117-3.JPG

今回ご紹介するのは、昭和20年代に販売された"薬用モンココ洗粉"の紙箱です。4月の終わりにモノを探す必要があり、ごそごそ探していたら出てきました。ひさしぶりの再会に、やっぱり昔のパッケージって、ステキだなぁと思ったのですが(No.88参照)、箱に描かれた女性が、なんとなくモデルの富永愛さんに似ていると思うのは、私だけでしょうか? デザインはもちろんのこと、色もいいですよね。残念なのは、紙箱の状態が少々悪いこと。でも、未使用だったので骨董市で求めました。

裏面には、モンココ洗粉の効能、「色白く、きめ細やかに、小皺を取り、ニキビ、吹出物、シミ、ソバカス、日焼け、ハタケ、剃刀まけ、皮膚のアレを豫防す。」 と書いてあります。

117-2.JPG

実は、この洗粉は、少し前に川原の一本松さんが、ご紹介されました。それもブリキの缶です。状態もよくて、私も缶が欲しいなぁと思っていたら、わが家からは紙箱が出てきたので、こちらでもご紹介しようと思った次第です。ちなみに、紙箱の大きさは、高さ120ミリ、横75ミリ、厚さ26ミリです。

 

おまけ

5月4日(金)、家族3人で土浦へ行った帰り道。遊び疲れた娘が寝てくれたので、車の中から、ゆっくり空を眺めることができました。

117-4.JPG

細長い雲が何本も平行して並んでました。

117-5.JPG

目線より下に、モクモクと白い雲が‥‥。 

117-7.JPG

寒気がはいってきているからでしょうか。コロコロと空が変わります。 

117-6.JPG

急に真っ暗になったり。 

117-8.JPG

満月間近のお月さまが出たり。 

117-9.JPG

木々の上に、小さな虹を発見。 

117-10.JPG

子供の頃、虹を見ることができたら、それは神様に見守られているのだと聞いたことがあって、虹を見れた時は、本当に嬉しかったな‥‥。

  

私の生まれ育った川口市のほぼ中心には広大な空き地があった。
44_01.jpg 厳密に言えば今でもあるし、上の写真は現在の写真なのだが、この風景に至るまでの昔語りを少々させていただこう。

JRの路線は市の西と北に寄り、中心部から東側はぽっかりと陸の孤島と化していた。今でこそ埼玉高速鉄道という、どこが高速なのか、運賃が高額で寧ろ拘束されている様な人寂しい路線だが、足立区や戸田といった郊外の倉庫・工場地帯に挟まれて、幹線道路はやたら賑わっていた。
それも今は昔で、街道沿いの飲食店も寂しい風景ばかりが目立つのだが、幼い頃より、そんな道路沿いの風景に謎の物体を発見しては、アレはなんだ!?と心踊らせていた。

一先ずその“ブツ”をご覧いただこう。
44_02.jpg 一瞬石かというか思うが、よく見るとコンクリートの塊で、4m×8mくらいだろうか、上部にはフックのようなものが固定されている。
44_03.jpg ただそこにあるだけで、飾り気もない、だけど謎めいた圧倒的な存在感を誇るそれは、映画『2001年宇宙の旅』のモノリスや、ビデオゲーム『ゼビウス』の地上物を彷彿とさせる。
44_04.jpg 現在NHKアーカイブスのビルが建つ土地のすぐ隣り、一部は市のレクリエーション施設になっているが、それ以外の大部分は全くの空き地になっている(冒頭の写真)。その空き地の敷地内とその周辺に、こうしたコンクリの塊が、自分が確認できた範囲では4基存在している。
44_06.jpg それぞれ微妙に形状や大きさが異なるのだが、自分が子供時分に自家用車の車窓から見た記憶のあるものとは、形も場所も少しズレている気がするのだ。
44_07.jpg その原因はスグに判明するのだが、そもそもこの場所はなんだったのか。

隣接する場所に岡崎病院という我が家のかかりつけ医があった(現在はデイケアセンターとなっている)。その裏手に廃墟のようなグレーに煤けた学校や病院にみえる建物があり、幼心に興味はあったが怖くて近づけなかった。
現在川口衛星管制センターとなっている場所、父からはNHKのラジオ局があったと聞かされていたが、実際はこの広大な土地にはNHKラジオの送信用鉄塔が2つも建ち、そのNHK川口放送所の施設だったと推測される。

コンクリの塊は鉄塔を支える鉄塔基部と、
44_05.jpg ワイヤーを固定する支線基礎のようで、
44_08.jpg 2塔あった内の北塔の基礎だけがこうして現存している。

鉄塔は1937(昭和12)年と戦前に立てられ、45年間、関東一円にNHKラジオを送信していた。なんと東京タワーが出来るまでは日本一の高さを誇る鉄塔だったそうで、歴史や構造等、「魅惑のチリルーム」という素晴らしいサイトに詳しくまとめられているので参照されたいが【東京発展裏話#8 日本最高のタワーを支えた基礎構造物~NHK川口ラジオ放送鉄塔跡~】、そこに掲載されている図を見ると、自分が幼い頃に見たのは、撤去された南塔の基礎であったようだ。
こんな破壊するだけで大変でコストも割に合わなそうなものをよく撤去したものだと思う。最近でも近くの鋳物工場が閉鎖され住宅地として分譲されていたが、そうしたニーズがある以上、今ある空き地だって、NHKの所有地となっているが、どのように転用されるか知れない。

先に戦前に立てられたと記したが、終戦の年、15日に玉音放送を聞いた一部の陸軍軍人が終戦に反対し、徹底抗戦を主張せんがため8/24にこの川口放送所を占拠するという事件が起きている【Wikipedia】。NHKの放送をジャックし、国民に徹底抗戦を呼びかけようと試みたが、送電が止められ計画は失敗。しかし午前6時頃から約9時間に渡り関東地方一帯でラジオ放送が停波した。
その空気を吸っていたのは、この残る数基の基礎のみとなり、今ではその場所で放送衛星の制御を行うシステム(B-SAT)のパラボラが虚空を見つめていた。
44_09.jpg 【了】

116-1.JPG

これは、なんだと思いますか?

黒い硝子でできた、カミソリ刃の砥石ならぬ、砥硝子?なんです(ふだんは、カタカナで"ガラス"って書くのですが、商品名が"硝子"なので、硝子と書きます)。そえれも安全カミソリ用です。調べてみると、"安全カミソリ"と呼ばれるT型をしたカミソリは、とても歴史が古くて、明治13(1880)年にアメリカ人が発明したそうですが、刃の交換が出来ず、たびたび砥ぐ必要がありました。それを替え刃というアイディアで大ヒットさせたのが、キング・キャンプ・ジレット氏。明治36(1903)年のことだそうです。

116-3.JPG

この安全カミソリ刃砥は、物資が不足した時代に代用品としてつくられたモノだと思いましたが、違うそうです。昔はコップの内側で、刃を砥いだりしたとか。

116-4.JPG

瓦を小さくしたような形で、光に当てても透けることのない、真っ黒な硝子です。 大きさは縦60ミリ、横65ミリ、高さ15ミリ。

116-5.JPG

紙のケースには、三越のラベルが貼ってありますから、三越デパートで売られていたことがわかります。

116-2.JPG

気になる使用法は、「本品は水をつけて、左右に砥げば一枚の刃で何回も新刃と同じ位御使用が出来ます」とのこと。使用経験のある方がおられたら、お話をうかがってみたいです。ちなみに、箱の横に「安全カミソリ刃砥」と書いてあります。

そうそう、カミソリの博物館があることがわかりました。昭和7(1932)年に創業された、フェザー安全剃刀(株)の博物館、"カミソリ文化伝承館・フェザーミュージアム"です。古いカミソリや、関連した道具など約5000点を展示してあるとか。刃物の町といわれる岐阜県関市にあります。いつか訪れたいですね。

 

◇◇ 訂正とお詫び ◇◇

‥‥スミマセン。この安全カミソリ刃砥は、代用品ではないそうです。友人のHさんからご指摘いただきました(No.121参照)。また、戦前からつくられているモノには違いありませんが、このモノは戦後に販売されました。本文は訂正させていただきました。

 

気になる街角 靍護(かくご)稲荷神社

一瞬、どこの神社に来たんだっけ? と思ってしまったほど、驚いたのですが、この靍護稲荷神社は、上野松坂屋デパートの8階にあります。あまりにも美しく手入れがなされ、木々が美しく、つつじの花も見事だったので、まわりのビルの存在も忘れてしまいました。

116-6.JPG

その上、ふっくらとした美味しそうな油揚げが、数枚お供えしてあり、感激!! 

116-7.JPG

つつじといえば‥‥。

116-8.JPG

4月29日の夕方、根津神社のつつじまつりに行きました。昨年はお天気に恵まれ、たくさんのつつじに驚いたっけ。今年は天気が悪くて、写真もいまひとつ。 でも、きれいでしたよ~。抱っこ紐の中にいた娘も、今では走って見てました。ちなみに、中央の遠くに見えるのは、スカイツリーです。

 

前に戻る 57  58  59  60  61  62  63  64  65  66  67
...トップページへ







Powered by Movable Type 5.03