美しい芝生と松の木が見事な皇居を横目に通過し(梅雨時で曇りなのが残念ですが)、日比谷公園を抜けて、新橋に行ってきました。もちろん、毎度のごとく自転車で、抱っこ紐の中には娘がいます。そろそろ歩きはじめるであろう娘と、こうして合体ロボのような状態で移動できる日々も、そう長くはないと感じながら、のんびり進む自転車は、とても楽しい。そういえば、お腹にいる時も、ロボコンになったような気がしていたっけ。こういう長いようで、実はとても短い時期は、大切にしたいなぁと思います。
新橋は、私にとって思い入れのある街のひとつです。長年勤めた会社があるのです。結婚後ご無沙汰していましたが、ひさしぶりに顔をだしてみようと思いました。何年も通った道のりですから、とても懐かしく、キョロキョロしちゃいます。けれど、大がかりな道路の拡張工事中で、街並みがごっそりと変化していました。変わっていないビルだって、違う店舗になっていたり、空室だったり、建物自体がなくなって駐車場になったりと、落ち着かない様子で、数年ぶりに眺めてみると、なんだか街も生き物みたいです。今は荒く呼吸をしているように、私の目には映りました。
ひさしぶりに訪れた会社は相変わらずで、上司のIさんは突然やって来た私と娘に驚きつつも、とても喜んでくれ、娘も上機嫌でソファに座って、ブラインドや飾ってある版画をたたいたり、物を落したりと絶好調(?)です。そして、話はやはり3月11日の地震のことに‥‥。Iさんは2日間家に帰ることができず、会社に泊まり込み、倒れた本棚などを、元に戻すのに丸3日かかったそうです。そして、私の古物蒐集熱を加速させたIさんの口からでる、モノや本の今後の話も興味深く聞きました。
事務所をでたら、自転車の後輪がパンクしていました。自宅までは10キロ近くあります。その上今いる場所は、テレビでよく中継される、新橋駅前のSL広場付近です。こんな大都会で自転車店ってあるのかな? 不安な気持ちを抑えつつ、交番で訪ねると、700メートルくらい先にありました。これは助かったと、のろのろ向かったところ、この地に昔からあったと思われる、懐かしい感じの自転車店が現れたのです。
細長くて薄暗い店内は、年季のはいった工具などが壁にかけられ、丸椅子が数個無造作に置いてあって、飲食店のご主人と思われる方が、煙草を吸いながら座り、足元には太った犬がゴロンと寝ています。一番奥には優しそうな奥さまと、若い女性がお茶を飲んでいて、手前ではお店のご主人と、おじいさま(?)が、つなぎ姿で作業をしておられましたが、パッと手を止めて、私の自転車を見てくださり、「2つ穴が開いているね」と手際よく修理してくださいました。私は丸椅子に腰かけながら、その様子を眺めていたのですが、入口が開放されているので、通りすがりの人が挨拶をしてきたり、話しかけてきたりと、まるで、連続ドラマのワンシーンのようなのです。そして、修理が終わると、ていねいな言葉づかいで、私たち親子を送り出してくださり、昔からやっておられる商人魂というのかな? そんな心意気のようなものを感じて、なんだか嬉しかったです。なにより、パンクがなおってホッとしました。本当に助かりました。ちなみに(資)山下商会というお店です。ありがとうございました。
今回は、感激した自転車店にちなんで、自転車ではありませんが、二輪絡みの文房具、真鍮製のクリップをご紹介します。山田輪盛館のノベルティです。「山田輪盛館」こと「ヤマリン」といえば、東京は神田の多町2丁目にあったオートバイ、輸入自動車の販売店で、ホクス号などの開発、製造も行ったお店です。それも、明治42年(1909)から営業しておられ、昭和43年(1968)まで存在していました。‥‥といっても、私がそんな有名なお店だと知ったのは、クリップを買った後のことです。ただ、このクリップを"平和島古民具骨董祭り"で見つけた時は、ドキドキしました。だって、見るからに戦前につくられたクリップなのに、状態がよく、中央にはオートバイに乗った男性が描かれ、ローマ字のバランスといい、形といい実に素晴らしいデザインなのです。ちなみに横幅は最大5センチ。またひとつ、過去から今につながる宝物を発見した気分になったのは、いうまでもありません。