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ひさしぶりの更新になります。実は、体調を崩してしまいまして‥‥。トシはとりたくないものですね。子供の回復力を見ていると、しみじみ思ってしまいます。

今回は、体調不良の間、お世話になったテレビにちなんで、テレビの形をしたモノをご紹介したいと思います。横幅90ミリ。高さ65ミリ。奥行き75ミリの、陶製の小物入れです。全体は白地というよりは、少しクリームがかった色で、画面には、「大國屋酒店 電話2308番」と茶色い文字で描いてあります。

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フタと左右の面には、木目のような模様が描かれており、昔のテレビを忠実に表現しているように思います。当時のテレビって、今のように薄くなく、家具のような存在感がありました。チャンネルも懐かしいですね。 

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裏面には、つがいのニワトリが描いてあることから、酉年に配られた景品だと思うのです。 

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この小物入れは、マッチや輪ゴム、ヘアピンなど、細かい物を、ちょっこっと入れておくには、とても便利だと思います。 

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さて、お世話になったテレビですが、なにを見ていたかというと、TUTAYAで、アニメ「スラムダンク」のDVDをまとめて借りてきまして、ひさしぶりに見ちゃいました(子供が寝た後にイヤホンをつけて、こっそり?とですよ)。どうしてスラムダンクなのかというと、元気がでるアニメだと思ったからです(桜木花道好きだし)。案の定、元気をもらいました。

 

おしまいに

故郷の海です。お盆の終わり頃に行きました。 

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今年の鳥取は、連日36度という暑さでビックリ。海はお湯のようでした。でも、とても美しい海と大山に感激です。

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赤城山は榛名山、妙義山と並んで上毛三山のひとつ。上州名物といえば空っ風だが、これは赤城山から吹き下ろす北風のことで、「赤城颪」とも言うそうだ。しかし、夏を迎えようとするこの日は、赤城山を峠を上るにつれ霧がひどくなってきた。そして、今回の目的地「御宿総本家」に到着したときは、あたり一面濃霧に包まれていた。


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赤城温泉郷は赤城山南麓に点在する宿の総称で、その中でも御宿総本家の創業はひときわ古く、元禄2年(1689)だという。現地からは老舗の風格はまったく感じられないが、まず気になったのは「Many Interesting Objects are Displayed in our Ryokan. SOUHONKE」の文字。ここを訪ねる外国人はよほどの旅行通だと思うが。


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玄関をくぐるとフロントマンが出迎えてくれた。内風呂は1階、露天風呂は3階にあるという。廊下には古今東西の雑貨が並んでいるが、それらに趣味の統一感はなく、お世辞にも高価な品には見えない。それはさておき、内風呂はすごかった。


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無色透明の源泉は酸化して緑色に、さらに時間が経つと黄緑色に変わっていくそうだ。固化した成分が床一面に波紋を作り、湯船のふちでは滑らかに堆積している。鍾乳洞のメカニズムと同じで、自然の神秘、長い年月の賜物だと言えよう。宿は傾斜地にあるため片側の壁は天然の崖を利用しており、苔むした感じもたまらない。かつては女湯との間に窓を設けていたのだろうか。そこには古びた温泉分析書が置いてあった。


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露天風呂は崖のギリギリにあって、いくら待てども霧は晴れず。景色は最悪だが、温泉マニアの楽しみはむしろ崖下にあった。湯船からあふれ出たお湯は崖下に捨てているが、そこだけ一切の植物が生えず、緑や茶に変色していた。湯量は毎日30トン。古くより「赤城山に霊泉あり、傷病の禽獣集まる」と言われ、「上州の薬湯」として知られているという。


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館内の様子は以下の通り。旅行に非日常を求める人には打ってつけの空間だ。


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泉質自慢にして記憶に残る宿。赤城山は登山やドライブなど観光スポットとして、古い人なら国定忠治の物語で有名だが、さらに南麓には地元で知られた「釣堀銀座」がある。群馬県には草津、伊香保、万座など名の知られた温泉は多いが、それらに対してここは秘湯感たっぷり。最近編入されたとはいえ、いちおう群馬県の県庁所在地、前橋市の一部である。


赤城温泉御宿総本家
源泉/赤城温泉(カルシウム・マグネシウム・ナトリウム-炭酸水素塩泉)
住所/群馬県前橋市苗ケ島町2034 [地図
電話/027-283-3012
交通/国道353号線「三夜沢町」交差点より県道16号線で約6.4km
     (JR両毛線前橋駅より約24km)
料金/500円
時間/8:00~21:00(要確認)

前回告知させて頂いた、拙著ミニコミ同人誌の新刊だが、先日8/12、弊サークルにお越し頂いた方、誠にありがとうございました。
当初の予定に間に合わず手製本となったが、なんとか新刊を出すことは出来た。手作りなので再販まで暫しお時間頂きたいが(9月中を予定。出来たらこちらでも告知します)、今回の本は以前2006年に発行した『足立JCT』という本の続編的な内容となっている。絶版でもあり、記憶にない方も多いだろう。繋がりの強いエピソードはこの連載でフォローさせていただこうと思う。
というわけで、今回は川口の旧中心地、川口本町を取り上げたい。

川口市のほぼ真ん中を縦断する幹線道路に国道122号があるが、岩槻街道とも呼ばれ、歴史ある街道筋であることは、現在の車の行き交う姿からは想像できないだろう。
岩槻街道は別名御成道とも呼ばれるが、江戸期に日光詣での道として整備されたもので、特に東京都文京区の東大前辺りからさいたま市の岩槻までが岩槻街道とされる。その旧道のルートは殆ど現在の国道とカブっているが、川口に入ってスグと鳩ヶ谷~新井宿間だけは別に嘗ての街道が残っている。
その川口の入口部分は昔の宿場町、川口宿に当り、善光寺の門前町として栄えた。ここが川口の中心地だったという。その中に存在する本一商店会は、今となっては寂れた商店街にしかみえないが、看板建築や立派な蔵など、そこかしこに往時を偲ばせる名建築が現存している。
しかしここ数年のスクラップ&ビルドは甚だしく、どこにでもありそうな住宅に店舗建築が建替えられ、町並みが激変している。


46_01.jpg 重厚な木造建築の接骨院。
46_02.jpg その奥の蔵部分は和食店としてリノベーションされている。
46_03.jpg 蔵へと至る路地には煉瓦パターンが。
46_04.jpg 接骨院の隣家と分かつのは、これまた重厚な煉瓦塀。
46_05.jpg 元豆腐店と思しきコインランドリー。
46_06.jpg サビ具合が絶妙なトタン張りの理髪店。
46_07.jpg 2Fの銅葺きが歳月を感じさせる薬局。
46_08.jpg その薬局には古い看板が掲げられたまま。
46_09.jpg 商店街の出口、北端には歯抜け状態ながら看板建築が散在する。
46_10.jpg 深い緑の銅葺きが見事な洋品店。
46_11.jpg その隣りの江嶋屋は1Fこそ現代風にリフォームされているが、2Fは見事な意匠の戸袋を残している。
46_12.jpg ある台風の翌日、その江嶋屋に足場が設けられ、網が被せられていた。遂に解体かと心配したが。
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なんと剥がれかけた銅板を修復していると職人さんが教えてくれた。剥がれたら危険だし、周囲はどんどんマンションに替わる中、こうなったら撤去するかと思いきや、往時の姿を維持し続けるオーナーの心意気に感服した。

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