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今回ご紹介するのは、陶器でできたニワトリ2羽です。高さが65ミリ、全長55ミリの、小さなニワトリで、おせじにも目つきは可愛いとはいえませんが、カラフルな色合いで、金色に輝くクチバシは、とてもキュート。

鳥好きの旦那サンに影響されたのでしょうか、ここ数年で、鳥をモチーフにした品を意識することが多くなりました。アンティークの鳥さんたちも、わが家にポツポツくるようになったのですが、このニワトリを求めたのは、底の刻印に魅かれたからでもありました。

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そうでうす。「OCCUPIED JAPAN」の文字が、底に描かれていたのでした。何度か紹介しているので、説明は避けますが、素性がはっきりとわかるモノは、魅力的ですよね。

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底に見えるコルクの栓と、頭に小穴がいくつかあけてあるところを見ると、塩やコショウなど、調味料入れですよね。実際に使ってもみたいと思いつつ、今のところ、置き物として棚の中に仲良く並んでいます。

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ニワトリといえば、うちの近所を早朝散歩すると、「コケコッコー」と鳴き声が聞こえて、ビックリします。住宅密集地の東京の真ん中ですよ。近所のお宅で飼っておられるのか、いきなり田舎に帰ったような気がして、不思議な気持ちになります。 田舎の庭では、キジが早朝鳴いていたっけなぁ‥‥。野生のキジが、いつの間にか住みついたんだと聞きました。 

 

おまけ

帰省最終日。初日の大雨が嘘のような晴天に恵まれました。

大好きな大山が元気をくれます。

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白い雲と、働きを終えて静かに草と眠る廃船たちが、印象的。 

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浮きのオレンジ色もいいですね。 

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vol.62 川越の赤線 - 昭和迷宮物件

前回告知させていただいた、拙ミニコミ同人誌の新刊限定セット、お陰様で通販分も沢山ご注文頂き、無事受付終了となりました。
限定本の一つ、川越~大宮間を戦前に走っていた西武大宮線の廃線跡巡りは、『これぞ川越』というタイトルで再編集し、タコシェ模索舎のみに置かせてもらっていますので、宜しければそれらも是非どうぞ。

というわけで、西武大宮線探索の際に川越の遊廓跡も覗いてきたので、そのレポートをやってみようかと。

埼玉県は公娼制度を認めていない、いわば廃娼県とされているが、建前は旅館や料理屋として営業するお決まりのパターンで熊谷や大宮などに遊廓は存在していた。乙種飲食店(達磨屋)という名で川越にも、日本三大東照宮の一つである仙波東照宮を有する名刹、喜多院の西側に赤線が存在した。
赤線跡としては余り知名度がないように思われたので、往時の建物は少ないか、規模が小さいのを想定して、見逃さないよう慎重に、喜多院北側の県道を歩く。
img62_01.jpg この表通り沿いの商店も看板建築が多く現存し、その繊細かつ堂々とした佇まいに圧倒される。
img62_02.jpg 側面から見るとトタン張りの木造家屋な丸見えなザ看板建築というべき佇まい。しかも隣の家の名残がハッキリと残る原爆タイプのトマソン(みちくさ学会参照)。
img62_03.jpg またコチラもトタンの青が眩しいが、躯体が教会のような洋風の三角屋根に鳴っているのも珍しい。

そんな家々の間、事前に調べた情報を頼りに路地に入るが、そこには想像を遥かに超えた空間が待ち構えていた。
img62_04.jpg 現れた民家からして、入口辺りの感じがまずもって雰囲気を醸し出している。
img62_05.jpg とその向かいに不自然な空き地があった。空き地の奥にはトタン張りのベランダが印象的な下見板張りが歳月を物語る木造家屋。
img62_06.jpg これは・・・とピンと来るものがあり家の裏路地に入ると、黒板塀の人一人通るのがやっとな狭小通路が。
img62_07.jpg これはビンゴか!?と思い、異様な静寂に包まれる路地を慎重に歩を進める。
img62_08.jpg すると唐圓(圓唐?)と書かれた看板。
img62_09.jpg さらにその奥には、今回探し求めていた旅館市むらのウラ入口が。
img62_10.jpg なにやら只ならぬ空気が一帯に漂っていて、気軽に家を拝見している場合じゃなく思えてくる。
img62_11.jpg 静かに、そして足早に路地を抜け、旅館の表に廻る。

住宅街にポツンと佇む転業旅館。
P1100546.jpg 表からでも独特の気を読み取ることが出来る。
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この先、天ぷら屋や食事処として営業する物件もあり、これは改めて食事をいただきつつ内部も鑑賞するとしよう。
img62_14.jpg (天ぷら屋の正面)
img62_15.jpg (食事処の2F部分)

こうして遊郭跡エリアを一回りしてみたが、90年代に多くは取り壊されたという割になかなかの現存率と、どれも堂々とした佇まいでとにかく素晴しいかった。さらには、その建物の間の路地空間が往時を思わせる、まさしく露地といった湿っぽさを残しており、小江戸の観光地としての顔以外に、やはり歴史的位相という町としての奥行きを感じずに入られないのだった。
img62_16.jpg 遊郭跡以外にも、菓子屋横丁の程近くの町裏にも重厚な建造物が数々残っていたので、こちらもいずれ取り上げたいと思う。
【了】

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今回ご紹介するのは、金属製のマッチケース。‥‥というか、マッチカバーというのかな。喫茶店などでもらってきたマッチ箱を、パチンと挟むようにして使うケースです。紙のマッチ箱がすり切れるのを防ぐと同時に、お洒落な小物に変身させるというすぐれモノ。懐に忍ばせるのも楽しくなったことでしょう。

このケースは、なんと資生堂の商品です。資生堂のロゴマークはもちろんのこと、「資生堂石鹸」の文字が、右横書きで書かれているのです。ステキなデザインをご覧ください。私のもとには、赤、緑、青の3色ありますが、ほかの色もあったのでしょうか。状態もよく、このケースにマッチを入れて持ち歩くなんて、すごいアイディアだわ!なんて思ったりして。 

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そんなことを思いながら、しげしげと眺めていたら、マッチにケースをつけるという発想が、昔からあったことに感心しました。使い捨てるだけであれば、別にケースなんてなくてもいいわけですから。そこに付加価値をつけるというのは、昔も今も変わらないのですね。

というのも、私、携帯電話をスマートフォンに変えて、4ヶ月ほどになりますが、スマートフォンのカバーというか、ケースの多さにビックリしたからです。品揃えが日本一という、秋葉原のヨドバシカメラに買いに行ったのですが、ものすごい量な上に、デザインの豊富なことといったら。アングリと口を開けてしまいました。

マッチが生活の中で重要だった時代には、マッチケースが産まれ、携帯電話が重要な時代には、携帯電話のケースが産まれ‥‥。いつの時代も変わらない、自分らしさを演出したくなる心を、たくみについた商品と言えるのではないでしょうか。 

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それにしても、こうして立てて並べると、書籍のようです。 上品で高級感あふれるデザインは、まさに資生堂さんならではですね。

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余談になりますが、私、スマートフォンにぜんぜん慣れません。前のシンプルな携帯電話のほうが、使いやすかったなぁと内心思っています。アプリもまだ使っておらず、メールはうちにくいから、ラインなど文字の少ない伝達方法が流行るわけだと、妙に納得したりして。まぁ、1年くらい使えば、慣れてくるかなと思っているのでした。

 

おまけ

山陰の大雨ニュースから、心配になって故郷に帰ってきました。幸い、私の実家のほうは、被害はありませんでしたが、帰った当日も島根県での大雨のニュースが、トップニュースで報道されていました。実家のほうも、夜中にはものすごい雷と雨が降り、朝にはやんだからよかったものの、これが長時間続いたらどうなったかと、恐くなったものです。

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今年は日本各地で、大雨でたいへんな思いをされている方が、たくさんいらっしゃいます。

1日も早く、被害にあわれた方々が心身ともに元気になりますように。 

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自然は怖いこともあるけれど、日本海からのぼる美しい朝日は、元気をくれます。 

 

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