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ヒーロー研究家立石一夫

たこ八郎

”たこでーす”たこ八郎


 何とも面白みのあるタレントであった。プロボクサーとして取り上げるべきか、タレントとして書くべきか迷ってしまった。
 ボクサー時代は、河童の清ちゃんとしてファンに親しまれた。
 こまめによく動く、変則的なボクサーであった。ポーン・キングビッチの世界王座に挑んだ名ボクサーの、野口恭に勝って日本フライ級の王座に就いたのは立派。
 プロボクシングの黄金時代を、また笹崎ジムの華やかなりし頃、同僚のファイティング原田と共に支えた功績は大である。「日本名ボクサー100人」(日本スポーツ出版社)を読むと、61年には何と、斉藤は19回もリングに上がっている。のちにパンチドランカーになってしまったようだが、これでは無理もないと思われる。だがこれが影響しておかしな行動や、あの表情が生まれたのは大変皮肉でもあった。
 引退した翌日に、尊敬する由利徹の門下生となる。
 とてもまともには見られない顔つきは、たこ八郎の面目躍如といったところ。
 大衆演劇や、キャバレーでも活躍。次第に人気も獲得、テレビや映画でも認められるようになった。
 師匠である由利徹の庇護がなくとも、一本立ちのコメディアンになりかかった頃、神奈川県湯河原の海水浴場で急死したのは惜しまれる。由利のインタビューを聞くと、パンチドランカーのため失禁なども見られたという。正味三年と半年のボクサー人生であったが、中味の濃い試合振りが彼の人生を縮めてしまったのであろうか。
 45年間の短い人生ではあったが、余人には経験出来ない波乱の人生でもあった。夜明けの冷たい海に飛び込んで行ったのは何故か? 一般人には計り知れぬ苦悩もあったのか。私達には想像も出来ない。茶の間を大いに笑わせてくれた、たこちゃんに合掌!


プロボクサーのちコメディアン
生 S15.11.23
没 S60.7.24
<出身>宮城県仙台市
<本名>斉藤清作
<学>仙台育英高校卒
高校在学中にバイトしながら笹崎ジムに入門。S37日本フライ級チャンピオンに、3度目の防衛に失敗後、由利徹の門下生に。とぼけた味のタレントとして売り出す。自伝的小説「たこでーす」はNHKの連続ドラマとなった。


重厚味満点の悪役、高品格
褐色の弾丸・房錦と潜航艇・岩風
黒い核弾頭、ルーター・レンジ
南部のタッグ屋、グラハム&ステンボート
女をなぜなぜ泣かすのよ、城卓矢
教師から俳優へ、戸浦六宏ロッコウ
フックの職人、勝又行雄
当たり役、沢田部長刑事の芦田伸介
名タッグ屋ハードボイルド・ハガティ
名唱ジャイアンツを偲ぶ
2人のもろ差し名人
ニヒルな敵役・成田三樹夫
女性コメディアンの第一人者・若水ヤエ子
知的でとぼけた名優・有島
哀愁のモゲラ
悪役・進藤英太郎賛歌


2005年5月13日更新
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