第12回
『鉄道唱歌』(東海道編)
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日溜まりの公園で、暮れなずむ街角で、夜のしじまの中で、ひとり「童謡」を口ずさむ時、幼き日々が鮮やかによみがえる…。この番組では、皆様にとって懐かしい童謡の歌碑を巡ってまいります。今回は、『鉄道唱歌』(東海道編)です。
『鉄道唱歌』といえば、「汽笛一声新橋を…」という歌い出しでお馴染みですが、歌詞は66番まであり、新橋から神戸に至る東海道線沿線の様子を七五調で描いています。
この歌が発表されたのは、東海道線が全線開通(明治22年7月)してから10年後の明治33年。作詞は大和田建樹*、作曲は多梅稚**が行いました。
『鉄道唱歌』(東海道編)(『地理教育 鉄道唱歌第一集』大阪・三木書店 明治33年5月)
作詞 大和田建樹(おおわだたけき、1857−1910)
作曲 多梅稚(おおのうめわか、1869−1920)
1 汽笛一声新橋を
はや我汽車は離れたり
愛宕の山に入りのこる
月を旅路の友として
2 右は高輪泉岳寺
四十七士の墓どころ
雪は消えても消え残る
名は千載の後までも
3 窓より近く品川の
台場も見えて波白く
海のあなたにうすがすむ
山は上総か房州か
4 梅に名をえし大森を
すぐれば早(はや)も川崎の
大師河原は程ちかし
急げや電気の道すぐに
5 鶴見神奈川あとにして
ゆけば横浜ステーション
湊を見れば百(もも)舟の
煙は空をこがすまで
(6〜66番まではこちら) |
発表後この歌は大流行し、続編として同年9月に第二集(山陽・九州)が、10月に第三集(東北)と第四集(北陸)が、そして11月には第五集(関西・参宮・南海)がつくられました。歌詞を見ると、各地の史跡・風景・名産の他に、「地震のはなしまだ消えぬ」(明治24年10月28日濃尾大地震。死者7200人)とか、「疎水の工事は南禅寺」(明治23年4月完成)など、当時の人々にとって身近に起きた出来事が載せられており、これが歌の教養臭を薄め、ヒットへと繋がったのかもしれません。
この歌の歌碑は、冒頭の「汽笛一声新橋を…」にちなんで、JR新橋駅前(汐留口)に建てられています。しかし、この歌が出来た当時の新橋駅(新橋停車場)は、今の汐留地区にありました。旧新橋駅は、大正3年に名前を「汐留駅」と改められて貨物駅となり、同時に「烏森駅」が改称されて、今の新橋駅となったのです。
その後、旧新橋停車場の駅舎は関東大震災に遭って焼失しましたが、昨今の汐留地区の再開発に伴って、昨年4月に再建されました。駅舎に加え、当時のプラットホームや線路、ゼロマイル標識なども再現されていますので、歌碑をお訪ねの際には是非お立ち寄り下さい。(関連ホームページはこちら→http://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/)
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[おことわり]出版当初、『鉄道唱歌第一集』の曲は、多梅稚が作曲したものと上真行(うえさねみち、1851−1937、東京音楽学校教授)が作曲したものの2つがありましたが、多の方が圧倒的な人気を得ましたので、上の紹介は割愛させていただくことにします。 |
*大和田建樹 おおわだたけき。国文学者。詩人。能楽研究者。安政4年、愛媛県宇和島市生まれ。明治15年、東京大学書記、翌年古典講習科講師。後、東京高師・東京女高師教授を歴任。24年教職を辞し、著述生活に入る。著書は97種、151冊。その詩歌は広く愛唱され、『鉄道唱歌』や『故郷の空』は特に名高い。明治43年死去。享年53。
大和田建樹(『現代日本文学全集37』改造社 昭和4年より)
**多梅稚 おおのうめわか。音楽教育者。明治2年、京都市生まれ。東京音楽学校を卒業。大阪府師範学校奉職中の33年、『鉄道唱歌』を作曲。後、東京音楽学校助教授・教授を勤める。大正9年死去。享年51。
[参考文献 |
倉田喜弘・藤波隆之編『日本芸能人名事典』三省堂 平成7年 |
昭和女子大学近代文学研究室『近代文学研究叢書第十一巻』昭和女子大学近代文化研究所 昭和49年(二版) |
『現代日本文学全集37 現代日本詩集・現代日本漢詩集』改造社 昭和4年 |
朝倉治彦・稲村徹元編『新装版 明治世相編年辞典』東京堂出版 平成9年(二版)] |
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場所:東京都港区JR新橋駅汐留口広場
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6 横須賀ゆきは乗替と
呼ばれておるる大船の
つぎは鎌倉鶴が岡
源氏の古跡や尋ね見む
7 八幡宮の石段に
立てる一木(ひとき)の大鴨脚樹(いちょう)
別当公暁のかくれしと
歴史にあるは此蔭よ
8 ここに開きし頼朝が
幕府のあとは何(いづ)かたぞ
松風さむく日は暮れて
こたへぬ石碑は苔あをし
9 北は円覚建長寺
南は大仏星月夜
片瀬腰越江の島も
ただ半日の道ぞかし
10 汽車より逗子をながめつつ
はや横須賀に着きにけり
見よやドックに集まりし
わが軍艦の壮大を
11 支線をあとに立ちかへり
わたる相模の馬入川
海水浴に名を得たる
大磯みえて波すずし
12 国府津おるれば馬車ありて
酒匂小田原とほからず
箱根八里の山道も
あれ見よ雲の間より
13 いでてはくぐるトンネルの
前後は山北小山駅
今もわすれぬ鉄橋の
下ゆく水のおもしろさ
14 はるかにみえし富士の嶺は
はや我そばに来(きた)りたり
雪の冠雲の帯
いつもけだかき姿にて
15 ここぞ御殿場夏ならば
われも登山をこころみむ
高さは一萬数(す)千尺
十三州もただ一目
16 三嶋は近年ひらけたる
豆相線路のわかれみち
駅には此地の名をえたる
官幣大社の宮居(みやい)あり
17 沼津の海に聞えたる
里は牛伏我入道(うしぶせがにゅうどう)
春は花さく桃のころ
夏はすずしき海のそば
18 鳥の羽音におどろきし
平家の話は昔にて
今は汽車ゆく富士川を
下るは身延の帰り舟
19 世に名も高き興津鯛
鐘の音ひびく清見寺(せいけんじ)
清水につづく江尻より
ゆけば程なき久能山
20 三保の松原田子の浦
さかさにうつる富士の嶺を
波にながむる舟人は
夏も冬とや思ふらむ
21 駿州一の大都会
静岡いでて阿倍川を
わたればここぞ宇津の谷(や)の
山きりぬきし洞の道
22 鞘より抜けておのづから
草なぎはらひし御剣(みつるぎ)の
御威(みいづ)は千代に燃ゆる火の
焼津の原はここなれや
23 春さく花の藤枝も
すぎて島田の大井川
むかしは人を肩にのせ
わたりし話も夢のあと
24 いつしか又も暗(やみ)となる
世界は夜かトンネルか
小夜の中山夜泣石
問へども知らぬよその空
25 掛川袋井中泉
いつしかあとに早なりて
さかまき来る天龍の
川瀬の波に雪ぞちる
26 この水上にありと聞く
諏訪の湖水の冬げしき
雪と氷の懸橋を
わたるは神か里人か
27 琴ひく風の浜松も
菜種に蝶の舞坂も
うしろに走る愉快さを
うたふか磯の波のこゑ
28 煙を水に横たへて
わたる浜名の橋の上
たもと涼しく吹く風に
夏ものこらずなりにけり
29 左は入海しづかにて
空には富士の雪しろし
右は遠州洋(なだ)ちかく
山なす波ぞ砕けちる
30 豊橋おりて乗る汽車は
これぞ豊川稲荷道
東海道にてすぐれたる
海のながめは蒲郡
31 見よや徳川家康の
おこりし土地の岡崎を
矢矧の橋に残れるは
藤吉郎のものがたり
32 鳴海しぼりの産地なる
鳴海に近き大高を
下りておよそ一里半
ゆけば昔の桶狭間
33 めぐみ熱田の御やしろは
三種の神器の一つなる
その草薙の神つるぎ
あふげや同胞四千萬
34 名だかき金の鯱は
名古屋の城の光なり
地震のはなしまだ消えぬ
岐阜の鵜飼も見てゆかむ
35 父やしなひし養老の
瀧は今なほ大垣を
三里へだてて流れたり
孝子の名誉ともろともに
36 天下の旗は徳川に
帰せしいくさの関が原
草むす屍いまもなほ
吹くか胆吹(いぶき)の山おろし
37 山はうしろに立ち去りて
前に来るは琵琶の海
ほとりに沿ひし米原は
北陸道の分岐線
38 彦根に立てる井伊の城
草津にひさぐ姥が餅
かはる名所も名物も
旅の徒然(とぜん)のうさはらし
39 いよいよ近く馴れくるは
近江の海の波のいろ
その八景も居ながらに
見てゆく旅の楽しさよ
40 瀬田の長橋右に見て
ゆけば石山観世音
紫式部が筆のあと
のこすはここよ月の夜に
41 粟津の松にこととへば
答へがほなる風の声
朝日将軍義仲の
ほろびし深田は何かたぞ
42 比良の高嶺は雪ならで
花なす雲にかくれたり
矢走(やばせ)にいそぐ舟の帆も
みえてにぎはふ波の上
43 堅田におつる雁がねの
たえまに響く三井の鐘
夕ぐれさむき唐崎の
松にゃ雨のかかるらむ
44 むかしながらの山ざくら
にほふところや志賀の里
都のあとは知らねども
逢坂山はそのままに
45 大石良雄が山科の
その隠家はあともなし
赤き鳥居の神さびて
立つは伏見の稲荷山
46 東寺の塔を左にて
とまれば七條ステーション
京都京都と呼びたつる
駅夫のこゑも勇ましや
47 ここは桓武のみかどより
千有余年の都の地
今も雲井の空たかく
あふぐ清涼紫宸殿
48 東に立てる東山
西に聳ゆる嵐山
かれとこれとの麓ゆく
水は加茂川桂川
49 祇園清水智恩院
吉田黒谷真如堂
ながれも清き水上に
君がよまもる加茂の宮
50 夏は納涼(すずみ)の四條橋
冬は雪見の銀閣寺
桜は春の嵯峨御室(おむろ)
紅葉は秋の高雄山
51 琵琶湖を引きて通したる
疎水の工事は南禅寺
岩切り抜きて舟をやる
智識の進歩も見られたり
52 神社仏閣山水の
外に京都の物産は
西陣織の綾錦
友禅染の花もみぢ
53 扇おしろい京都紅
また加茂川の鷺しらず
みやげを提げていざ立たむ
あとに名残は残れども
54 山崎おりて淀川を
わたる向うは男山
行幸ありし先帝の
かしこきあとぞ忍ばるる
55 淀の川舟さをさして
くだりし旅はむかしにて
またたくひまに今はゆく
煙たえせぬ陸(くが)の道
56 おくり迎ふる程もなく
茨木吹田うちすぎて
はや大阪につきにけり
梅田は我をむかへたり
57 三府の一に位して
商業繁華の大阪市
豊太閤のきづきたる
城に師団はおかれたり
58 ここぞ昔の難波の津
ここぞ高津の宮のあと
安治川口に入る舟の
煙は日夜たえまなし
59 鳥も翔(かけ)らぬ大空に
かすむ五重の塔の影
仏法最初の寺と聞く
四天王寺はあれかとよ
60 大阪いでて右左
菜種ならざる畑もなし
神崎川のながれのみ
浅黄にゆくぞ美しき
61 神崎よりはのりかへて
ゆあみにのぼる有馬山
池田伊丹と名にききし
酒の産地もとほるなり
62 神戸は五港の一つにて
あつまる汽船のかずかずは
亜米利加露西亜○○印度
[伏せ字の○○は、当時使われた中国の呼称]
瀬戸内がよひも交(まじ)りたり
63 磯にはながめ晴れわたる
和田のみさきを控へつつ
山には絶えず布引の
瀧見に人ものぼりゆく
64 七度うまれて君が代を
まもるといひし楠公の
いしぶみ高き湊川
ながれて世々の人ぞ知る
65 おもへば夢か時のまに
五十三次はしりきて
神戸のやどに身をおくも
人に翼の汽車の恩
66 明けなば更に乗りかへて
山陽道を進ままし
天気は明日も望あり
柳にかすむ月の影
歌詞は、『現代日本文学全集37 現代日本詩集・現代日本漢詩集』(改造社 昭和4年)収録のもの。
2004年1月15日更新
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