←クリック
第二十四回『福チャンの告白。悶絶級・昭和パイプカット秘話。』
僕の親しい友人にクラシック音楽を聴くとパイプカット手術の激痛を思い出すと言った奴がいる。今では懐かしい時代、昭和も終わり頃、四十歳前にパイプカット手術を受けた福チャンである。
五十歳を過ぎて、その懐かしい福チャンに十数年振りくらいに会う機会ができ、ずっと以前、クラシック音楽を聴きながらの悶絶級の激痛の中でパイプカット手術を受けていたという秘密を、僕は初めて聞かされた。
遥か大昔みたいに言われる昭和が青春時代人間の僕たちのことであるから、話す本人は時効気分半分・告白半分の過去のチン事件なのであろうが、僕などこの歳になってもソレには興味深々。凄い酷いと驚きながらも本人を前にして、つい手を叩き大笑いしながら聞いてしまった僕である。
クラシック音楽と言えば、僕などは一九七二年頃の喫茶店だろうか。少し光沢のある細工を施された深い茶色の木造りの階段と赤い生地のフカフカのソファ。そして、階段からフロア全体に赤絨緞を敷きつめたクラシック音楽しか流さない何となく薄赤暗い喫茶店を思い出す。
プギ・ジャズ・マンボ・ツイストといった所までは時代は遡らないがオイルショック前頃、大学時代に入り浸ったあの独特の重厚な雰囲気、凄く懐かしい。あの頃、店のロゴ・マークなどが裏面に入った白い陶器風や底厚ガラスの灰皿をコートのポケットに隠し入れての持ち帰りが流行、小さな悪事を重ねていた学生が多かった。
さて、パイプカット告白をした福チャン本人は、大柄でポッチャリしていてどこかオッサン臭く大学時代からオットリ人間。大変失礼な話だが、僕は、そんな彼にパイプカットは凄く似合うと思ってしまった。
会った途端のギューっとくる握手は変わらない。最初はクラシック音楽の話なんか全然で、買い続けている宝クジが当たらないことや三億円事件時効話などしていたが、店内にクラシック音楽が流れ、これよく聴くネと言う話から中高年話がゴロリ脱線、そして告白。やがて精力減退から前立線肥大とやはり話題はアソコに落ち着くわけであるが、僕は凄く楽しかった。
福チャンの一大報告のパイプカット秘話は、五十年に一度あるかないかと言うくらいの想像を越えた物凄い不幸な出来事であるとは思うが、知らない世界を覗き見気分の僕には大笑いモノ。手術中に血止めのために百発以上、本当に表現できない悶絶の連続だったらしい。
昭和も最後の頃と言えば、ポスター盗難が相継いだ夏目雅子や夜霧よ今夜もありがとうの石原裕次郎が亡くなり、会員ナンバー何番とかの可愛いおニャンコクラブも解散。ムーンウォークもピンピンで爆発的人気のマイケルジャクソン初来日が話題になった頃で、アレ絶好調真っ盛りで四十歳前の福チャンのパイブカット手術には驚かされたが、四十歳を前に五人目はチョットと決心のパイプカット手術だったとか。
病院へ問い合わせた日に、渡された書類に奥さんの署名と押印をして手術日を予約。実に無謀なスタートだったらしいが、僕は、手術の定番作業である剃毛方法を聞いて簡単さに感心した。
と言うのが、四年程前に心筋梗塞で数回のカテーテル検査・手術を経験した僕など、その度に、ナニのプチモッコリを警戒しながら若さムンムンの看護婦さんに剃毛されたのだが、福チャンの場合はチューブ入りの白い除毛クリームで処理。ただ、ソレを塗ることで手術用スベスベ肌になる段取りの所を、丁寧に塗り過ぎて彼の陰部はナニを中心に無残にもヒリヒリ状態。痛く赤く腫れ上がったナニとフクロで手術に臨んだそうである。
手術は中年の背の低い小太りの医師が一人。頭上のスピーカーから軽く小さな音でBGMとして緩やかなクラシック音楽が静かに流れていて、それが悶絶の激痛と一緒にいつまでも記憶に残っている彼は、クラシック音楽を聴くと悶絶級・パイプカット手術連想となるのである。
手術台に上向きになって寝ると、ナニとフクロ部分だけがポロッと露出する青緑色のカバーが身体にかけられて手術は開始。チクッとする局部麻酔で始まった手術に、何てことないと深呼吸しながら安心していた福チャンであるが、突然バシッバシッと言う音が聞こえて悶絶級の激痛がタマを直撃。
エアガンらしいバシッと言う発射音がする度に、野球でよくあるキャッチャーの股間アレ状態と言うかタマにビーンと激痛が走り、悶絶状態。腰をくねらせ、捻り、呻くばかりで苦痛から逃れることは出来ず、表現できない程の激痛を感じた時にはSMプレイに近い世界に彼のアソコはスッポリ埋まり込んでいて、終わった時には口もきけない放心状態だったらしい。
僕も、福チャンから体験談を聞くまでは簡単に考えていたパイプカット手術であるが、悶絶級の激痛以外に凄い続き話があって、手術結果を調べる検査・報告、コレも酷い。
すり鉢形のガラス器の中にマスターベーションで射精、検査なのである。そして、手術で切り取った一センチくらいの白い輸精管をアルコールづけにしている透明容器をかざして見せながら医師は手術の成功を伝えたが、その容器には理科室の標本のように福チャンの名前が書かれた白いシールが貼られていたそうで、いかにも泌尿器科的で物凄い昭和六十年頃の話である。
福チャンの昭和パイプカット秘話には中高年男性なら胸キュンの切ない告白が続き、手術での悶絶ショックからか手術後は肝心の欲求がグーンと下降線を描いて急激に減退。五十歳を過ぎた今では、究極の愛情表現・舌口サービスも効果なしのフンニャリ駄目な夜が多く、八歳若く積極的な奥さんがはだけた胸や乱れた羽毛布団をなおしながら「パパ、あの時の手術、失敗じゃないの」と、高級ダブルベッドの中で言うらしい。
2005年2月3日更新
第二十三回『スーパーマンと言えば、懐かしい白黒テレビの無敵スーパーマン、ジョージ・リーブスが僕のイチ押し。』
第二十二回『僕の憧れ一九七二年の南極ワイフも、パックリ見せて十五万円也。』
第二十一回『テーブルにココア、今夜はもう一度、ミステリーゾーン気分。』
第二十回『昭和四十六年の白黒ポルノ映画と、露骨裏ビデオ。』
第十九回『青春大ショック、芸能界スター・美容整形の噂を知った日。』
第十八回『当たる不思議「私の秘密」と、死ぬほど笑った「ジェスチャー」の頃。』
第十七回『欧陽菲菲と膀胱炎でヒーヒーの僕と、NHK受信契約騒ぎの日。』
第十六回『微妙にウタマロ、チン長十四センチのセックス満足度』
第十五回『コンドームと僕と、正常位』
第十四回『再会、また一つ。僕のテレビに懐かしの少年ジェットが来た。』
第十三回『ユーミンとセックスと鎌倉、僕の二十七歳の別れ。』
第十ニ回『シロクロ本番写真と五本の指』
第十一回『永遠のオナペット、渥美マリ』
第十回『ジェームズ・ボンドのセックスとナニの話』
第九回『二十一歳の冬、僕とフォークと喪失と。』
第八回『大阪スチャラカ物と言えば、てなもんや三度笠で決まり。』
第七回『嵌った嵌った、森繁の社長シリーズとアレコレ』
第六回『ジュンとネネではなく、VANとJUNの話』
第五回『夏は怪談映画、あの映画看板も僕を呼んでいた。』
第四回『青春マスターベーション』
第三回『ワッチャンの超極太チンポ事件』
第二回『中高年男性、伝説のモッコリ。スーパージャイアンツ』
第一回『トランポリンな僕のこと、少し話しましょうか。』
→ |