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似顔絵第二十三回『スーパーマンと言えば、懐かしい白黒テレビの無敵スーパーマン、ジョージ・リーブスが僕のイチ押し。』


 十月十一日、朝、台所で入れたての熱いコーヒーを口を尖らせて飲んでいると、映画・スーパーマン俳優のクリストファー・リーブが亡くなったと言うニュースがテレビのワイドショーで流れた。彼は、僕とほぼ同じ五十二、三歳。十年程前だったかいつだったかの落馬事故以後、首から下が動かない程重い障害を負い、車イスで舞台など演じていたらしいが、残念である。

クリストファー・リーブ

 クリストファー・リーブのスーパーマン映画が物凄い人気で初めて上映されたのが、一九七八年。丁度、映画のスクリーンが一気にグーンと横に広がった時で、クリストファー・リーブのスーパーマンをみた渋谷の映画館が正に大迫力のソレだったのであるが、前評判も目茶苦茶凄く良くて、超々々満員。座るどころかとにかく入るのに精一杯で、二階一番後、右から五番目の席でみた記憶がある。
 まず、そのソックリぶりが凄かった。この歳でみても僕など胸ワクワクモノのテレビ映画ヒーロー・少年ジェットを演じた中島祐史君ではないが、あの派手なアメリカン・コミックがそのまま実写になったくらいに、赤・青・黄のカラフルなコスチューム感は抜群で、勿論、先がクルッと巻き跳ねた髪型から顔から均整のとれた素晴らしいプロポーションから全て漫画にモロソックリ。
 待望の初変身は、屋上ヘリの事故にロイスが巻き込まれ高層ビルから宙吊りになると言う事故のシーン。落ちて来た黒いハイヒールからロイスの危機を察知、変身のために公衆電話を見つけるが昔のような電話ボックスではなく、急遽、回転ドアを利用して大変身。もうここで、映画館は大拍手の沸き起こり捲り状態だった。スラリと逞しくシャープ、煌めく瞳、実に美しく爽やか笑顔のスーパーマンをみた瞬間、またまた大拍手ながらビックリ硬直の絶句。髪の分け方を反対にしてメガネをはずすだけで全てがこうまでも美しく変わるのかと感心してしまった。
 スーパーマンDVD版の表面に印刷されている左手握り拳を左脇に構え右手握り拳を前にグッと突きしたポーズ等、飛ぶシーンでのポーズの美しさや映像の自然さも高い評価を受け、炭酸ソーダが弾ける時のようなシュワー音と共に広がる氷のような文字もとても斬新なもので、大評判。映画は、一九八一年に二作目・冒険編、一九八三年に三作目・電子の要塞と上映されたが、初上映から三十年近く過ぎて、早いものである。

 そんなクリストファー・リーブの演じたスーパーマンは、スター・ウォーズ同様そのSFXの新しさ凄さ・娯楽性・素晴らしさに感動したスーパーマン映画ではあるが、普段から、テレビ時代の始まった一九五〇〜六〇年代のあの懐かしい記憶話に燃える僕のイチ押し興奮スーパーマン話になると、やはり子供時代の懐かしい記憶にある木曜日だったかで一週間に一度、ワクワクしながら夢中でみた白黒テレビ画面時代のスーパーマン、ジョージ・リーブスになる。

ジョージ・リーブス

 丁度、少年ヒーローが小さな白黒画面のテレビにあふれ始めた頃で、と言って、テレビがある家は村に二軒しかない時代。僕は、ケタ外れの収入を得ていた花形職業の競輪選手を夫婦でしていた家に兄と二人で夜出かけて行き、スーパーマンは勿論、月光仮面等も放送される曜日のその時間だけみせてもらっていた。
 夏の花火のように儚くて懐かしくて思い出す度に胸がジーンとする記憶の中にあるジョージ・リーブスの元祖スーパーマンも、鉛にだけは弱く透視できないが、とにかく無茶苦茶強くて軽いピンチシーンはあっても天晴れな程にほぼ無敵。番組は昭和三十一年にスタートらしいが、電気屋や銭湯の記憶が全然ない程の田舎育ちのため街頭テレビで力道山の空手チョップが炸裂した時代を現実としては微妙に知らない僕の記憶では、三十一年より少し後、多分、小学校一、二年頃に初めてみたように思う。
 このスーパーマン以後、アメリカ輸入のテレビ番組が津波のような勢いでテレビで放映され始め、ビーバーちゃん・名犬ラッシー・ローンレンジャー・ちびっ子ギャングなど次々に始まるのであるが、先駆者的な白黒テレビ少年ヒーローモノ・スーパーマンで画像に合わせて毎回流れる「空を見ろ、鳥だ、飛行機だ、いや、スーパーマンだ」「弾よりも速く、力は機関車よりも強く、高いビルディングもひとっ飛び」と言ったあのナレーションは、懐かしいと言うより切り売りできる程の耳タコモノ。

 しかし、毎週待遠しいくらい夢中になりながら、ここだけの話、ジョージ・リーブス演じるテレビのスーパーマンの場合、スラリでも肥満でも筋肉質でもないどこか何となくポッチャリ系のオジサンスーパーマンの意識で僕はみていた。声優が渋く重い声の大平透だったせいなのかも知れないが、映画でクリストファー・リーブが演じたスマートな青年風スーパーマンとは違い、悪いが、七、八歳の僕には青年には見えなかったのである。
 とにかく、一週間ずっと我慢の子で待つのもヘッチャラで、それだけの価値は十分あった大好きなスーパーマンの放送時間は、残念ながらたった三十分。
 四十年以上過ぎた今の子供ヒーローテレビ番組や漫画と変わらない放送時間である所が僕など実に不思議に思えるが、当時の少年ヒーロー番組は、月光仮面等全部そう。スーパーマンの場合、例えば、小人宇宙人出現のストーリーならそれで一話一回三十分で完結する。途中から前編・後編に分けて二週で完結モノの時もあったような気がするが、そこら辺の記憶は微妙。しかし、月光仮面のようにイイ所でのドキドキヒヤヒヤを引きずったまま一週間を待ち遠しく過ごす「来週に続く」と言う連続モノではなかった。

 当時の熱狂ぶりは物凄く、スーパーマン気取りの小学生が電信柱から飛び降りる事件まで起こった程超人気番組のスーパーマンで少年ヒーローになったジョージ・リーブスではあるが、その後、スーパーマン役のイメージが強過ぎて他の役が依頼されないと言ったような悩みを理由に彼は自殺してしまった。
 夢中でみた無敵のスーパーマンの突然の自殺を僕が知ったのは、中学生になった頃だったと思うが、夕方、校庭の隅にある鉄棒の所で蹴上がりを練習していた時に、何となく友人から聞いたような気がする。あれ程毎週毎週夢中になっていながら気がすると言うのは無責任であるが、彼がいつ自殺をしたのかハッキリ記憶になく何だか夢を見たような感覚で現在も残っている話なのだ。

 余所の家でテレビをみせてもらっていたあの時代をこうして記憶を突きながら思い出していると、みる番組数がそんなに多くあったわけではないが、あの頃は、本当にテレビは魔法の箱。「気分は一週間テレビ娯楽浸け」と言った調子で、べリー、べリー、べリー・ハッピーな小学生生活を過ごしていた実感に、今日も全身を包み込まれる僕である。
 昨日も、T君の事務所で、白黒テレビ版スーパーマンのDVDが出れば絶対に即ゲットと僕一人が騒いだが、ジョージ・リーブスの演じるスーパーマンが得意の横向きポーズでポ〜ンと空を飛んでいたのは、まだテレビに外国製少年ヒーローモノが出始めの頃。懐かしいテレビ話をいつもする中高年仲間にも、白黒テレビ映画のスーパーマンをみていないと言う感動を分かち合えない者がいるくらい余りにも昔の話ではある。


2004年11月22日更新


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