ご紹介するのは、"水洗マッチケース"(高55ミリ。横38ミリ)です。ご覧の通り、ブリキでできたマッチ箱で、なんと「giants」の文字が書いてあります。当然野球チームのジャイアンツですよね。マッチの方に重きを置いて購入したので、あまり意識していなかったのですが、戦前からあるこのマッチに、ジャイアンツだなんて、今さらながら巨人の歴史を感じてしまいました。いつ頃のモノなのかと、巨人ファンの課長に尋ねると、ロゴの文字から、「東京ジャイアンツの頃のモノじゃないかな~」と聞き、少し調べてみたものの、いまいちよくわかりません。こうなったら、本家本元へお尋ねしようということになり、東京ドームにある、"野球体育博物館"へ行ってみました。
こちらの博物館では、野球界に貢献した方々のレリーフがずらりと飾ってあったり、選手のサインボールやバットの展示、野球界の歴史資料など、貴重な物がいろいろ展示してありますが、図書館があるのが嬉しいです。さっそく、このマッチを取り出し、訪ねてみると、私よりウンとお若い男性が、さっと書籍を取り出してくれ、「このTGのマークが使われたのは、昭和28(1953)年だけなんですよ」と教えてくださいました。古いブリキのマッチケースを見ても驚くこともなく、ものの数分で、です。素晴らしいです。残念ながらロゴの変遷や、昔のグッズを紹介した書籍って出ていないそうで、詳しくはわからないとのことですが、ユニフォームに合わせて考えると、このマッチケースも昭和28(1953)年のモノということでしょうか?
『プロ野球ユニフォーム物語』(著者:綱島理友 発行:ベースボール・マガジン社)によると、昭和28(1953)年2月15日に、ジャイアンツは戦後はじめて、アメリカへキャンプに行き、野球の本場だからと、アメリカでユニフォームを注文したそうです。そのデザインが、当時のニューヨークジャイアンツと同じデザインで、オレンジと黒が使われていたことから、この2色は東京のジャイアンツカラーとして定着し、胸のマークにTOKYOが登場したとか。そして、帽子に描かれているのが、このマッチと同じ、TとGが重なったロゴで、翌年からは、読売のYとGの帽子になっています。ちなみに、チーム名"東京ジャイアンツ"が誕生したのは、昭和10(1935)年で、翌年には"東京巨人軍"になったそうです。‥‥と、ここまで調べてみると、東京ジャイアンツって、まぼろしに近いというか、このTGマークは、限られた時期につくられた、比較的数が少ないモノといえそうです。
肝心なマッチケースですが、ほかにも女優さんがプリントされているモノを持っています(いずれご紹介しますね)。どれくらい出まわっていたのかわかりませんが、かなりの種類があり、紙のマッチ同様に、宣伝媒体としても、ブリキは色鮮やかでステキですから、活躍したようです。でも、最初に出会った時は、マッチ専用のブリキのケースがあったんだと、驚きました。だって、マッチをこのケースに入れて、持ち歩いたのでしょう? もちろん、今のように安価なライターが出回る以前の話です。ポケットから、ブリキ製のキラキラしたマッチケースが、出てくる様子を想像するとカッコイイと思いました。使用方法は、紙箱のマッチと一緒で、マッチ箱側面にヤスリ状の摩擦面がついています。そして、ケースには、「水にぬれても火のつく、水洗マッチケース」と、防水効果をうたっており、もしかすると、これは防水マッチとご紹介したほうがよいのかな? また「PEARL MATCHCASE」とも書いてあります。詳しくわかったら、またご紹介したいと思います。
おまけ
2月3日の不忍池です。この日から、ようやく自転車で遠出(?)を再開しました。寒いのと、娘が自転車につけた椅子に座るのを嫌がったりするので、なんとなく遠出が面倒になっていたのです。ベビーカーは好きじゃないしね~。仕方がないので、抱っこ紐をつけて、自転車と抱っこで、移動中です。
不忍池は、夏とはまったく違い、水面には氷がはっていました。寒いわけです。