●現代の七夕飾りにビックリ
通りがかりに七夕飾りをみた。商店街主催で、近所の保育園の子どもたちが作った七夕飾りを沿道に立てているようだ。私が子どもだった昭和四十年代のころは担任が「七夕飾りを図工の時間につくります。竹があるひとは持ってきてください」といい、私は自分で裏山の竹を切って担いでいった。小学2年生の背丈で大きな竹を担いでいくのは大変な重労働だった。しかし教室で自分が持ってきた竹に同級生たちが飾り物をつけているのは、ちょっと得意気な気分になったものだ。いまは簡単に竹が入手できないから、花屋さんで調達したり、専門の業者から竹を模したビニール製品を購入しているそうだ。
都市化が進む中、竹林が減っているのはわかる。しかし、私がこの商店街の七夕飾りをみて奇異に思ったのは、その飾りモノだ。
七夕飾りといえば、色紙でつくった輪つなぎや、短冊、金の折り紙を切り抜いた星型、半紙などを互い違いに切ってつくった「あみ」や「くずかご」だ。それらはすべて紙製品である。だが、保育園児たちが作った飾りはプラスチックの廃物利用工作ばかりだったのだ。写真をみてもらえばわかるように、
・ ペットボトルで作った魚
・ ペットボトルで作った吹流し
・ 玉子パックのなかに色紙を丸めて入れたもの(10個入りの卵パックが縦になっている姿からの連想だが、これはもしかしたら、「秋田竿燈まつり」の提灯のイメージなのかもしれない。ねぶり流しも七夕行事の一環だったそうだし。うん、これはすごい発見だ。)
・ 通称「プチプチ」といわれる梱包材のエアーパッキンでつくった輪
・ プリンの空きカップで作った提灯状のもの
・ ガチャガチャのカプセルをつるしたもの
・ りんごや桃を保護している発泡スチロール製メッシュでつくった魚
などがみっちりとぶら下がっている。
もちろん、定番の「短冊」はぶらさがっており、「早くにかいだての家にすめますように」などと涙を誘うようなささやかな願いも書いてあるのだが、このいかにも二十一世紀的な七夕飾りはいったいなんなのだ? 学齢期の子どもをもっていない私は非常にショックを受けると同時に、大変興味深い陳列物だった。そうか、たんなる七夕飾りもこんにち的な影響を受けているのだ!
もともと、七夕飾りは飾ったあとに海や川に流すものであったが、高度経済成長時代以降はゴミとして処分(ゴミ箱に捨てるとか焼却するとか)される風潮になってきた。昔のように紙製品中心の飾りであれば川の水中で溶解する。どうせ「燃えないゴミ」としてなんの躊躇もなく捨ててしまうのであれば、プラスチック製品の飾りをぶら下げてもかまわないという開き直りのようにもみえる(私はこういうものをゴミ扱いするのには心理的抵抗があるなあ)。
しかし、卵のパックやプリンの容器が七夕飾りになるとはまったく考えてもいなかった。おそらく、教育出版社あたりがこのような「リサイクル工作」(戦前は「廃物利用工作」といった。廃物とはゴミのことであるから、ゴミを飾って、最後にゴミとなるのはある意味正しいな)の本を出して、保母さんや幼稚園教諭が指導しているのだろう。私が子どものころの廃物利用工作といったら、ヤクルトの容器とか卵の殻のモザイク細工、牛乳瓶にアルミホイルを巻いて花瓶、くらいがせいぜいであった。
●七夕のこと
七夕行事は奈良時代ころからあるそうで、現在のように笹竹を立てる習慣は江戸時代からだというが、今回はそのあたりの文献は探さない。民俗学的な興味というより、私は商品としての「七夕飾り」をとりまく現代化の飾り物に対して興味があるからだ。
まあでも、ある程度の七夕の知識のおさらいはしてみよう。
七夕は、7月6日の夕方に短冊などの飾りをつけた笹竹を立てて、7日には取り込むものである。川や海に流し、「七夕送り」「七夕流し」と称して穢れをはらう風習があった。
起源についてははっきりした説はない。よく雑学事典などでは「乞巧奠 きこうでん」(古代中国での宮廷行事。7月7日の夜に織女星をながめ、祭壇に針などを供え技芸の上達を願った)が起源であるという記述をみるが、それだけではないようだ。
日本では、7月7日に「たなばたつめ」(棚機女)という巫女さんが水辺で神の降臨を待ついう行事があり、これと中国の乞巧奠が合わさって生まれたのではないかと目されている。なるほど「たなばた」という行事名は日本から、行事の目的は中国からというわけですね。七夕の飾りには「投網」があり、これは大漁や豊作を願ったものというが、もともとは習字や裁縫など技芸の上達を願うものであり、あとからいろんな民間習俗が合体したようだ。
おりひめは機織がうまい。だからそのシンボルとして糸や針を星空に備えて自分の技術の上達も願った。そしてなぜか室町時代には和歌を木に結び、すずりや筆を季節のものと一緒にお供えし、上達を願ったという。
ものすごい乱暴な推測だが、七夕の竹に吹流しがあるのは糸や布を表しているのだろうし、短冊は和歌の名残だろう。だから、現代の飾り竹にいろんなものがぶら下がっているのは、「アリ」なのだ。飾り物も時代とともに変わるものであるのは大昔からの流れであろう。
<しつこいようですが、この項目はまったく民俗学の参考書は読んでないので理解がまちがっているかもしれません。本稿のスタンスは別のところにあるので、その点はお許しを>
●駄菓子屋で売っていた七夕セット
子どもころ、七夕飾りは基本的に自分で作ったものである。色紙を切りながら色とりどりの工作物を作るのは楽しい。いまも「たなばたセット」と称して、あらかじめ短冊やくす玉などを工業生産したものが売っているが、おそらく「投網」や「くす玉」を子どもが紙細工として作るのが大変だったから、このような便利なものを業者が開発したのだろう。昭和三十年代には電車カバンや面子を製作する「紙製玩具」業者の手によってすでにあったと思われる。駄菓子屋で「七夕セット」が売っていたのは、これら紙製玩具のルートだからである。おそらくそこからヒントを得たのであろう、学習雑誌の付録にも「七夕セット」はついていた。
本物の商品をチープ化、子ども用に加工した小物玩具を売るということは他にもある。
特に季節洋品にその例が多い。例えば、凧、コマ、羽子板、カルタ、双六。これらは「郷土玩具」としての商品よりもあきらかに出来ばえが違っていた。他には、水中眼鏡、捕虫網、虫かご、魚釣りセット、昆虫採集セット、潮干狩用の熊手など。スポーツ用品では、ゴムボールや縄跳び、ホイッスル。理科関係ではU磁石や虫めがねだ。
以上、話はちょいとずれてしまったが、駄菓子屋の子ども文化は、単に菓子や玩具を売るだけでなく、本格的用具を子供用に矮小化、廉価にして提供しているという側面があり、子どもでも手に入れられるという普及面のメリットを担っていたことをわかっていただければ幸いだ。しかし不思議なことに、七夕セットによく似ているクリスマス飾り(キャンドルやモール)や、アメリカンクラッカーが駄菓子屋ルートで売っていることがないのは、西洋由来だからであろうか。クリスマスの飾りをするような家庭は駄菓子屋などにはいかないのか。菓子が紙製の靴に詰まった「クリスマスブーツ」さえ不二家などの高級菓子屋でしかお目にかかれなかった。
●七夕飾りは「縮景」文化だろうか
さて、現在販売されている七夕飾りのセット内容をみてみよう。
・ 短冊。もともとは技芸の上達を祈るものであったが、現在はどんな願いを書いてもいい。その切り替え時期がいつのころかはわからないが、裁縫や書道の上達というものが立身や嫁入りに結びつかなくなった時代からであろう。こよりで竹に結びつける。
・ リング用折り紙。いわゆる「輪かざり」を作るもの。小学校のお楽しみ会などでこれを黒板の周りなどにデコレーションした記憶があるでしょう。なぜ互い違いの輪を連結するようになったのか起源はわからないが、単なる色紙のテープを飾るには、1・長さが足りないからつながないといけなかった。 2・途中で切れてしまったときに修復が楽。というメリットがあったからだと思われる。
・ 人形や星の抜き型。実物を使うことができないものは、紙細工によって表わされる。
・ でんぐり(「でんぐり」をテキストで説明するのは困難だ。蜂の巣のようなハニカム構造になった色つき和紙でいろいろな形を作るもの)で作った天の川やクスだま、ひょうたんなどの型。これも笹に本物をつけると重いからだろう。そしてできるだけ実物を連想させる「立体」を表したいという要請からこの紙細工が採用されたと想像できる。野菜などの型は、神饌の意味もあるに違いない。
・ 小田原提灯。盆飾りの流れからきているのだろうか。
ホイル飾り。星の形を模したものや銀色の吹流しである。折り糸を意味する吹流しは1本ずつ竹にゆわえつけていたようだが、最近はまとめてくすだまなどにつけている傾向がある。
紙細工で型を作るのはおそらく、日本古来の神道の御幣や紙垂から来ているのだろう。注連縄についている和紙で雷のような形をした紙があるだろう。あれが「紙垂」(しで)というもので、和紙を折ったり切ったりして、あの形をつくるのだ。あれらをまとめて木の棒につけたものが「ぬさ」というもので、神主さんが右や左に振っているものだ。神様の形を現すものなども和紙を折ったりきったりすることでつくることができる。お正月に道端に串に指した和紙人形をみたことはないだろうか。あれも紙細工で作るものだ。
七夕飾りの「くずかご」「投網」と呼ばれるものはまさにそれだ。「投網」は網のかたちをしていて豊漁や豊作を願うという。「くずかご」は、七夕飾りを作り終わったあとに出た紙くずを集めてくずかごの中に入れるためのもの。これは「倹約と清潔の心を養う」らしい。
ついでにいうと、仙台の七夕飾りでは「短冊」「吹流し」「投網」「くずかご」の他、「千羽鶴」(家の長老の年の数だけ折り家族の長寿を願う)「紙衣」(着物。病気や災害の身代わり。裁縫や手芸の上達を願う意味もある)。「巾着」(巾着型の財布で商売繁盛や富貴を願い、節約や貯蓄の心を養う)がある。すべてなんらかの実物を紙で再現し、それにプラス思考のイメージを持たせたものだ。
これに似たものをどこかでみたことがあるなと思ったら、そういえば初詣の成田山の参道で売っていた「まゆだま」だなと思い出した。
広辞苑によれば「まゆだま」とは柳などの枝に七宝・宝船・骰子(さい)・鯛・千両箱・小判・稲穂・当矢(あたりや)・大福帳など縁起物の飾りを吊したものだという。九州では柳つり、北海道では繭玉(舞玉)と呼ばれるなど地域性がある(他にまゆだんご、なりわいぎ など)。
縁起物のミニチュア飾りということでさらに思い出したものがある。酉の市の熊手では下記のような「福運・縁起のミニチュア」がセットされていたではないか。
・ 宝船、七福神、みの、かさ、たる、たま、かぶ、きんちゃく、日の出、的(まと)、巻物、鶴、鯉滝(鯉の滝のぼり)、火えん玉、旗、日の丸、鯛、かる子人形、大判小判、大入り、おちょこ、一升ます、大福帳、千両箱。
これらは日本古来からある「縮景」という、現代でいうジオラマ、ミニチュアの元祖とみることはできないだろうか。川原に落ちている石を拾ってきて、複数の石を水盤に配して山水をそこに観るという「縮景」文化が、縁起物の世界と合わさったとき、七夕飾り、正月の繭玉、酉の市熊手が生まれのではと、考える次第である。
※ さきほど検索したところ、
「七夕の紙衣と人形」 著者 石沢 誠司(いしざわ・せいじ)
出版社 ナカニシヤ出版(京都市)
定価 1900円(税込み価格1995円)
という書籍があることが判明しましたので、七夕の歴史にご興味があるかたはどうぞ。
発行日が2004年7月7日ということで、私は参照していません。
●書きおろし
2004年7月5日更新
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第14回「スワン型オマル」の巻
第13回「ゴールド芯のひみつ」の巻
第12回「アルマイトの弁当箱」の巻
第11回「台所洗剤」の巻
第10回「たまごシャンプー、いい匂い」の巻
第9回 清浄グッズ特集 「バナナ歯磨きはいつなくなったのだ?」の巻
第8回「お菓子販売台、回転す。」の巻
第7回「ウイスパーカード」の巻
第6回「デパートの屋上」の巻
第5回「家の中には家電リモコンがいっぱい」の巻
第4回「デパートその2 『お子さまランチ』」の巻
第3回「デパート その1」の巻
第2回「シャンプーの変遷」の巻
第1回「レトロスタイルを気取るなら『スモカ』で行こう!」の巻
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