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前回にひきつづき、故郷の絵葉書をご紹介したいと思います。今回は境港です。境港といえば日本でも有数の漁港で、特に松葉ガニが有名ですが、最近は『ゲゲゲの鬼太郎』の町のほうが、ピンとくる人が多いのではないでしょうか。アニメの人気もありますが、NHKの連続ドラマ『ゲゲゲの女房』のおかげで、ますます有名になり、そのせいかわかりませんが、飛行場が"米子鬼太郎空港"になっていました。飛行場に降りた時には、ちょっとビックリしたのですが、以前から境港線で鬼太郎たちが描かれた列車が走ったり、駅名に妖怪名がついていましたから、飛行場にもついたのですね。

昭和29(1954)年に、紙芝居からはじまった鬼太郎が、57年経った今日でも、人だけでなく町に支持されるということは、水木しげる先生が描いた、ゲゲゲの鬼太郎の世界が、時代が変わっても通じる、不変のテーマなんだと思います。私としては、妖怪が暮らしやすい町として、大きな木が茂る神社や、お寺にお墓、松林などの林が、今後も残っていってほしいと思います。さて、今回ご紹介する2枚の絵葉書は、どちらも戦前のモノで、島根半島から、弓ヶ浜半島(弓浜半島)と、伯耆富士こと大山を眺めることができます。

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境港の先端が、砂浜だった時代なんて、もちろん目にしたこともありませんが、波の荒い日本海側よりも、美保湾の奥に引っ込んだ場所に民家が集中していたり、防風林の松林も今より多く、私が子供の頃も、松の木が多かったことを思い出しました。こうして、何十年も前の境港を眺めていると、今はだいぶ埋め立てられて、様子も変わりましたが、大山から弓のように続く弓ヶ浜半島の地形が同じなので、あまり変わっていないように感じたりして‥‥。そんな弓ヶ浜半島で、帰省すると毎回行く観光地が3ヶ所あります。水木しげるロード夢みなとタワーアジア博物館・井上靖記念館です。

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帰省して4日目、ようやく晴れ間が少し見えてきたので、水木しげるロードに行きました。平日なのに、観光客の姿がけっこう見えます。娘を歩かせるには、ちょっと危ないと思ったので、境港駅前の人気が少ない場所で歩かせました。この辺りは、いたるところに鬼太郎たちがいます。歩道沿いには、鬼太郎や妖怪たちのブロンズ像が139体も並び、街灯も目玉おやじなどが描かれ、「妖怪街灯」というそうです。

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境港駅には、目玉おやじの汽車が停まっていました。 畑の間や町の中を、鬼太郎たちが描かれた汽車が走っていく様子は、見ているだけで楽しい気分になります。

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水木しげるロードの一番端には、昔からある、短いアーケードの商店街があり、お店はずいぶん変わりましたが、私には懐かしい場所なのです。アーケードを抜けて、次に向かうは夢みなとタワーです。自転車で、のんびりまわりを見ながら進んでいくと、変わらない景色に癒されます。いつもと違ったのは、途中にある広い公園に寄ったこと。子供がいなければ、意識することもなかったと思いますが、カメやパンダなどの椅子や、大きなすべり台があり、娘と一緒に上からすべりました。すべり台のてっぺんからは、島根半島や漁港の眺めがよく、境大橋もきれいに見えます。

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夢みなとタワーは、鳥取のお土産を買うことができる、みなとまち商店街や、地上43メートルの展望台があります。ここからは大山をはじめ、美保湾から島根半島、弓ヶ浜半島、中海、米子市街、皆生温泉と、ぐるりと一望することができるのです。幸いこの日は、どんどん晴れてきたので、美しい景色を眺めることができました。そして、3階にある水木しげるコーナーで迎えてくれたのは、水木しげる先生! 最近の人形は、よく出来ていますよね。

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ほかにもいろいろ展示されていますが、この部屋には、キッズコーナーがあり、娘が遊ぶのにちょうどいい大きさの積み木がありました。なので展示を見るどころではありません。娘は積み木から離れません。 ほかに人がいなかったのが幸いで、しばらく遊ばせていただきました。ありがとうございました。 故郷に帰ってきて、どんどんたくましくなっている娘です。

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アジア博物館・井上靖記念館へは、翌日行きました。ここは、博物館を見なくても、喫茶だけでもOK。なので、毎回抹茶かコーヒーをいただいて、のんびりしています。弓ヶ浜半島の織物である"弓浜がすり"も展示・販売しておられ、コースターやポーチなども求めました。子供の頃は、近所で絣を織っているおばあちゃんがいて、家の前を通ると織る音がしていたのを覚えています。 

  

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少し前になりますが、米子市公会堂を中心に、上空から写した絵葉書を、手に入れました。公会堂から中海(錦海)まで眺めることができるもので、絵葉書には写っていませんが、左側にある米子城(正確には米子城跡)の城下町を思わせる古い街並みの中に、巨大な近代建築の公会堂が建っています。それも公会堂が建った場所は、きちんと区画整理されており、新しい建物と古い街並みの対比がおもしろく、とてもきれいな絵葉書なのです。それにしても、子供の頃から見てきたのに、当たり前にあると意識しないもので、公会堂の個性的で、モダンなデザインに、あらためて驚きました。

調べてみると、設計したのは、日本を代表する建築家のお1人、村野藤吾さんでした。村野藤吾さんは、明治24(1891)年に佐賀県で生まれ、西日本に多くの建築物が残っているようですが、東京で暮らす私にとって、一番身近に感じるのは、有楽町にある旧読売会館(昭和32(1957)年築)です。会社が新橋にあったので、そごうの時も、現在のビックカメラも、よく行ったからです。以前から迫力のある建物だと思っていましたが、村野藤吾さんの設計だったのですね。 

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話を米子市公会堂に戻しまして、公会堂の落成式は、今から53年前の昭和33(1958)年4月12日です。飛行機の編隊飛行や、装飾自動車のパレードが行われるほど、盛大な式だったそうです(詳しくは、"ドはドングリのド"をご覧ください。参考にさせていただきました。ありがとうございました)。街の人々に望まれ、喜ばれて誕生したのですね。思うに、この絵葉書は、公会堂がメインな写真であることから、落成式前後に発売、もしくは配られたのではないかと思うのですが(違ったらスミマセン)、昭和30年代の米子の街を写した絵葉書って、案外出てこないので、嬉しい出会いでした。

そんな公会堂ですが、耐震強度不足がわかり、来年より補強工事がはじまるそうです。工事をするにあたっては、新たに建て替えるという意見もあったそうですが、現状のまま修復することになりました。私も公会堂の歴史を少しだけ知って、53年も続いた、米子市の象徴のような建物が残っていくことになり、本当によかったと思いました。それと同時に、公会堂の修復工事が終了したら、この絵葉書と同じアングルで、上空から見た今の街並みも見たいと思うのです。

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そしてもう1枚の絵葉書は、「米子市街の一部」ということで、中国電力の建物が写っています。この建物もいいですね。手前にある丸窓の建物も気になります。この建物はなんだったのでしょう。中国電力の前にある大きな松の木(?)も立派で、こんなに大きな木が道路沿いにあったら、見上げて歩いていたと思います。ボンネットバスも時代を感じますね。もちろん私の記憶には残っていない風景ですが、道路の中央に白線が引かれることもなく、信号もなく、時間がゆるやかというか、のんびりとした感じが伝わってくる1枚なのです。 

 

さて、帰省して2日目は、残念ながら、かなり強い雨が降りました。なので、買い物と、娘は家の中の探検です。東京で住んでいるところが、築30年の賃貸マンションで、それもエレベーターのない3階です(ベビーカーと娘を一緒にあげるのは、とても大変)。ベランダから真正面に見えるのは、マンションですから、実家の縁側に座って窓を開けると、広い空が見えて、地面が見えて、目の前には、もみじや楓の葉っぱ、サザンカの花が咲いている景色は、娘には珍しかったようです。滞在中何度も窓を開けてもらい、ジッと見ていました。

 

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3日目は、多少小雨になったので、外の探検開始。境港線を走る、ねずみ男が描かれた汽車を間近に見て、迫力に驚きつつも、通り過ぎた後、一生懸命手を振っていました。

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飛行場近くの広々とした景色を、娘はジッと眺めていました。 

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頭上を飛ぶ飛行機も、最初は驚いていましたが、しばらくすると手を振るように。

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そして、一番気に入ったのが海です。歩く感触が楽しいのでしょうか。小雨の中でも、走って海に向かいます。しばらく遊んだ後、私が通った保育園に行きました。近年鳥取では、学校の校庭に芝生を植えているそうで、一面の緑色に驚きましたが、もっと驚いたのは、私が子供の頃に遊んだ、小さなブランコが現存していたことです(登り棒や鉄棒もあるし!)。もちろん、きちんと手入れはされていて、色は変わっていましたが、なんて物持ちのいい保育園なんだろうと思いました。娘は自分で乗れるブランコに大喜びで、誇らしげに座っていて、とても可愛かったです。私がよく登った木も、小さく見えましたが、元気そうで、変わらないことのありがたさが身にしみました。 

 

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この帯は、私が七五三の時につけたモノです。11月の最初に5泊6日で、出産後はじめての里帰りをした時に、妹が押し入れの中から、出してきてくれました。「七五三で使ったやつだって。お姉ちゃんが好きだと思って」って‥‥。思いがけない再会にビックリです。

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築40年を超えた実家に、古いモノは残っていないかと、何度となく探してきたのに、見つけることができなかったこの帯は、少し前に家のリフォームをした時、妹の部屋の天袋から出てきたそうです。『魔法のマコちゃん』と書かれた赤い箱に入った小さな帯。残念ながら、懐かしいと思うほど記憶に残っていないのですが、状態よく出てきたことに感激しました。

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『魔法のマコちゃん』は、『魔法使いサリー』、『ひみつのアッコちゃん』に続く、"東映魔女っ子シリーズ"の第3作だそうです。でも、サリーちゃんや、アッコちゃんに比べると、いまひとつ記憶に残っていないのが残念。内容は、人魚だったマコちゃんが、あこがれの人間になって、恋をしたりして、人間の世界で生きていくというお話で、 成田闘争とか当時の世相も描かれていたとか(記憶にないけど)。

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七五三の写真を見てみると、正面から撮っているので、肝心の魔法のマコちゃん帯は、端っこしか写っていません。だから、余計に記憶に残らなかったのでしょうね。

 

今回の里帰りは、行きは娘と2人で出発。はじめて飛行機に乗った娘は、多少ぐずりましたが、緊張しまくりの私よりは、リラックスしているようでした。

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到着した日は、素晴らしい晴天で喜んだのですが、日本海側の天候は変わりやすく、翌日からは雨か曇りだそうです。急いで記念写真を撮らなくては! 伯耆富士と呼ばれる美しい大山をはじめ、弓浜半島から眺める日本海、海沿いの松林と、そこに咲く黄色いツワブキの花‥‥。特別なものじゃなくても、広い景色に、娘は大喜び。

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美しい松の木は、今年はじめの大雪で、かなり折れてしまったそうです。境港の船の被害も、かなり大きかったようですし、ところどころ屋根にブルーシートがかかった家がありました。大雪の被害が、まだ残っているのです。

 

ツワブキの花を越えて、日本海に向かいます。

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美しい砂浜と日本海。残念ながら大山は、ぼんやりとしか見えません。娘は、はじめての砂浜を、楽しそうに歩き、枝を拾ってなにかを書きはじめました。そんな姿を父と妹は、うれしそうに眺めています。

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考えてみたら、夕陽が地上に沈んでいく様子を見るのも、娘ははじめてです。私は子供の頃、海から登る朝日は見たことがあるから、海に沈む夕日を見たいと、ずっと思っていました。そんな気持ちを思い出すのも、娘のおかげです。

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自分のお腹からでてきた娘が、自分の生まれた土地に立つ‥‥。なんとも不思議で、ありがたくて、幸せだと思いました。  

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娘を喜ばせたいと、妹が用意した季節外れの花火。 

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そして、一番驚いたのが、この小さな菊の花。家に着いたばかりの娘に、父が庭から摘んできて、「どうぞ」とわたしたのです。私ですら花なんてもらったことないぞ。67-11.JPG

気がつくと、苦手に思ってきた父も、髪の毛はすっかり薄くなり、残っている毛も真っ白。すっかりおじいちゃんになっていました。  

  

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