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平成22(2010)年3月10日。神奈川県鎌倉市にある鶴岡八幡宮の、大きな大きな銀杏の木が倒れたと、ニュースで流れた時は、何度かお参りをしたことがある私にとっても、寂しいことでした。子供を授かりたいと願って訪れたこともありました。御朱印帳を見ると、平成20年の9月にお参りしたのが最後です。おかげさまで、このニュースを見た時は、お腹の中に娘がいました。それも、臨月間近だったために、お参りに行けず、その後もお礼参りに行くことができませんでしたが、先日、旦那サンが出張の折、ふと行ってみようと思い立ち、ベビーカーとリュックサック姿で、娘と行って来ました。混雑を避けようと、まずは東京駅から東海道線に乗ったのですが、はじめて新幹線を見た娘が、「新幹線、バイバイ」と手を振ったのでビックリ。何気なく話していることも、どんどん覚えていくんですね~。

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今回は、ひさしぶりの鶴岡八幡宮参拝を記念して、明治時代の鶴岡八幡宮絵葉書をご紹介したいと思います。ご覧ください。銀杏の大木の見事さを。緑の葉がふさふさと茂った夏。葉が散った冬の2枚です。100年以上前から、鎌倉の土地を見守ってきた、雄大な大銀杏はもちろんのこと、美しい鶴岡八幡宮の姿に感激です。ちょっと気になったのは、夏も冬も、着物姿の女性が日傘をさしているところ。今ほど日焼けに気を使った時代ではないと思うのですが(使っていたのかな?)、日傘も持たず、紫外線100%あびている自分を思うと、えらいなぁと感心したりして。

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現在銀杏の木は、太い樹幹だけ残っていましたが、その存在感は見事なもので、迫力があり、なんだか嬉しくなりました。もっと近くに寄りたかったのですが、娘を追いかけるのに必死で、御朱印をいただくのがせいいっぱい。来たことに意義があると、自分にいい聞かせての、参拝となりました。

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新たに御朱印帳もいただいたのですが、表紙に私の名前も描いてくださいました。

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昨日までの雨もやみ、午後からは青空が広がりはじめました。ちょうど七夕の飾りがしてあり、真っ青な空を背景に、なんて美しいのだろうと眺めました。娘も「きれえ~」と嬉しそう。

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絵馬も蓮の葉で、たくさんの願いが描かれていました。娘は風が吹くとカラカラと音がするので、興味しんしん。

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2人だけのお出かけでは、娘が寝ない限り、お店に入って食事をするという気持ちにはなりません(落ちついて食べれないし)。そんな親子にも優しい鎌倉は、参道でおにぎりなど売っていて、椅子もあります。娘はしらすおにぎりを食べ、私は、大人になった今だからこそ食べたいと思う、アイス茄子をいただきました。アイス茄子とは、キンキンに冷えた茄子のお漬物です。暑かったし、塩分補給にもいいですね。とても美味しかったです。

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おしまいに、大好きな漫画をご紹介します。吉田秋生さんが描かれた、『海街diary4 帰れないふたり』です。鎌倉を舞台に、人々の日常をていねいに描いた漫画で、表紙には鶴岡八幡宮の大銀杏が描かれています。吉田さんのコメントに、「八幡さまの大銀杏が倒れて大ショック。あたり前のようにそこにあったものを失う喪失感は想像以上でした。 -中略ー 表紙はあえてかつての大銀杏にしました。再生の願いをこめて。」とありました。この表紙を見た時から、絵葉書と一緒にご紹介したいと思っていました。

 

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早いもので7月に入り、今年も半分過ぎてしまいました。ここ数年、暑い夏が続いていますが、予報によると、今年も気温は高めだそうです。夏バテしないで、上手に乗り切りたいものです。

さて、今回ご紹介するモノは、直径55ミリ、高さ40ミリほどの小さなガラスの器です。ゼリーの器だとか‥‥。それも、「これは、肉弾三勇士が描かれている、珍しいモノだよ」と、骨董屋さんにいわれて、求めたものです。

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ご覧ください。ちょっとわかりづらいのですが、ヘルメットをかぶった兵士の姿を見ることができます。肉弾三勇士というと、3人の兵士が大きな破壊筒を、一緒に抱えている姿が有名ですが、このゼリー型に描かれている兵士は、3人バラバラです。でも、持っている兵器は銃というより、破壊筒っぽいので、肉弾三勇士をアレンジして、描かれたのではないでしょうか。

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気泡がたくさんはいった、とろ~んとしたガラスは、撮影が難しくて、はっきり写せないのが残念ですが、人の間には爆発の煙が描かれています。

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ゼリー型といえば、梅などの花の形をしたモノを見かけますが、肉弾三勇士が描かれているのには驚きました。ほかにもいろいろあるのでしょうか? 

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ひっくり返すと、梅家紋のようなマルが、しっかりと支えてくれるので、座りはヨイです。そういえば、以前から昔のゼリー型で、ゼリーとかプリンとかつくってみたい、なんて思っていました。今年はやってみましょうかね~。

  

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7月6日の夜のこと。歯ブラシを持った娘が、ゴロゴロしていた私のそばに来て、「お口み~せて」といいました。「あ~ん」と口を開けると、歯ブラシをつっこんで、ゴシゴシ。‥‥‥。なんだか、カバになった気分です。2歳を過ぎてから、どんどん言葉を覚えてくる娘の姿に、嬉しくもあり、「なにこれ?」と、毎日何度も聞かれるので、たいへんだと思ったり。でも、娘に歯みがき?をしてもらっていたら、古い歯ブラシがあったことを思い出しました。未使用の"ライオン歯刷子 小學生 教練用"と書かれた、白い歯ブラシです(象牙のような‥‥)。

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ライオンといえば、明治24(1891)年に小林富次郎さんが、東京神田に石鹸やマッチの原料取次ぎ店、小林富次郎商店を設立したのがはじまりだそうです。明治28(1895)年には、歯磨き市場の研究&商品開発をはじめられ、翌年には、粉ハミガキ"獅子印ライオン歯磨"を発売。明治44(1911)年には、日本初のチューブ入り練歯磨"ライオン煉歯磨"を発売しました。その上、歯磨きの販売だけにとどまらず、店員のための学校や、商品開発の施設を開設し、大正3(1914)年には、東京歯科大学の指導にもとづき、"萬歳歯刷子"を発売しました。詳しくは、ライオンの歴史を見ていただくとわかりますが、ライオンの歯磨きに取り組む姿勢は、100年以上前から、素晴らしかったということを、あらためて思いました。ちなみに、この歯ブラシは、紙袋に入っていて、長さは126ミリです。 

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ライオン歯刷子を探していたら、プラスチックの子供用歯ブラシも出てきました。長さは140ミリ。ライオン歯刷子より、少しだけ大きいです。現在の歯ブラシと比べると、 ブラシ部分が大きいのが特徴です。30ミリありますからね。娘が今使っているのは10ミリですから。一瞬、昔の人って口が大きかったのかと思いましたが、歯ブラシのほうが、進化したのでした。このカラフルな歯ブラシは、持ち手の絵柄が、野球少年、ニワトリ、ウサギ、パンダと可愛らしいです。手書きなので、2本あるパンダを比べると、顔の大きさとか、まったく違うんですよ。

 

おまけ

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お友達のママにいただきました。お台場で売っているそうです。箱を開けた瞬間、娘は大喜び。でも、「ショクパンマン食べちゃった~」と、少し寂しそうな表情をしたのが印象的でした。寂しいといえば、私は早起きです(早く寝ます)。朝は4時、遅くとも5時半には起きているのですが、夏至を過ぎてから、陽が短くなったなぁと感じています。ついこの前まで、4時はもっと明るかったのに‥‥。ちょっぴり寂しいです。

  

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