だいぶご無沙汰してしまったが、先日、昨年訪れた石神井川沿いの桜を今年も花見と洒落こんだので、拙ミニコミ誌11年夏号『戦跡商店喰い』で取り上げた板橋区加賀の陸軍工場跡地の補足も兼ねてレポートしたい。
板橋区の加賀という地はその名の通り嘗て加賀藩の下屋敷のあった土地で、金沢など石川県に因む名が随所に残っている。
明治以降にその7割方が軍用地となり、未だ往時の痕跡を色濃く残しているが、特に石神井川沿いは、川の水力を使って弾薬に用いる火薬を磨り潰す圧磨機を回していたので、転用された火薬工場跡が多く残っている。
場所は都営三田線の板橋本町近くにある、板橋の名前の由来となった板の橋から、JR埼京線の十条あたりまで続く石神井川沿いに、満開の桜がしだれかかる。
途中途中にある公園では控えめながらボンボリが掛かり、一応花見宴会も盛り上がるようだが、基本、川の沿道は宴会が出来るような雰囲気ではなく、道行く人々もまばらで、ゆっくりと間近に桜が鑑賞できる。
都内でも数少ない、のんびりとした静かな桜鑑賞スポットとして、実に穴場だと思う。
花に見とれていても、その隙間から覗く歳月を経て黒ずんだ煉瓦塀がいくつも、嫌でも目に付く。
中でも加賀橋の袂にある旧火薬庫跡、歯科技工専門学校の一部校舎は、南国趣味の樹木と共に、そのコンクリートの黒ずんだ迫力は一際迫力を増している。煉瓦塀とはまた違った存在感だ。
昨年取材時はその外観だけだったが、今回の記事では内部もお見せしよう。
内部は改装され、卓球台などが並んでいたので、専門学校の体育館かレクリエーション施設となっているようだが、一部自転車置き場だけ往時の姿が残されていた。
チープな表現で申し訳ないが、戦争映画のセットの如く、市民が非難していそうな空間だった。
焼けただれた肌のような壁面を窓からの明かりが照らす空間。
先ほどの満開の桜とは真逆のような、ひんやりと冷たい空気が充満していた。
しかし桜でさえ、梶井基次郎ではないが死体を連想させる妖気のような、一種、負のイメージがまとわりつくから、あながち戦跡とは相反するとも言いがたいかもしれない。
宵闇に浮かび上がる火薬庫跡をバックに夜桜見物もまた感慨深いかもと、なんだか思えてきてしまう。
爆弾は檸檬ではなく本物の弾丸だったわけだ。