度経済成長期に近未来的とされたような幾何学的な形態ながら、コンクリートをなにかでコーティングすることなく、素材感を全面に出すラインの感じは、一般的な児童向け遊具とは一線を隠していると思う。
そしてここからはさらに先、園内のヘリ、最高位地点を目指す。
(続く)